「バブルフラワー」1
人間の思考システムは、『可哀想な人』と思われるような状況に対して屈辱感を抱くようにプログラムされていることが多いようだ。
不思議だなと思う。
一番大事なのは、自分自身が『可哀想な人』と思われるような悲劇をどう受け止め(どう咀嚼し)、どう感じ(どう味わい)、どう乗り越えるか(どう消化するか)なのに。
思考回路が砕け散るような目にあったとしても、人はじっと止まっていられない。そんなのときの一歩目として陥りがちなステップミスは、自分のことを『可哀想な人』と思って見つめている他者の視線を気にして、すぐに立ち直ろうとしてみたり、気にしていないフリをしたりすること。もしくは、そんな視線に飲み込まれて、不運な主人公や人生の被害者なんかの『役』を引き受けてしまうことだ。
不思議だよね。
自分自身がどう感じているか。
それだけが自分にとってのリアリティなのに。
友達の失恋話を聞かされていると、僕はいつも途中でよく分からなくなる。ふられたことが辛いのか、『恋人に捨てられた人』という惨めな状態と自分がイコールで結ばれていることが辛いのか。
もちろん最初は、好きな人から一方的にサヨナラされたことが悲しいのだろうけれど、だんだんその悲しみが触媒となって心の中に封印してきた無力感だとか疎外感だとかが引っ張り出されて、自分自身を拒絶する精神状態になっていくんじゃないだろうか。そんな情けない状態に陥った自分が許せなくて、
「ダメじゃないの!」
そう叱り飛ばし、否定したくなる。表面的には、恋人を恨んだり、恋しがったり、呪ったりしながらも。
僕はずっと疑っている。母親を恨んでいるのか、それとも、「母親に捨てられた子供」という名の『可哀想な人』とイコールであることが、僕のプライドを傷つけたのか。
これはもちろん、僕の物語だ。そして、少なくとも、貴方と貴方の隣にいる人の物語。
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身の丈にあった人生、というのが僕の父方の一族のモットーで、親戚中が勤勉で(創造性が無く)堅実な(想像力が無い)性格を生かして安定した職業に就いている。誰が批判できるだろう?すばらしいことだ。
祖父母の自慢はなんと言っても僕の父で、一族の歴史上で最も勉強がよくできる子供だった。一流大学の理工学部に入学し博士号を取得すると、世界的に有名な企業に就職した。世界のトップ企業で専門職に就いた息子、というのが、とにかく彼らの自慢だった。父はコンピュータープログラマーだ。
父親はいつも忙しく、プロジェクトが大詰めになる時期には連日真夜中過ぎに帰ってくるほどだった。そんなとき僕は、祖父母や親戚たちのところに預けられた。当然のように彼らは、父の偉業を僕にも求めた。僕が勉強していると、親戚の連中は尊敬すら滲ませた声で誉めてくれた。僕は知った。
「ああ、ほら、この子はやっぱりジミイの息子だ!」
彼らはそう言うとき、一番うれしそうな顔を僕に見せてくれると。僕は勉強した。良い成績を取ると、僕の面倒を見てくれる人たちを喜ばすことが出来るからだ。
十六の頃に、友達と組んだバンドに夢中になったことがある。その時の集中砲火はひどかった。バンド活動のことを、『浮ついた遊び』と祖父は言った。その『浮ついた遊び』とやらを、祖父母や父の姉妹たちは非常に嫌う。
「父さんを悲しませるようなことだけは、しないであげてくれる?」
祖母はそう言った。孫心を揺らめかせる巧妙、かつ無責任な言いぐさである。自分の意見ではない、ただ、お父様を悲しませないであげて欲しいの、だなんて。
「改めるようにします」
僕がそう言うと、祖母はほっとした表情を浮かべた。そして何故か、今初めてそんなものに気づいたという顔で吸い寄せられるように僕の手を掴むと、ギターコードを押すのにぴったりの広い手をじっと見つめた。僕は驚いて、されるままになっていた。
「ああ、大変、遊び人の手になりかけているわ」
本気で憎々しげな感情を、僕はその口調の中に感じた。そんなはずないと思いながらも、僕は急にみぞおちが痛くなった。僕は家族に関するモヤモヤを感じると、みぞおちが痛くなるのだ。
その時はじめて、親戚中が長くて頑丈な指の、見るからに機能的そうな手をしていることに気が付いたんだ。キーボードの上を素早く正確に動く父さんの手もそうだ。有能で、機敏で、能率的な仕事上手の手。僕の手だけだ。平たくぺらぺらと軟弱そうなのは。
その後すぐに、祖母は僕の手のひらをぽんっと叩き、
「すっかり大きくなっちゃって!」
と嬉しそうに言ったから、祖母の口調に含まれる嫌悪感は僕の気のせいなのだと思うことにした。
ただ最近、思い出したことがある。父さんの本棚で見つけた一枚の写真だ。長い黒髪の女性が写っていた。彼女は川岸の岩に腰掛け、大きなハープを弾いている。パラソルが似合いそうな白いロングワンピースを着ているけれど、足は裸足だ。大きなブルーの石が付いたマクラメ編みのペンダントを付け、腕には魔法陣のようなタトゥーがあった。隣にはドレットヘアーの男が見たこともない長い角笛のような楽器を吹いていて、ヒッピー風の若者たちが周りを取り囲んで二人の演奏を聞いていた。
ハープの弦を掴む彼女の両手は、蝶のように細く薄かった。今にも気を変えて、風に乗ってヒラヒラと飛んでいきそうに。
母が家を出ていったのは、僕が四歳の時だ。
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僕は父より良い大学の理工学部に進学した。この年のクリスマスほど、僕が親戚中の注目を浴びたことはない。祖父母の家に集まった人々は、僕の大学生活について聞きたがった。どんな生徒たちがいて、構内や寮どんな風になっていて、講師はどんな顔ぶれなのか。僕が質問に答える度に、
「おーお、そうだろうなあ」
と訳知り顔でうなずく祖父が少しうっとうしかった。
僕への興味も薄れて、飲み食いも一段落し、みんなが三々五々顔を寄せ合って内輪話をはじめた頃、ジェーン叔母さんが僕に話しかけてきた。彼女の夫はなんらかの会社の社長で、ジェーン叔母さん自身も、なにかと手広くやっているようだ、というのが親戚の間での彼女に関する共通認識だ。彼女を前にすると、僕は何となくピンピン飛び跳ねる陸揚げされたエビが思い浮ぶ。
ジェーン叔母さんは、ワインをくいくい飲みながら、あっち突き、こっち突きした後で本題に入った。彼女が関わっているコンピューター会社のバイトをしてみないかというのだ。
「ちょうどバイトを探していたところだったんです」
そう言うと、彼女は大げさに感激した。アルコールのせいもあるけれど、割と彼女はいつもこんな感じだ。
「タイミングが合ったのね!縁よ、縁。ビジネスって、何よりもそれが大切なの!」
それから彼女の仕事に関する持論を延々と聞かされる間に、父方の血筋のアルコール耐性の高さがよく分かった。ジェーン叔母さんが、会社も家庭も自分がいなければ上手く回らないと思っていることや、自分だけが、会社でも家庭でも完璧に責任を果たしていると思っていることも分かった。彼女の娘のタニアはまるで違う意見を持っていることは、言わないでおいた。医学部に通う自慢の娘が、神さえ見放すレベルの自画自賛型石頭病末期という診断を両親に下しただなんて。
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