「チェシャねこ同盟」5
トマスはスペンサー一族の伝統通り法律を学ぶために大学に進学した。51%ガールの登場は最初から不規則だったが、トマスが大学に入学してからはどんどんひどくなった。月に二十回も現れるときもあれば、半年近く姿を現さないこともある。なかなか現れない時期には、不本意ながら彼は51%ガールに会いたいような気分になるのだった。不便なことに、彼女はスマホを持ち合わせていない。
51%ガールのことが心に浮かぶと、トマスは学校の帰りにふらりと鳥類博物館に立ち寄ることにしていた。そこで飼育されているハチドリの瞳が、彼にはなんとなく彼女のことを思い起こさせるのだ。
影たちの世界に迷い込んだような曇り空のとある金曜日、トマスはいつものように鳥類博物館に行った。北風ばかりが有頂天で、街行く人は誰もがうつむいて歩いている。マフラーのネイビーブルーが申し訳なくなるくらい街中がセピアカラーの午後だった。
檻の前に佇みハチドリを眺めながら、トマスは51%ガールが一番最近現れたときのことを思い返していた。それは、彼がロックバンドのライブにちょっといい雰囲気になっている女の子と一緒に出かけていた時だった。
「今回の彼女はちょっと路線変わったね」
なんていらぬ一言を発しながら、彼女は現れた。ちゃんと場に似合った格好をするのが彼女の好みらしく、その時は紺色のバンドTシャツに黒の革パンツ、赤のブーツを履いていた。彼を何より唖然とさせたのは、彼女がチャームポイントである長い亜麻色の髪では無く、前髪をぱつんと切りそろえたブラックヘアーだったことだ。
「染めたの?」
そう言ったトマスの声は驚きのあまり裏返っていた。
「カツラよ」
51%ガールは頭をくいっくいっと回転させ、黒髪をぱさっぱさっと靡かせてみせた。
「良くない、これ?」
「どう、かなあ…?」
歯切れの悪いトマスのリアクションなどまるで気にせず、彼女はカツラに大はしゃぎだった。
彼のことをからかうチャンスを、51%ガールは逃さない。初デートの時から、彼女は彼が一人の時を見計らってひょっこり現れては狼狽させた。
一番ひどかったのは、彼がガールフレンドの家に泊まったときだ。彼女はバスルームに水色のスリップ姿で現れたのだ。額に黄色いドロップ型のライトストーンを張り付け、エキゾチックなエジプシャン風のメイクまで施して。
「君くらい意地悪が得意な女の子って知らないな」
彼がそんな皮肉を繰り返しても、51%ガールにはいたくもかゆくもないようだ。動揺するトマスの顔を見つめながらいつもさもうれしそうにクスクスと笑う。
トマスが鳥類博物館を出ると、無声映画を映す映写機から漏れる光のように淡いオレンジとイエローの夕焼けが雲をうっすらと染めていた。大学の寮へと帰る道すがら、彼はカフェに寄ることにした。安いビールと黒パンのサンドイッチとチップスを摘みながら、ぼんやりと家路を急ぐ人々の姿を眺める。
彼には定期的に思い出す言葉があった。初めて51%ガールに会ったときに言われた言葉だ。
『たまたまこちら側にいるだけだって思うの。だから、あっち側だったらどんな風なのか、ちゃんと見ておきたいでしょう?』
彼は以来、幾度もこの言葉を思い返していた。教師から叱られたクラスメイトを見ているとき。恋人が浮気相手と一緒に歩いているのを目撃したとき。スーパーで盲目の老人が付き添われながら買い物をしている場面に出くわしたとき。苛立たしい足取りのけばけばしい中年女性とすれ違ったとき。子供を怒鳴りつける親の声を聴いたとき。街角に建つ娼婦の前を通るとき。親戚中の女性たちから「冷淡で不甲斐ない男」と噂されているジャック叔父さんに会うとき。
はたまた、街頭テレビでふんぞり返った政治家の姿を見ても、難民キャンプの妊婦を見ても、彼の脳裏には51%ガールの言葉が浮かんだ。
もちろん、白人至上主義者が発砲事件を起こしたニュースを耳にしても、大企業の環境破壊についての記事を読んでも。
あるいは、億万長者を見ても、路上生活者を見ても、ハリウッドスターを見ても、掃除夫を見ても、トマスは等しく同じ眼差しを向ける。それは対象を、可能性の一つとしての【あちら側】として見つめる眼差しだった。
トマスは数え切れぬほど、こう自分に問いかけている。
たまたま今、こちら側にいるだけなんだろうか。
トマス・スペンサーという肉体の内側に?
あちら側にいるときには、どんな景色を見ているんだろう。
トマス・スペンサーという肉体の内側から景色を見ていないときには、僕は一体、何を見て、何を聞き、何を感じているんだろう。
その日、ほろ酔い気分でカフェを出たトマスは、街灯に照らされた道をふわふわとした足取りで歩きながら、自分がまるで世界をすっぽり映し出すシャボン玉になったような気分だった。相変わらず空は曇っているようで、星は見えない。代わりに花壇に咲いた二、三輪のスノードロップの花が、ぼんやりと発光するように闇夜に浮かんで美しかった。
~*~
地球人年齢で二十一歳になった頃、トマスは校内掲示板にあるルームシェアの広告に手頃なのを見つけて寮を出た。寮を出てからは、51%ガールがトマスの前に現れる頻度が徐々に増えていった。
三日ぶりに51%ガールが現れたのは、朝寝坊のトマスが珍しく早くに目を覚ました日だった。とはいえ、彼は爽やかとはほど遠い気分だった。ルームメイトの一人が朝の四時頃泥酔して帰宅した物音に叩き起こされたせいだ。もう一人のルームメイトは研究室で徹夜の実験をするため留守にしていたので、彼が一人でベッドまで運んでやらなければならなかった。水を飲ませたり上着を脱がせたりと一通り世話を焼くと、彼の眠気はすっかり吹き飛んでいた。
トマスはシャワーを浴び、ジーパンの上にブルーの大きめのシャツ羽織った。髪をタオルで拭きながら自室に戻ると、机の上に置いた腕時計で時間をチェックする。まだ六時前。彼は大学に行く前にしっかり朝ご飯を食べることにした。彼にとって、料理は最大の道楽である。
キッチンに向かおうと歩き出した彼は、びくっとして立ち止まった。壁に掛かっている小さな壁掛け鏡に、黒髪の人影が見えた気がしたのだ。そう言う場合、ほぼ間違いなく気のせいだが、彼の住んでいるアパルトメントはなにせとても古い。彼はおそるおそる鏡を振り返った。いつも通り彼のベッドが映っている。彼はほっとして自嘲するように微笑んだ。しかし次の瞬間、トマスはひっと息をのんだ。ベッドの上に女性の脚が載っかり、今まさに黒と白のボーダーのニーハイソックスを履こうとしている。彼は叫び声を上げる寸前の息づかいで振り返った。黒髪の女が、そこにはいた。
黒白ニーハイソックスを履き終えた女は、髪を耳にかけながら顔を上げた。
「ハァーイ!」
51%ガールだった。
「君か!」
トマスは叫び声のために溜まっていた息を使ってその言葉を吐き出した。普段よりもかすれたような声が出た。
「なんだ、君かぁ…」
へなへなと倒れ込むようにトマスはベッドに腰掛ける。
「なあに?違う女だと思ったの?失礼ねえ!」
「だって、君…」
トマスはようやく息を整え彼女の姿を見る。
「またそのカツラ…」
「気に入っちゃった~」
歌うようにそう言いながら、51%ガールは腰に手を当てぴょんぴょん飛び跳ねながら脚を片足ずつ腰の当たりまで持ち上げた。ダンスを踊るみたいに。
「ああ、ただねえ」
動きを止めると、眉根を寄せながらちょっとカツラを浮かせる。
「おもしろいんだけど、蒸れるのが欠点よ」
だらんとした猫背のままで彼女の様子をぼんやりと眺めていた彼は、ふふんと呆れたように笑った。
キッチンでトマスが野菜の下拵えをはじめると、51%ガールは肩の横からのぞき込んでくる。彼女は彼が料理をしているのを眺めるのが好きだった。
「水遊びしてるの?」
「ジョーダンだよね?」
「でも、涼しいでしょ?」
「まあ…、ねえ…?」
トマスはふとシャツの前が開いたままになっていることに気づき、少し気まずそうな表情でボタンを留めていった。
「何ができるの?」
「ポテトサラダ」
トマスはすぐそばにある51%ガールの顔を避けるように目を伏せたままで答えた。そこでふと、彼の表情が変わる。
「ん?」
トマスは51%ガールが着ているシャツのボタンを凝視する。彼女はしましまロングソックスの上に、モーヴ色のシャツをワンピースのようなスタイルで着ていた。もちろん、見る側がそれをとびきりミニのワンピースなんだろうと判断するなら。
「それ、僕のじゃないの?」
トマスの言葉に、彼女はうふふと笑う。
「やっと気づいた!」
「なっ!だって、まさか…」
「借りちゃった~」
彼女は腰をくねくねさせながら歌うような口調で言った。
「ったく…」
彼はぶすっとした表情で、ジャガイモを切る作業に戻る。
「怒った?」
51%ガールはトマスの腕にぺとっと頬をひっつけ顔をのぞき込んでくる。彼はその顔を見ないようにしながら、背中にへばりついた彼女を振り払うように冷蔵庫へと移動した。
「アーモンドあるよ。食べる?」
彼は料理をしている間、51%ガールに邪魔されない技を修得していた。軽めの食べ物を与えることだ。プラムやバナナチップス、スティックに切ったセロリ、一口チョコレート等々。
彼は皿にローストアーモンドを出し、塩をふりかけた。
「あ!それ、だいすき!」
「知ってる~」
「ありがとう」
テーブルにスプーンを添えた皿を置きながら、彼は何となく猫にミルクを出しているような妙な気分になった。
「アーモンドとアボカドにプロポーズされたら本気で迷うと思っていたけど、最近はアーモンドがリードしている感じ」
トマスはボウルにオイルを入れながら笑い声を上げた。
「アーモンドを選ぶんだ?」
「アーモンドからのプロポーズは、わたし、断れないわ…」
その声に余りにも気持ちがこもっていたので、トマスはまた笑った。
51%ガールは机にもたれ掛かり、皿を手に持ってスプーンでアーモンドを次々と口に運ぶ。カリッ、カリッという小気味いい音をたてながら、トマスの動きを大人しく眺めることにしたらしい。蒸し上がったジャガイモがボウルに放り込まれる段になると、瞬時に身じろぎしながら明るい声を上げた。
「あ、完成?」
「まーだ。オイルとビネガーと調味料でマリネするとこまで、できました」
大きめのスプーンでボウルをかき混ぜながら彼は答える。
「あら、そう」
タイミングよく湧いた湯でコーヒー豆を蒸らし、トマスはトーストを焼きはじめた。
料理好きというのは素材の味を生かすためにどんどんシンプルな味付けをするようになるものだが、彼の場合は変わった調味料を色々と入れて無国籍な味を作るのが好きだった。それも、普通はその料理には使わないであろう調味料を使うのだ。分量も入れる物もその時の気分次第なので、彼の作る料理はスープでもサラダでもパスタソースでも、もう二度と再現できないメニューばかりだった。味の多層性だとかなんだとかをコンセプトにした彼独特の味付けをまだ彼のルームメイトは理解できないでいるが。
マリネしたジャガイモに軽く香辛料をふりかけたツナと刻んだハーブを入れ、マヨネーズと一緒にさっとあえる。片手でコーヒーを入れながらトーストに目をやり、素早くオーブンのスイッチを切った。余熱で程良く焦げ目がついたトーストに、室温でやわらかくしておいたバターをさっと塗って皿に載っけると、二人分の朝食の完成だ。アーモンドを食べ終わり、手持無沙汰なあまりカツラを外してぶんぶん振り回していた51%ガールは満面の笑みで席に着いた。
「曇り空だと、コーヒーが一際良い香りな気がしちゃうの」
マグカップを両手に持ちコーヒーの香りをかぎながら、彼女が呟く。
「へ~」
トマスは窓の外の白い空を見上げ、コーヒーを一口飲んだ。
「そうかもよ」
彼が微笑みかけると、マグカップを口に当てた彼女の瞳に柔らかな笑みが浮かんだ。
「ところで君さあ、いつもあんなことやってふざけているんじゃないだろうな?」
「あんなことって?」
ポテサラトーストに齧り付くのを止めて、トマスはピンと脚を振り上げる。
「なに?」
トマスの脚を見ながら、怪訝な表情で首を傾げる。
「これだよこれ!」
彼は彼女の脚を、足先で小突いた。
「なんだよその靴下!」
「あ、これ知らない?」
彼女は無邪気に脚を指し示す。
「何さ?」
「このバージョンのアリスって見たことない?」
「いや、そりゃあるよ。だから言っているんじゃない」
「なにか問題?せっかくアリスコスプレを通販で買ったのに、あなたは見たくないって言うの?」
「なっ、通販!?君、ネットやるの?」
「最近はじめた」
「そうなんだ…」
「サイトでも作ろうかなって思案しているとこなの。ブログとかはじめちゃおうかしら」
「あっそう」
冗談か本気かよく分からなかったので、トマスはその発言をとりあえず流すことにした。
「それより、アリスコスプレは悪のりが過ぎるからな」
「そうかしら?みんな歓んでいると思うけど」
「君、やっぱり他の奴の前でもああやってふざけているのか!?」
「分かるわよ」
51%ガールはにやっと笑って上目づかいでトマスの顔を見つめながら、ちょこんと彼の腕に指を置いた。
「心配してくれているんでしょ?」
トマスは口ごもる。
「時々思うのよ。どうしてわたしって存在は物質的に女性性を帯びているんだろーって」
「物質的に女性性を帯びている」
眉間にしわを寄せながら、トマスはそう繰り返す。
「肉体が女であるって、要はそういうことでしょ?」
「まあ、そうか。51パーセントくらい?」
「そういうこと」
「女性の身体ってハートにあるシーソーがほんの少し、本当にほんの少しだけでもフィーメルに傾いただけで、『あまいもの』を、胞子みたいに出すのよ」
「へ~」
トマスは思わず机の上に身を乗り出した。
「それって俗に言うフェロモンってやつ?」
「いいこと?わたしは断じてソレをフェロモンだなんて思いたくないの。かといって何なのかは分からないわ。ただ、すごくやりにくいぜ、と思うだけ。
男の人がバカになるのを見ると、自分がまるで爆弾かなんかになった気分になるもの。脳みその中でぱっと光って、その閃光の中に何もかも吸収しちゃう爆弾よ」
「ある。女性って、そういうところあるよ」
彼女が瞬時にドン引きした表情になったので、彼は慌ててくるっと首を回し窓の外を見た。
(今日って、一日曇りなのかな~?)
と、天気が気になってしょうがないみたいな顔を作って。
「とにかく女って面倒よ。ちょっと相手が魅力的だったりすると、一挙一動に『あまいもの』がふわふわ漂って困ることがあるもの」
「待ってよ、僕そんなの知らないぞ。君の『あまいもの』なんか見たことない」
「そりゃ見えないけど。まあ、それはそれで良いじゃない。それよりわたしがあなたのこと好きなのはね、」
「良くない。っていうか、何だ、その小ずるい言い逃れ方。なんで僕が好きかだって?」
「そう。あなたってほら、ぜんぜんヤロー臭くないから。だからわたしのお気に入りなんだな」
「ああ。そう…」
トマスはうっかりまんざらでもない顔になってしまった。
「これはちょっとした噂なんだけど、物質的に男性性を帯びている方が、
『オレって、価値ある人間だ』
『オレは、一人前の男だ』
『オレってスゲイ、アイツよりもスゲイ』
的なことを、思いたくなるらしいの。
本当だと思う?」
「うーん…」
トマスは少し考え込んだ。
「性別によって自己顕示欲が左右されるとは思わないけどなあ。ただ、これまでの歴史を見ると、そう推論することもできるかもね」
「もし、それが本当だとするなら疑問が一つ」
「なんでしょう?」
「自己顕示欲が強いならば、どうして家族だとか国家だとか、小さいこと言ってないで、
『オレは地球を守るのだ!』
と、ならないのかしら。
『オレが地球に平和と平等をもたらすのだ!』
って、どうして思わないの?」
「の?って、言われてもねえ…」
トマスは気まずげに言葉を濁す。
「だって、地球なんて人類にとってはまさに女性性のシンボルの極みじゃない。
だって、ガイアよ。女神なの。
それを大切に守るなんて、ヒーローそのものじゃない!
妻と子供だけとか、同胞だけとか、我が社だけとか、お気に入りのアイドルだけとか、そんなのよりずっとかっこいいいでしょう?」
51%ガールは大きく目を見開き、トマスに同意を求めるまなざしを送った。トマスは首を傾げながら、うーんと唸った。
「なんかもう、次元が違いすぎてよく分からん」
「そう?」
彼女は少し不服そうに頬を膨らませ目を伏せる。しかし、ほんの数秒後、ぴくっと顔を上げて彼の方を見た。
「あ!そうだ!じゃあ、寧ろこういうことにする?
『地球を守ろうとしてこそ、男』
って、もう、そう決めちゃう?
『地球を大事にしない男は、男にあらず』
そういうことにしちゃおうか。ねえ?そうしたら自然と、
『イエス、サスティナブル!』
『ゴーゴー、パーマカルチャー!』
みたいな気分になるんじゃない?
エコ男子とかスピリチュアル男子とか、もう実際モテてるし、いいじゃん」
「いいじゃん、って…」
トマスは苦笑する。
「まあ、僕はそりゃ賛成するよ。でもさ、そう決めちゃう?って言ったって、ここで人類の集団意識を決定しているわけじゃないから」
「意気地なしねえ!」
「えー、それとこれ関係ある?」
「そうだ!そうしよう!って、言いなさいよう」
「ごめん。ごめんなさい」
51%ガールは頬を膨らませ、きっとトマスを睨んだ。
「つきあいが長いんだから、わたしの扱いをもっとマスターしていてもおかしくないのに」
「修行が足りないな」
「そうね。詰めが甘いかもしれないわ」
「あ」
そこでトマスはふっと何かを思いついた表情で51%ガールを見つめた。
「それはそと、ねえ、君、一度尋ねておきたいことがあったんだ」
「なーに?」
トマスは少し躊躇したあと、こう切り出した。
「もしかして、いつか僕の前に現れなくなったりするの?」
彼女は無言で彼の目をじっと見つめ、すっと目を逸らす。
「現れなくなって欲しいの?」
「欲しくないよ!」
彼は切迫した真剣そのものの表情になって言った。
「でも、だいたいそんな感じじゃん?お話の中でもさ、すてきでふしぎなものっていつか姿を消すよ。主人公が大人になったら、とか、そんな頃に」
「え、トマスって大人になるの?」
「ふざけるなよ」
「はい」
「ねえ。いつ頃なの?もう決まっているわけ?」
「大丈夫。わたしはそういうシステム採用してないから」
トマスは疑わしげに51%ガールを見つめる。
「本当よ。だってわたし、湿っぽい話って嫌いでしょ?」
「そうだね」
「だから、仲良くなったところでサヨウナラっていう風にはならないよ」
「絶対に?」
彼女はこくんと頷く。
「僕が退屈なサラリーマンになっても?」
「ええ。そんな風になったら徹底的にいじめてやるけど」
「結婚して子供が産まれたりしても?」
「もちろん。結婚式なんて、いたずらするには最高の機会じゃない」
「僕がおじいちゃんになっても?」
「わたしもおばあちゃんで登場した方がいい?」
トマスは眉間にしわを寄せて顔を乱暴に横に振る。
「そんなこと別にどっちでもいいけどさ」
「そう?」
トマスはふーっと息を吐き出し、肩の力を抜いた。
「じゃあ、こういうこと?僕の前から消えたりしないって、そういうことだね?」
「そう」
「信じていいの?」
「そうしてくれる?」
「信じるよ?」
「ええ」
トマスはしばらく51%ガールの瞳をじっとのぞきこんでいた。彼女はうっすらと微笑み、その瞳をのぞき込み返す。ずいぶんと長いこと見つめ合った後、ようやく彼はにこっと笑った。
「良かった…」
51%ガールはトマスの肩に腕を回すと彼の耳元で、
「案外かわいいとこあるじゃないか」
と、ドスの利いた声で言った。
「ああ、どうぞ、どうぞ。気が済むまでからかうがいいさ!」
「拗ねないでよ。とってもうれしかったんだもの~!」
彼女はそう言ってトマスの頭を腕に抱えて鼻を押し付けると、髪にキスをした。それはまるで、動物同士がじゃれあっているかのような口づけだった。
その日、思いもよらない奇妙なハプニングが起きる。疲れきって大学から帰宅したルームメイトが、51%ガールが忘れて行ったカツラのせいで思いっきり滑って転んだのだ。カツラのことを問われて動揺したトマスは、咄嗟に酔っ払って帰って来た友人のせいにしてしまった。
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トマスの前から去りはしないと、51%ガールは断言した。にもかかわらず、彼女が彼に別れを告げる時はある日突然やってきた。