in my mind

風邪気味です。
どうも、あなたの勇者ぜろ子でございます。

僕は基本的にボールペンを使って字を書くんですけど、家にあるペンが軒並みインク切れであたふたした。老人ホームからパクってきたペンが生き残ってたので愛用してます。

今の仕事を始めてもうすぐ2ヵ月になる。仕事と言ってもほとんどバイトみたいな契約社員なので責任もほとんどなく気が楽で素晴らしい。働きたくないじゃなくて人に怒られたくないが正しいのかもと気づき始めた。そんなことはいいとして、毎日毎日まだ火曜日か、休みまで長いと思いながら朝日を拝むことを繰り返している。前職で死ぬことを考えるまで働いていた時のことを思い出す。気づいたら職場にいるか朝の電車を待っているのである。家にいるときには「今僕は家にいる。怖くない。安心していい」と自分に言い聞かせないと心がゆるまない。

なんかみんな当たり前みたいに働いているな。ふざけるな。働くって何だろうとか考えなくなるまで働けばいいのかな。お金を稼いでいると働くことが同義ならそう言えばいいのに、たくさんの意味を付け足しているから働くという言葉を使うのかもしれないとか、余計なことを考えなくなるまで。働かないという選択肢が即ち死を選ぶに等しい世界で、生きたいけれど働きたくはないなんていうのは「自分らしく生きる」にカウントされやしないのである。

いわゆる《社会人》としてのラングを使いこなすこと、8時間×5日間の過ぎ方に馴れることは、人が生きやすく生きるために、何かに繋がれてるという感覚を持つために重要なことである。年月がそれを獲得させるものなのか、働いている場所との巡り合わせが良かったのか、やはり働かなければそもそも暮らしや家庭が立ち行かないという事実でしかないのか。

早くベーシックインカムが実現して労働が「より良い暮らし」を求める人たちだけのもの、或いは娯楽や自己修練や精神的充実の手段にならないかなと思う。こんなことを誰かに話しても「みんな働きたくないけど仕方なく、食べるために、働いてるんだよ」そんなことしか言われない。そうですよね。すんません。

いろんなことを天秤にかけて選択をして生きていくんだな、人生なんてただの思い出作りなんだから何を思い出に残したいかだけを選んでいくんだよ。どんな選択をしたって多少は後悔するんだから、堅実さより感情の動くほうがいい気がする。

こんなことを書いてますが、また明日には「誰にでもできる」仕事をあたふたとやるのであった。それでも僕は20数年生き延びたのである。えらい。

良い夜を

景色がほしい / hasami group

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