punk syndrome 2

街を歩てたらタックルされました。
どうも、あなたの勇者ぜろ子でございます。

前回の続きです。ジメジメの内容の予定だけど、少しは明るくするつもりでございます。

今は、死にたがる要素がない。でも、死にたくなってしまう。不思議なものである。僕が不健康だからダメなのか。健康な人は、希死念慮なんて持たないのだろうか。僕が健康だったころ、もうずいぶん昔のことだからよく思い出せないな。
僕が双極性障害だから、希死念慮があるのか。それとも、僕はもとから死にたがりだったのか、よくわからない。

僕は「死ぬべきだ」あるいは「死んだほうがいい」と思っているのか、それとも、純粋に「死にたい」と思っているのかという区別もつかない。それによって、だいぶ話が変わってくる気もする。
「死ぬべき」「死んだほうがいい」であれば、原因を取り除いてやば、この希死念慮も治るかもしれない。純粋に「死にたい」と思っているんだったらどうしようもない、気持ちが変わることに期待をするしかない。

生きていたい。特に理由はない。これから先、生きていても大していいことなんてないんだろうけど、この考え方が生きづらくしているのかもしれないけど、なにのためというわけでもないが、とにかく生きていたい。いや、生きてしまっている。

自殺は怖い、悲しい。はじめて自殺を図ったとき、土まみれで玄関に立つ僕を見た両親の顔が今でも忘れられない。両親の悲しそうな顔、姉のこわばった顔、忘れられない。
希死念慮、非常にキツいし疲れるのだけれども、効果的な対処策は、なにも思い浮かばない。これからも耐えるしかないのかなぁと思うと暗い気持ちになる。

僕には、自殺企図の前科がある。今後間違って、ポロっと死んでしまわないかと思うと非常に怖い。
ただ、自分の精神の作用である以上、簡単に切って捨てられるものでもないのだろう。他の症状、例えば気分の上下、急な落ち込みと同じように、諦めて受け入れていくべきなのかもしれない。
生きてしまっていても、生きていたい。とにかく死にたくなる。死ぬとしても、自殺はイヤだ。生きていたい。それだけは、常に忘れないようにしている。
頭のなかでどれだけ「死んだほうがいい」「死ぬべき」「死ななければ」「死ね」と呼びかけられようとも、それらは僕の本心ではないということをしっかりと覚えて、忘れないでいたい。

希死念慮には、もう何百回と見舞われているのに一向に慣れる気がしない。今夜は大丈夫だろうか、明日は生きているだろうかと、毎晩おびえながら眠っている。

良い夜を

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