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東海道中膝チワワ毛

どうも、あなたの勇者ぜろ子でございます。

3年日記を初めてもうすぐ1年。はやい。
今日はメモ帳に残した3年日記内に書ききれなかった思いを後悔する。
後で見返して結構キマってて面白いと思ったからである。後で見返してと言っているがかなり直近の日記だが…そこは知らない

20220125

僕は人間は絶滅すべき、いや宇宙という概念ごと無に返さないといけないと考えることがある。しかし、それと同時に僕は人に期待し人を信じてしまう。自己矛盾に苦しむことが多い。

他人とは絶対に理解し合えないと考えている。自分を観測できるのは自分だけ。だけど、自分しか観測できないものを他人に伝える手段はある。それが言葉だ。会話というものは自分の心をさらけ出す行為だと思う。それと同時に他人の心を簡単に潰せる便利な道具でもある。
言葉を選ばなくちゃいけない。そして、言葉を選びながら話すと考えすぎて何も話せなくなる。心を閉じてしまう。しかし、その沈黙も沈黙を嫌う人からしたら凶器になることだってある。言葉で人を傷つけたくないと思うあまり自分を傷つけてしまっているのではないか?

人間という生き物は脆いので、時には嫉妬やエゴに飲み込まれて酷い言葉や行動で人を傷つけ悦に浸ることだってある。人を批判したり、自分は絶対に間違っていないと盲信したり、人にそれを押し付けてしまう事だって誰にだってあるだろう。特別思想がねじ曲がっていたり、特別心が弱かったり、特別感情がないわけではなく、些細なトリガーでそうなる。狂気は正気の中で生まれる。


20220126

自分を理解してほしいと言っているうちは理解なんてしてもらえない。錯覚という理解もないだろう。その原因は相手を理解していないからである。
いつから人を許せなくなったんだろうか?
いつから人を思いやることをやめたのだろうか?
いつから感情に身を任せるようになったのだろうか?

20220127

考えることは辛く苦しくまさに苦痛であるが、その先に希望だってある。
絶望は時として希望になりうると僕は信じている。この信念というにはあまりにも弱いものを僕は信じて『人生は苦痛』を歩き続けている。

考え苦しみ悶えることが辛くて仕方がない。でも、希望だってあるはずだ。すぐには見えないだろう。もしかしたら無いのかもしれないが、僕は自分を信じて歩き続けることしかできない。光を信じて生きるほかない。

良い夜を

andata / 坂本龍一

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