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ロリサキュバス・メス・ガキ「ざこざこざぁーこ♡」

寝具を洗濯したら寝る場所が無くなりました。
どうも、あなたの勇者ぜろ子でございます。

先日ゲルハルト・リヒター展に行ってきた。
ゲルハルト・リヒターとはドイツ出身の現代アートの巨人らしいけど、身長は普通の人間と同じぐらいという噂を聞いた。

バシンスキーのthe disintegration loopsを理解、高解像度で聴きたくて友人からのオススメをきっかけにサイニー等でリヒターについての論文などを読み漁っていたら強く惹かれるようになった。

博物館にはよく行く。進化の袋小路に迷い苦悶の表情で死んでいった絶滅動物の畜生を見ているとだんだん暗い気持ちになるけど、ロマンや好奇心で突き進んでしまう。
なかなか足が向かない美術館への侵攻。人混みと知識の承認欲求は怖かったけど楽しめた。

ドローイングやオイルオンフォトを生で見れてよかった。抽象性と実在性がカオスな空間で頭がおかしくなりそうで軽くトリップできた。安い体でよかったと心の底から思う。
大作 ビルケナウは最後に見ることにしたが、これは正解だったなと見た後に気づいた。
この作品の背景を知っていても知らなくても作品のパワーに殺される。
実物を見たときの第一の感想は『暴力』。
圧倒的な人の気持ちに1度目の死。
そして配置。幅2m、高さ2.6mの巨大な4点の作品ビルケナウの対面にあるのは同サイズの複製写真のビルケナウ。
複製されたものには4つに分断されている。もちろん写真なので表面もツルツルである。気持ちは塗り込められていないその不気味さと、それを静かに見るビルケナウ。
この対比の不気味さに2度目の死。
そして、ビルケナウが展示されているスペースには『グレーの鏡』というこれも巨大な作品が展示されている。パッと見だと美術館の内装に思えるがこれもれっきとした作品。しかし、気づかない人もいる。現実にあるものに気づかない怖さと幸福。
そして、鏡を認識したときに映る灰色の自分と2つのビルケナウ。
作品と観察者の境界線をぐちゃぐちゃにして、見られている側に立たされた。
在と虚。
3度目の死

短時間で3度殺された僕は項垂れて外に出た。
いいものは見たけど完全に食われた形で終わった。

絵画作品(たまに音楽でもある)は見る距離や角度によって印象が大きく変わることを再確認出来たので、僕のニンゲン コワイ症候群にも処方できるかもなとプラスの影響もあった。

鬱汁なんか飛沫たくないよ。平穏な気持ちで生活がしたい。早くここから抜け出たいよ。

良い夜を

dasai / blue friend


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