誹謗中傷等で得た示談金は叙々苑に使います

アンジェラ・夏
どうも、あなたの勇者ぜろ子でございます。

書いては消し、書いては消し、結局前に進まず二十数年、今の僕です。
ある程度今度の見通しが決まった。今年一年は立て直しの年にする。えっ、2020年半分終わってるのに!?僕が一番わかってるわい!入りたい企業に絶対入るために安い覚悟を決めたってハナシ。就活は決め打ちしかしたくない。
書くことがなく、でも一週間に一回は更新したい気持ちがあるのでまとまりのない文を投げます。労働です。


労働って言っても、みんなそんなに働きたいわけでもないでしょ。生きがいを労働に求めている人もたくさんいるのはわかる。それでも、文字通り死ぬくらいまで働くことによって追い込まれる人が世の中にたくさんいるのに(僕もそのうちの一人だった気がするし)、最初から存在するルールにずっと乗って人が働いてもいいと思えるように色々変えていこうとならないのはなぜだろうか。
シビアな労働の世界で一度躓くと次へのステップがわけわからないぐらい重くなる。それがこの社会全体にとっていいはずがないのに、何も変わらないのだから働くことによってどんどん働きたくない人が増えていく。

満員電車は労働くらい当たり前みたいな顔でみんな生きてる。疲れ切って、自分の時間も持てず、働くために休み働くために食べ働くために人生を生きてしまっていて、それから外れた人のほうが悪い、弱い、甘えているだなんてレッテルを張られる理不尽さに僕はいつも泣きたくなる。
別に頑張りたい人だけ頑張ってればいいのになんてことにはならない。何の前触れもなく本人の確認もなく生まれてしまうのに、頑張りたくない、頑張れない人に人権が与えられない。個性とか多様性とか言うくせに働きたくないという思いは尊重されない。

一生懸命に働くことが美徳であるというのはそう思っている人にとっての真実であるのは否定しないが、僕にとっての真実ではない。自分ルールを押し付けてくるな。「普通」に生きることのハードルは馬鹿馬鹿しいくらいに高すぎる。僕は上ばっか見て首が痛い。

こんな死んだ就労意識で生きていけるのでしょうか。僕はほぼ毎晩前職のことを思い出して悔んだり、夢で未だに怒られながら働いている。死ぬぐらいだったら逃げてもいいし、僕は何もできないけど味方でい続けるよ。

よく眠れますように、良い夜を

the wordⅱ / セキトオ・シゲオ



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