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「ドールハウスの幽霊/The Phantom of the Dollhouse」4

 さて、その後も時は流れ、さまざまな出来事がジェニィの周りで起こった。主題に関係のなさそうな部分はぜんぶすっ飛ばして、十五歳になったジェニィと、我々は再び出会うことにしよう。なぜって、ジェニィが人生初のピンチに陥っているからだ。
 十五歳の夏休み。ジェニィはしくしく泣いていた。初めてのボーイフレンドを里香ちゃんに奪われたせいだった。失恋はジェニィを部屋に閉じこもりがちにさせ、食欲を失わせた。ジェニィママとパパはとーっても心配した。ジェニィママはジェニィの好物を作り毎日部屋まで運んだけれど、ジェニィはほんの少ししか手をつけてくれなかった。
 困ったジェニィパパは、とある晩、ジェニィお気に入りのカップケーキショップでカップケーキをどっさり買ってきた。
 「ジェーニー!」
 歌うように、ジェニィパパは三階のシアタールームからジェニィの名を呼んだ。
 いつになく浮かれた父親の声に困惑し、ジェニィが何事かとシアタールームにやってくると、色とりどりのカップケーキが五十個も大皿に並べられていた。
 「さあ、どれから食べる?」
 陽気にジェニィパパは訊いた。金髪でピンク色が熱烈に好きな少女が主人公のDVDを、ジェニィパパは顔の横でひらひらさせる。
 「借りてきたんだ。一緒に見ようよ!」
 ジェニィは肩をすくめた。
 「勘弁してよ」
 その険悪な一言は聞こえなかったことにして、ジェニィパパはカップケーキがぎっしりと載った大皿を手に取り娘に微笑みかけた。
 「さあ、ジェニィから選んで良いよ~」
 「って言うか、そんな気分じゃないの。いらないわ」
 ジェニィはきっぱりとそう言い切ると、部屋に戻って扉をぴたっと閉めてしまった。
 ジェニィパパは、娘からけんもほろろの対応を受け、ショックのあまり里香ちゃんに憎しみを抱いた。「太っちゃう!」と叫びながらいっぺんに五つも六つも食べていた娘を返して欲しい。ジェニィパパは肩をがっくりと落とし、コーヒーミルで自ら挽いて煎れたホットコーヒーをぜんぶシンクに捨てた。
 夏休みも半ばを過ぎた頃、ようやくジェニィは涙で出来たプールの中から顔を出した。ふてくされることにも、鬱々することにも、里香ちゃんを襲う不幸を妄想することにも飽きてしまったのだ。とはいえ、サボりっぱなしの部活の練習に今更加わる気にもなれず、ましてや真面目に勉強をする気も起きない。現代っ子らしくジェニィはネットサーフィンをして暇をつぶすことにした。
 ある日のこと。ジェニィは人気アイドル、ケンの動画(※これらは所属事務所公式の動画です。)をほんの気まぐれで見た。バラエティー番組で身体を張って笑いを取っているケン。黄色い声を浴びて歌って踊るケン。涙ぐみながらファンに感謝を伝えるケン。彼女はそれらの動画に夢中になった。そしてそれ以来、ケンの動画を検索しては眺めることが日課になった。
 ケンの生年月日や趣味を暗記し、ファンサイト巡りが毎日の習慣になったころ、ジェニィはとうとう涙のプールから出てきた。ジェニィはケンのグッズを買うため、さっそく泉ちゃんを誘って源宿のアイドルショップに出かけることにした。帰りにカップケーキショップに寄る計画だ。
 失恋で痩せたジェニィは、持っている服のどれもが大きすぎ、キツかったはずのジーパンもベルトをしなければ履けないほどだった。ジェニィは仕方なくお気に入りのワンピースを諦め、古くさいデザインを我慢して、持っている服の中から一番スリムな服を選んだ。
 泉ちゃんは、待ち合わせ場所にやってきたジェニィがすっかり痩せてしまっているので驚いた。でも、なるべくそんな表情は出さないようにした。里香ちゃんとのいざこざを思い出させたくなかったのだ。なにより、ジェニィが明るい笑顔を見せたので、泉ちゃんは心底うれしくなり、容姿の変化などどうでも良くなってしまった。二人は久々の再会にはしゃぎながら、仲良く並んでアイドルショップに向かった。
 さて。その日、結局ジェニィと泉ちゃんは、カップケーキショップには行かなかった。向かっている途中で、ジェニィがモデル事務所にスカウトされたからだ。 
 モデル事務所に所属したジェニィは、「トレジャー」というティーン向けのファッション誌でデビューした。同時に週に一度、モデル養成所でウォーキングやポージングの練習もはじめた。半年後には「トレジャー」の専属モデルになり、同じ金髪碧眼のティモテーと共に表紙を飾った。デビューしてから一年も立たぬ内に、ジェニィとティモテーは「トレジャー」の代表モデルへと成長を遂げ、「トレジャー姉妹の一ヶ月コーディネート」のコーナーは、読者アンケートで必ず三位以内入るほどの人気連載企画になった。
 ジェニィは撮影が一緒になることが多いティモテーとすぐに仲良くなった。二人は撮影の合間に、用意されたお菓子をチビチビとかじりながら、海外のファッション誌「トミィ」をキャーキャー言いながら眺めた。
 「あ~キレイ!それに、なんてスタイルがいいの!世界中にモデルはたくさんいるけれど、ここに出ているモデルたちはみんなモデルの中のモデルよ!トミィの表紙を飾ることと、バリコレのランウェイに立つこと、あとピクシーエンジェルに選ばれることが、今最高のモデルである証明よね」
 ティモテーは「トミィ」のページを撫でながら、うっとりとした眼差しで紙面を見つめる。
 「でも、わたしじゃ背が足りないわ。もっと細くて、もっとゴージャスじゃないとダメだし」
 肩を落としながら、ティモテーはつぶやく。
 「あら、ティモテー以上にゴージャスな髪の人なんてみたことないけど」
 ジェニィはティモテーの髪を撫でながら言う。
 「まあ、髪は、ね。誰にも負けないけど」
 ティモテーはうれしそうに顔を赤らめた。
 「それよりジェニィ、貴方なら世界のトップモデルになれるんじゃないの?わたしよりずっと背が高いし。もう少し痩せなきゃダメだろうけど」
 「そりゃあ、トミィに出られたら最高だけど」
 ジェニィはスナックのかけらをゴクリと飲みこむ。
 「でも、スタイルがよくて綺麗な人なんていくらでもいるし。需要があるとは思えないもん。わたしみたいな容姿って、海外には掃いて捨てるほどいるでしょ」
 「そりゃそうだけど。でもせっかくデカいんだし、やってみる価値はあるんじゃない?わたし、もしアナタがトミィの表紙を飾るような年間数千万ドル稼ぐトップモデルになったら、みんなに自慢しちゃう!」
 「ありえないったら!」
 ジェニィは苦笑しながらも、内心胸がドキドキしていた。急に野望が芽生えたジェニィは、それまでの数百倍もモデル活動に力を注ぐようになった。トップモデルのインスタグラムをチェックしてファッションや生活スタイルを参考にし、彼女たちのポージングやウォーキングの研究もはじめた。
 世界中のモデルの卵たちの憧れはなんといっても、唯一無二のバービィだろう。ジェニィは日を追うごとにバービィに夢中になった。完全無欠の美貌を持つ者として、バービィはファッションビジネス界に君臨している。美貌と若さの世界で勝者であり続けるバービィは、そのパーフェクトな容姿を保つために誰よりも努力することでも有名だった。
 ジェニィは泉ちゃんに「トミィ」の表紙を飾り、バリコレに出て、ピクシーエンジェルに選ばれたいという夢を話した。
 「カッコいい!でも、ジェニィはそれ以上痩せる必要はないと思うけど」
 泉ちゃんは言った。ジェニィは失笑すると、
 「泉ちゃんは素人だから分からないかもしれないけれど、モデルって、ただの動くマネキンじゃないの。アスリートみたいなものなのよね。ライバルに負けないためには、厳しいトレーニングをして身体を作らなくっちゃいけないわけ。特殊な職業だから、理解できないかもしれないけど」
 と言った。泉ちゃんはジェ二ィの言い分に不服そうな表情を浮かべたけれど、最後には納得してジェニィを応援すると言ってくれた。
 高校を卒業すると、ジェニィは専属トレーナーの元、ハードなワークアウトをはじめた。「トレジャー」との契約が終了すると、バリ島の小さな小さなマンションの一室を借りた。売り込みに次ぐ、売り込み。オーディションに次ぐオーディションの末、ジェニィはとうとうバリコレのランウェイを歩く権利を射止める。
 バリコレの出場が決まった日、ジェニィは小さな部屋から見える海を眺めながら、ジェニィママに電話をかけた。
 「さすがはわたしの娘!勝ち残ったのね!わたしにはあなたが他の子とは違う特別な子だって、分かっていたわ!」
 ジェニィママは自分が偉業を成し遂げたかのように歓喜した。
 「さあ、これからよジェニィ。カリスマモデルジェニィの誕生。誰もがスターと認めるくらいに売れっ子になるのよ!バービィを越えるなら貴方しかいないわ!それから、セレブと結婚して…」
 血気盛んなママの性格を知っているジェニィは、ちょっと不安になった。
 「落ち着いて、ママ。それに、ちょっと勘違いしているかも。分かってもらえないかもしれないけれど、わたしは、モデルにとって最高に栄誉なことだから喜んでいるのよ。競争に勝ち残ったからではないですからね。世界中のモデルたちの憧れのステージに立つと決まって、身が引き締まる思いでいるの。選ばれたからには、それに相応しいモデルにならないといけないと思って」
 「あら、わたしにだって分かっているわよ。わたしでさえ興奮しているんだから。有名ブランドの服を一番に着られるなんて、女としてそれ以上の名誉がある?それが出来るのは、ほんの一握りの特別な人だけなのよ!貴方が成功への第一歩を踏み出したことが、ママ本当に嬉しいの」
 「うーん、ママ、でも、やっぱり分かっていないと思う」
 「どうしてそんな風に感じるのかしら?とにかく、こうと分かったら美保ちゃんのママたちをさっそくランチに誘わなきゃ。美保ちゃんが弁護士になったって話したかしら。それに、貴方には傷つくといけないと思って話さなかったけど、綺羅ちゃんは大病院の息子との結婚が決まったの。それで美保ちゃんと綺羅ちゃんのママたちったら、最近では娘の自慢話しかしないのよ。ようやく仕返しが出来るわ。不安定な職業で心配でしょ?なんて同情するんだから頭にきちゃう!」
 ジェニィは失笑した。ジェニィママは負けず嫌いな性格が年々いや~な具合に拍車かかってきている。ジェニィはママの妬み癖には慣れていたが、同時にほとほとうんざりしてきてもいた。ジェニィは早々に電話を切り、特別な夜を静かに幸せな気持ちで過ごした。


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