そして、「和風」を考える。
「和風」という言葉の意味を考える。
私は「世間一般で認知されている和風」と「そもそもの和風」の意味が、少し乖離しているように感じる事がある。それはつまり、「和風」と聞いた時に「日本の伝統的な様式」そのものをイメージする人が結構いる気がするのだ。
だが、本来「和風」は「日本風」であり、日本の伝統的な様式そのものではない。「和風の定食」は「和食」ではないし、(もっと抽象度を高めるのであれば)「いちご味」は「いちご」ではないのだ。
では、「和風」と「和」(日本の伝統的な様式)の差はどこにあるのだろうか。何を持ってして「和風」と「和」の間に線引きをするのだろうか。
私はそのひとつの基準になりうるものとして、「日本出身者以外からみた日本らしさ」という観点があると思う。
例えば、海外のSF作品の中で登場するような「日本風だけど日本そのものじゃない感の建造物・演出」は和風と呼ぶに値するだろう。
さて、私が今回なぜ「和風」の意味を取り上げようと思ったかと言えば、自身の小説作品『冴月の花』を「和風小説」と表現する事があるからだ。
そう、私の小説は先述した意味においての「和風」なのだ。
この小説は、地球と似て非なる惑星「竜虎星辰」の中の日本と似て非なる国「大帝國・月詠」を舞台として話が進んでいく。
「地球」の「日本」という国の文化に近しい城下町の様子等が描写されている場面もあるが、あくまでそれらは「和」ではなく「和風」なのである。
裏を返せば、「大帝國・月詠」に住まう民草からすれば、地球の「日本」は「月詠風」と言える部分があるだろう。
また、先述した内容とは別の角度からふと気になった事があるのだが、「和」や「和風」という表現をする時、江戸時代を真っ先にイメージするのはなぜなのだろうか?
誰しもが少なくとも大正時代以前を連想する気がする。
「和」や「和風」と聞いて「現代日本」をイメージする人は少ないのではないだろうか。
現代の「和」・「和風」はどこに息づく。
ひょっとしたら、もはや現代の日本は「和」ではないのかもしれない。
そう考えると現代日本人が「和風」を「日本の伝統的な様式」と認識しているのも納得できる部分がある。
それはつまり「現代日本人」と「”和の時代”の日本人」は乖離しており、「現代日本人」から見れば「”和の時代”の日本」は異国だという事を意味しているのかもしれない。
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