鳥と魚の違い

非日常が日常になりつつある今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか?
どうも、あなたの勇者ぜろ子でございます。

僕が住む村にも疫病によって閉店に追い込まれる店が出ました。
ずっと昔からある飲食店、高校生のときに地元の友人と貸切パーティーとかしたそこそこ思い出のある飲食店の閉店は静かで呆気ないものでした。
もうひとつ、閉店に追い込まれたけどクラウドファンディングによって切り抜けようとしている地元の飲食店もあります。そこは現時点で目標達成しているし、それ以外にも地元住民による支援で耐えています。

『鳥の血に悲しめど、魚の血に悲しまず。声あるものは幸いなり』という言葉があります。どちらも等しい命なのに、鳴かない魚の死には何も思わない。声を上げられるものは幸福。まんまの意味。
あれだけ通ったのに特に誰も話題にせず静かに閉店した店を見ていたらこの言葉を思い出しました。

あの店が自らの意思で終わらせたのか本当は助けてほしかったのかは全く分からないけど、声を上げていたらどうなっていたのか少し気になる。

なんかこれ書いていたら唐突に灰羽連盟思い出しました。
めちゃくちゃ省くし正味、そこまで理解してないけど『助けて』って声を上げる勇気って大切だなって思いました。ほんとに小並感だな……悲しくなる。

疫病にビビる様な生活がずっと続いてるけど、最初は今まで感じてきた不安や責任感を放棄してこの状況に全てを委ねられる一種の開放感に近いものを少なからず感じてた。けど、周りは対応し始めるし今の状況も続きそうだしまた現実と向き合っていかなければいけない段階に入ってきた気がして、また逃げたくなります。
これは『助けて』じゃなくてサボりたいだけなんだよな。自分の惰性を周りのせいにしていたい。
この話毎回してる気がするけど、自分から動かないと何も変わらない。動かず変わらず何も得ず生き続けてきた20数年、終わる若者なのか。終わっている若者なのか。

僕は誰にも看取られずに静かに閉店したあの店にはなりたくない。
狂い咲きたいので今日も決意表明だけしてネットの海に潜ります。

良い夜を

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