古代のカミを求めて①
2018年4月20日、少しの縁があり、大縣神社と田縣神社に詣ってきた。
どちらもただの神社で 互いに関係がないと思っていたのだが、どうも祭神としては大縣神社のほうが上で、少しだけ繋がりがあるのではないだろうか。個人的には尾張地方開拓の神とされるカミを祀るのが大縣神社で、そのカミの子孫を祀っているのが田縣神社のように思う。
〈田縣神社〉
御歳神(ミトシノカミ)
玉姫命(タマヒメノミコト)
御歳神は素戔嗚尊(スサノオノミコオ)の孫で、大歳神(オオトシノカミ)の子。農業をつかさどる神様で五穀豊穣の守護神です。
玉姫命は尾張地方開拓の祖神である大荒田命(オオアラタノミコト)の王女。尾張氏の健稲種命(タケイナダネノミコト)の妃。二男四女の子宝に恵まれましたが、夫亡き後は故郷荒田の里(現鎮座地)に帰り、父を助け開拓に励み、子女教育に勉められ、その功績を称え、後に合祀しました。(公式サイトより抜粋)
〈大縣神社〉
祭神は、大縣大神(おおあがたのおおかみ)としている。大縣大神は、国狭槌尊とする説、天津彦根命(大縣主の祖神)とする説、少彦名命とする説、大荒田命(日本武尊の三世孫で迩波縣君の祖)とする説、武恵賀前命(神八井耳命の孫)とする説などがあり、はっきりしない。いずれにしても、「大縣大神は、尾張国開拓の祖神である」とされている。(Wikipediaより抜粋)
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そもそも男根信仰とは土着信仰で、古事記を書いた人々はどちらかと言えば土着信仰を毛嫌いし、排除しようとしていたように思う。信仰とは権力の象徴であり、日本全土を統一しようとする者にとっては各地に点在する権力は邪魔なだけだからだ。しかし、それを神輿に担ぎ、本殿に奉納する。全国きっての奇祭。どうしても違和感が拭えない。
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狛犬にも現れているのだが、神道では男性は陽のシンボル、女性は陰のシンボルとしてよく扱う。田縣神社には陽のシンボルが多数点在するが、陰のシンボルは無い。かわって、大縣神社には陰のシンボルはあるが陽のシンボルはない。これはふたつの神社がなにかの関わりをもっていた、あるいは権力的に繋がりを持っていたこととして読み解けないか、目下勉強中である。
この立て札の「母なる大地は父なる天の恵みにより受胎する」という所だが、この古代人の民族思想は古い神社、私が勉強した中で言うならば諏訪大社などに見受けられるところがある。なんでも諏訪に関連付けてしまうのは私の悪いところなのだが...それにしても、神社が造られた時代もそこまで遠くないのだ。時代が古代に近いほど、土着信仰の色合いが濃くなっていくように思える。古来からの神には古事記を書いた人々も中々手を出しづらかったのだろうか。
ただの農業に関した祭事ではなく、なにか宗教的な、思想的な祭事が現代に流れていくにつれて奇祭、と呼ばれる形に落ち着いたのかもしれない。私は神殿に安置された男茎形(おわせがた)がどうも土着信仰の祭事における神具と重なって、目にやけにチラついていた。
身近なこの土地にも廃れていって忘れられていった何らかの信仰の形があったのかもしれない。さらに勉強したいと思う。
余談だが、大縣神社にはこのような池がある。
「むすひ池」というもので、なんでもこの池に願いを書いた和紙を浮かべ、その上に賽銭を置き、水に沈むまでの時間でその願いの成就の吉凶をはかる、というものらしい。
近くに立て札があり、写真に収めるのを忘れたため朧気なのだが「見えないものと人をつなぐ」為の儀式のようなものだ、と書かれていた。浅いのも重々承知なのだが、どうしてもシャーマン的な何かを感じてしまった。神降ろし、と言えば伝わりやすいのかもしれない。私の願いはどうやらゆっくり叶うようだ。それに倣い、私もゆっくり知識を深めていきたいと思う。