危機的聞き手

蚊にモテモテでございます。
どうも、あなたの勇者ぜろ子でございます。

夏になると人に会いたくなる。僕は蝉かもしれない。特に予定もなく天井とTwitterを交互に見る休みの日が多いのでせっかくインプットしたものをここで吐き出す。ゲロゲロ。

いきなりですが、親は普通に子どもを自殺に追い込むと思う。そうなる前に家を飛び出し、とりあえずいけるところまで行けばいいと思ってるし、なんとかなりそうなら生きていけばいいし、なんとからなそうならその時はその時だと思っている。死ぬときって結構有無を言わさず人は死ぬ気がする。

また唐突に話は変わるが、先月死のうと思ったが生きてしまいました。死に方とか、やっぱり首つりが定番で苦痛が少ないんだろうかとか、場所は家で甥っ子が第一発見者になるのはかわいそうだから人気の少ない場所でとか、遺書に何を書いておこうとか、延長コードをリュックにいれるくらいまでしたのに、死に場所探していたらまだ知らない飲食店結構あるじゃんとか色々考えていたら結局死にませんでした。バカみたいだね。

本当に死にたいなら特急列車が家のすぐ近くを通っているのですぐに飛び込めば絶対に死ねるのに、なんだかぐだぐだ考えて、そのうちに友人から明日飯行かない?とか連絡が来て、バカだから、うまい飯を食い、国道沿いを歩きながらビールなんか飲んじゃって、普通に帰ってきてしまった。

それでまた次の日に死にたくなる。死にたいっていうのは人によって違うので、それが学校や仕事に行きたくないというくらいの気持ちで使っている人もいれば、バカンスに行きたいくらいの気持ちで使っている人もいると思っている。僕にとって死にたいというのはなぁ、最初から全て無かったことにしたいって気持ちでなぁ、新小岩で成田エクスプレスとバーーーーーンッてしてなぁ、グッチャグチャの肉片になっちまいたいとかそういう気持ちとは違うんだよ。命の大切さとか、死ぬ勇気より生きる勇気とか、そんな言葉は死にたい気持ちに到底勝てませんわ。じゃあ、何に勝てるかっていうわけでもないんだけどね。

生きていることが別に偉いわけでも、死ぬことが別に偉いわけでもない。生きることを美化しすぎ。Life is beautiful!じゃあ、もっと生きやすくなっているはずでは?

だから、僕は生きているのがしんどいな、つらいなと思いながら、死ぬときは死ぬしかなくなるんだろうから、そういう感情と一緒に生きていくしかないのかなと思う。
それは死にたいと思いながら生きようみたいな前向きなことでも別にないのです。生きてしまっている、生きていくしかない、というような消極的人生です。どうせ生きていくのであれば、きっと前向きなほうがいいんだろうけど、僕は覚せい剤でもやらない限り前向きに生きることはもう無理です。

でも死にたいときにめちゃくちゃお腹痛くなってトイレで籠城してるときに「ウッ…ウッ…死にたくないよう…」って考えることが面白くなって下痢をしながら笑いがこみ上げてきて、ブリッ!アハハブリブリうっ…ワハハハハ!みたいになったりするから不思議です。汚い話で締めます。

良い夜を

teenage vibe / kzm feat. tohji



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