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蛮勇ぜろ子伝2021

寒い冬こそ窓全開でタバコを吸うのです。
どうも、あなたの勇者ぜろ子でございます。

2021年も残りわずかの命になりました。この時期になると皆さん一斉に今年を振り返りますよね?僕もその流行に乗ろうとします。
と言っても、今年あった出来事をそのまま振り返ってもただ文字数稼いだだけの羅列になってしまうので簡略化する。

今年前半に大学卒業後2社目の会社を例の流行病の尽力で人員整理され、死に物狂いで3社目に漕ぎ着け今に至る。今の仕事では、職場内の何でも屋的な立場として色々なことを任せられている。責任もストレスもすごいけど、このスレスレの感覚が僕を鋭くし、何事もうまい方向に持って行ってくれるので割と楽しんで働いている。今年の出来事は以上。

2021年は日常の変化以上に僕の内面的な変化が著しかった。
まず初めにブレーキがかけられるようになった。
これは今までの失敗での学びと今年よく読んでいた哲学的な本のおかげだと思われる。
二つ目はアクセルの塩梅を覚えた。
ブレーキをかけられるようになっても前に進まないだけ、時には勢いも大切だ。かと言って暴走はいけない。タイミングを見計らってアクセル全開にするということを学んだ。常に全力投球だと疲れるしね。

このふたつが僕の内面的変化だと思う。ただし、変化していない部分も確実にある(多分死ぬまで改善されない泣)。
そのひとつが精神的に未熟な部分だ。
僕はどうしても利己的になりがちなのだ。すごく自己中心的。僕は知っている。人は誰でも自分が一番大好き。怪我なんてしたくない。全てが思い通りにいってほしい。
確かに前ほど思い通りにいかないとイラついてしまうということはかなり減った(そう考えると変化の兆しはあるのかもしれない)。しかし、どうしても希望的観測をしてしまう。人間のいい面でもあり悪い面でもある。
もうひとつがとことんネガティブなところだ。
僕のアイデンティティと化しているネガティブ思考で何事も失敗すると考えてしまう。二律背反が起こっているなぁ。

根が暗く人生なんてずっと夜。『明けない夜はない』なんていうやつのことは信じてはいけないと心に刻んでいるが、もし万が一、何かの拍子で、事故かなんかで頭を打って、明るい自分になってしまったらそれは僕なんだろうか?と考えることが多かった。しかし、今年になってから以前より多少明るくなりその不安は消えた。僕の根底にある根の暗さはどんなに周りの街灯が明るくなっても濃い黒で地面に焼き付いている、僕の本質は何も変わらない(しかし、希望的観測はする)。

『明けない夜はない』は嘘っぱちだけれども、暗い夜道にたまにある街灯や窓から漏れる暖かい燈を日が溢れている昼間だと錯覚して歩くことは出来る。
その燈は錯覚だとしても僕にとっては大切な太陽なんだ。夜は怖くない。燈があればどこまでも歩いていける。

良い夜を

acquiesce / oasis

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