日高屋の唐揚げは口の中ズタズタになる

日差しに虐待されてる。
どうも、あなたの勇者ぜろ子でございます。

毎週短い文でもいいから更新しようと思っているnoteだが、やはり週によって書く内容にムラが生じる。それはもうどうしようもないことだと誤魔化し、とりあえず続ければいいのマインドでやっている。まぁ、思いつき半分、理解されたさ半分で始めたnoteだったけれども、(反応があると)僕が長い間人に理解されないなと思ってきた部分が何か共鳴してくれる人がひとりでもいることにやはりどこか救われた気がする。なかなかただ生きているだけじゃみんなちゃんと生きているように思えるけど実際そんなことはないよね。

「自分に同情するのは下劣な人間のやることだ」と言ったのはノルウェイの森の永沢さんだったが、そんなことを言えるのはどこか欠落してしまった人間だけである。彼らは自己憐憫より死を優先する類の人間であり、僕たちは、そういう類の人間ではないというただそれだけにすぎない。こう見えて最近はメンタルが安定している。いつものように低いところでだけど。

書くことはもうないけど流石に何もなさすぎるので、下書きにあった短い文に手を加え供養したいと思う。熟成下書き。サボりではない。

前向きになる代償として自分を失うという理不尽、自分であることの代償としての世を疎むという理不尽、それでも不毛に、勝手に生きようとする生命の理不尽。毎日が重い。何時間耐えたら何日間耐えたらチャイムが鳴る、本当はそんなものは無いらしい。
何もなくとも生きろと言う。何もないと感じるのにあると言う。絶対にあると言う。生きろと言う。誰かに言うような大それた話ではないのに、さも何かとても辛いかのように眉間に陰ができるのをただ感じる自我のある限り港は見えないが、自我を失ったこと等は想像すらできない。ただ暗い航路を、ぼんやりと、いつか見た気がする灯りの幻にすがりついて笑う。うんざりだと海の底から君が言う。
灯りを買いかぶられるそのたびに、陰りは深く濃くなる。君はいつでも靄の中でちっとも見えないくせにわかった風な仕草をする。お前が逝け。お前が逝けと言う。

良い夜を

no hope generation / mura masa



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