音楽家は皆孤独

音楽家のこだわりは理解されない

「音楽家は皆孤独」というと少し誇張的な表現かもしれませんが、以前からずっとその様に思っています。大抵何かの技術を極めた音楽家たちは、自分が一番表現したい所を高い解像度で理解されない、という意味で孤独だと思います。

作編曲者的な観点では音楽理論的な語法・和声の組み方やオーケストレーション。DTMer 的な観点では音源の生々しさの表現やサンプラーの配置。サウンドクリエイター的な観点ではオシレータの発音方式やエフェクトの探求。マスタリングエンジニア的な観点では音像の定位・分離感や音圧の稼ぎ方。プレーヤー的な観点ではダイナミクス表現やテクニックの追求。などなど。

その解像度は立場によって違いますが、各々がその人にしか出来ない様な技術を体得していると思います。しかし音楽家が人生をかけて磨いてきた技術こそ、普通の人にはスルーされてしまいがちなものでもあったりします。

日々のマーケティングやブランディングが功を奏し、有名になって表舞台で華々しく活躍している音楽家達はいます。とはいえ、音楽家がこだわり抜いてきた部分を、本当の意味で高い解像度で評価出来る人というのはほんの僅かでしょう。作った本人しか分からないと言っても、あながち過言ではないと思います。

なぜ理解されないのか

なぜ自分が一番表現したい所が高い解像度で理解されないかというと、音楽を聴く人にも高い音楽技術や知識が必要だからです。ある程度まで技術を高めていくと、普通の人が知覚できる技術レベルの閾値を超えてしまいます。そのため、一般の人には一体そこでどんな技術が使われているかなんて情報は認識すらされなくなってしまいます。

例えば僕の場合さほど複雑な曲でなければ、メロディの音程やコード・キー、鳴っている楽器が何か位の情報は、数回聞けば大体は特定出来ます。僕が特段才能があると思っている訳では全くないですが、恐らく多くの人はこの位の解像度では曲を聴いていないのだろうと想像しています。だとすると普段から作編曲や耳コピ、演奏やミックスとかをしない人が、それよりも遥かに細かい技術レベルで仕込まれた音楽家のこだわりを、聴覚情報だけで理解してもらうというのはのは無理があるという話です。

「いや、とは言ってもこの人すごいの分かるよ!」とは言っても、それはあくまでその人の技術の凄さのほんの片鱗でしか無い事が多いかと思います。
そもそも評価というのは、大抵の場合視覚情報やその人のブランド価値の様な複合的な要因を持って行われているので、純粋な音楽技術のみで判断される事は基本的にはないと考えています。

そのため高い技術を持って作られた音楽というのは「よく分からないけどなんか良い」という評価を、一般には受けることになるのだと思います。

僕のスタンスについて

とはいえ僕自身はこの「よく分からないけど何か良い」は、音楽を作る上で一番大事だと思っています。小難しい話とか抜きに、音楽は「カッコいい、エモい、すごい」みたいな感性による評価こそが正義だと信じているので。音楽理論とかそんなのは良い音楽を作ったり分析するための手段に過ぎない訳で、最終的には人の心に響く音楽を作れるかどうかが重要です。

その一方で、人間寂しさには勝てないので「ある程度は自分と近い解像度で音楽を聴いてもらいたい」という願望も個人的にはあります。強い自分のこだわりがある音楽語法は、表面的な部分だけでもフワッと知ってもらいたいなという気持ちがあります。そういった意味でも、音楽理論や語法をもっと自分から発信していくのが大事なのかなと思っています。色々な人に伝えられるよう、言語化して発信していく努力をもっとしていかないとですね。

音楽家特有の孤独は、僕は当たり前のものとして受け入れています。でも幸い、僕には自分以外にもちゃんと音楽を聴いてくれる方達がいらっしゃるという点において恵まれています。その方達に「なんかすごい」と思われる様な作品は作っていきたいですが、それと同時に、自分と近い目線で音楽を評価してもらえる様な人も増やしていきたい。そのためにも技術の言語化と発信というのは、今後時間を見つけてやっていけたら良いな、というのが僕の願望です。実際にやれるのかどうかはさておき。

俺の体5人くらいに分身してくれねえかな。


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