「バブルフラワー」5
就職活動の時期になると、僕はどんどん憂鬱な気分になっていった。もちろん、たいていの人にとってそうなんだろうけど。そのころには、『悪ふざけだけの人生が生きられたら最高なんじゃないか』と自分が本気で思っているらしいことに気づきはじめていたのだ。
うだうだと先送りにしている内に、周りに完全に遅れをとっていた。慌てて就職活動ちっくなことをしてみると失敗する。就職することに拒否反応を示してぐずぐずしていた割に、僕は生真面目にちょっと凹んだ。
理由は分かっている。人と比べたからだ。みんな選ばれている。みんなどこかに属している。みんな何者か、になっている。それなのに僕は、と。
僕は自分の中に、『どこかに属したい欲』があることに気づいた。そのとき、ジャンが瞑想クラスの途中で言っていたことを思い出したんだ。
「いや~な感じを抱いたら、そのいや~な感じの底に触れるまでとことん潜っていって、いや~な感じの底に何があるのか見てみると良いですよ」
なので、僕はソレを、やった。
バカみたいに素直に試してみると、なるほど良い方法だった。僕の中にある属したい欲の底には、『他者から必要とされたい自分』がいることが分かった。自由奔放に好き勝手やるのが好きなくせに。縛られるのが、すっげー苦手なくせに。
確かに、凹んでいる理由の大元が分かったって何も変わらない。問題は解決していないんだから。でも、いざ自分の心理トリックに気づいてみると、案外凹む必要が無いことで凹んでいたりするから侮れないのだ。
それからしばらく、何かモヤモヤする度にジャン直伝の「いや~な感じを抱いたら…」を試した。自分のことが方程式を解くように単純化されていくのは悪くない。
大きな収穫もあった。僕は成功者になりたいなんて、一度だって思ったことがないと気づいたことだ。成功することが人生だ、というのは父さんや父さんの両親の価値観であって、僕の物では無かったんだ。
これがどうして僕にとって重要な気づきだったかと言うと、ダサいからあんまり言いたくないけど、成功者だと思われるために勝ち組とつるんでいたいという想いが、チラチラと僕の脳裏をかすめ葛藤を引き起こしていたからだ。でも本当はそもそも、僕は成功したいなんて一度も思ったことがなかったんだよ。ワオ!
それにしても、改めて自分の思いこみやセルフイメージを洗い出してみると、とても奇妙に思える発見の連続だった。自分の本心に反する思考回路の癖に気づく度に、過去の自分に同情した。どんだけ一人SMプレイしてきたんだ、と思ってさ。いざ向き合ってみると、一番理解できていない他者は自分なんだって気づく。
僕はサンドイッチ・ショップでそのままアルバイトを続けることに決めた。大学も辞めた。うん。そう。辞めた。驚くね?でも、こういうとこあるんだ、僕って。もう興味がなくなったらポイッ、みたいな。だから、辞めた。だって、もういらないんだもん。
じいさんたちね?そう、大変だったよ。
ねえ。家族の何が困るって、僕の場合、どうやって受けた愛情を返していいか分からず途方に暮れてしまうってことだ。
ほら、自然災害が起こった時に、避難先でTVのインタビューを受けた人がこんな風に言うことがあるでしょう?
「いろんな人たちが支援してくれてとても助かっています。落ち着いたら、この恩をみなさんにお返ししたいです」
僕は思ってしまう。
「いいよ。恩返しなんて。だって、君は十分、大変な目に遭っているのに。その上に恩返しなんてする必要ないさ」
僕は恩知らずかな?薄情なの?どうしようもないダメ人間だってことは分かっているけど。
僕、だけど、幼い僕の世話をしてくれて、面倒を見てくれた人たちには感謝しているけれど、それでもとにかく、誰かの顔色を窺うのがもう嫌なんだと思う。酷い奴だ。でも、どうすればいいんだろう。機嫌を取ろうとすると、僕は自分を偽ることになるし。一緒にいるときに居心地が悪いなって感じているのも、けっこう失礼な気がして。
愛情や優しさをたっぷり受け取っているから、好かれたいのに、望まれる人間になりたいのに、最後には期待に応えられずがっかりさせてしまう。
これは当然のことだと思うけれど、祖父母にとって僕は「裏切り者」だった。もうかばってくれるロビン伯母さんもいない。なぜだか彼女とはあのリトリートセンターに行って以来、距離ができてしまっていた。これはホント、僕の人生で三本の指に入るくらい痛いことだった。人間関係って分からないね。
父さんのやり方はいつもの通りで、まずは口論からはじまり、途中から独壇場になる。怒鳴りつけ、僕の欠点を並べ、どれだけ自分が僕に対してこれまで我慢してきたかを滔々と語る。
逃げられないように追い詰めておいてボッコボコにする、というのが親父さんのやり方だ。言葉で、の話だけれど。僕の心が青息吐息になった頃、
「勝手にしろ」
「俺はどうなっても知らないぞ」
で締めくくられる。でも、もちろんそれで終わったりはしない。父さんはこれ見よがしにコミュニティーカレッジのパンフレットや、職業訓練学校の冊子をリビングのテーブルの上に置くようになった。
「いつまでサンドイッチ・レストランのエプロン付けておくつもりだ?」
というわけ。
「そんなんじゃ男の人生を生きられないぞ」
みたいな。
親戚中のコネを使って少しでも「まとも」な仕事に就かせようと頑張ったのは、祖母だった。でも彼女の意見はちょっと違う。
「このままじゃ、年増女と結婚しちゃうわよ」
なんとレアが僕を誘惑していると思っているのだ。ロビン伯母さんが(まだ仲良しだった頃)、僕がアルバイトを頑張っていることを祖父母に印象づけようとして、活躍ぶりを話したのが災いした。
僕が考案した米油をつかったクラッカー&手作りジャム&チーズディップのピクニックセットがヒットしたらしいとか、サンドイッチ・ランチボックスに食べられる花を飾るアイディアが好評だとか。僕が意外な才能を発揮したことで、TVドラマ好きの祖母は彼女らしい方向に勘ぐった。これはデキとるぞと。でもって、まあ、それは仕方ない、まだ若造だ、とはいえ、結婚となると話が違う。というわけで、とにかく何とかしてサンドイッチ・レストランから、というよりレアから僕を引き離したいみたいだ。猪突猛進型の祖母をあしらうのは、とーっても面倒くさい。
・△*◆▽▲▽・△◎
当然ながら、程なくして家で過ごすのが気詰まりになってきた。僕は前々から心に抱いていた野望を実行に移すときが来ていると思った。これまでアルバイトで稼いだお金を使ってバイクを買い、野宿をしながら放浪してみたいと密かに計画を練っていたのだ。
サンドイッチ・レストランの仕事を辞め、僕は本格的な根無し草生活を開始した。間違っている?多分そうだろう。でも人は人生の中で一度、このイニシエーションを越えなくてはならない。気が狂っていると思われようが、みんなから否定されようが、自分を表現し続けることを決意する時期が。それは一瞬でピタッとハンコを押すように下せる決意なんかじゃ無くて、揺らぎ惑いながら自らの意図を研ぎ澄ますことによって成される決意のことだ。
荷物はほとんど無かったけれど、ホームセンターで買った安物のヨガマットだけは忘れなかった。夕方や夜にヨーガをするのが僕の楽しみになっていたから。時に満月の夜のヨーガはすばらしい。満月の時期の月明かりを浴びているだけで気持ちいいほどだ。あまりにも心地いいので僕は、ヨーガのポーズを休憩しては、あぐらを組みどちらかの耳を下にして大地に顔をつけて全身で月明かりを味わう。こうしていると、羊水の中にいる赤ん坊のように心が安らいでくる。
時にひどく惨めな気分になることもある。誰一人として味方なんかいなくて、ジュラ期の地層に眠る化石くらい孤独だと思える日が。そんなとことん打ちのめされた気分の夜には、僕はでたらめな節に自作の歌詞をつけて歌い、気持ちをリセットすることにしている。
例えば…。
さんざん我慢して積み上げてきた物を
いっぺんに窓から放り捨ててしまったんだ
取り戻そうとしても
もうはるか彼方
時は降り積もらないから
砂時計に詰まっているのは
後悔かもしれない
僕ができることは
砂時計も窓から捨てることだね
誰一人として理解してくれなくても
散々罵られても
僕には君たちがいるから
僕は僕を表現する
泣き疲れた子供みたいに放心状態で
人生にはお手上げだ
君を呼ぶことしかできない
君を呼ぶことしかできない
僕は僕の中へ呼びかける
僕の中にいる君たちに呼びかける
君は僕だから
自分に助けを求めることを
僕はすぐに忘れてしまう
人に甘える前に
まずは自分に甘えないとね
泣き疲れた子供みたいに放心状態で
人生にはお手上げだ
僕は僕を呼んでいる
僕は僕を呼んでいる
答えはいつも僕の中にあるから
神というのは間違いなくドSだと思うけれど、言葉というのは神のお情けなんだろう。自分の気持ちを言葉で表現すると、なぜだか少し慰められるから。もう二度と歌えない歌が、たくさん出来たよ。
そんなしょぼくれた気分の日ばかりじゃない。自分に自信満々の時もある。僕は確かに単純で、美味しいサラダが作れただけで人生は完璧だと思えるくらいの人間だから、たとえば美しい景色に巡り合ったり、優しい人に出会ったりすると、この世界をまるごと愛せるような気分にすらなる。
そう言えば綺麗な夕日を見ると、父さんを思い出すんだよね。まだ今ほどはピリピリした関係じゃなかったときに、たまたま家の窓から二人でとびきりの夕陽を見たことがあったんだ。桃色と、綺麗な淡いパープルの夕陽だった。僕も父さんもすっかり感動してさ、男二人が窓辺に張り付いて夕陽に見とれていた。
ほんの五分くらいだったかもしれない。でも、あんな風に気持ちが一つになっていたことは無かった気がする。だから、とっても濃密に記憶に残っているんだよね。美しさ、というのはきっと人の心を一つにするのが得意なんだ。だからみんな、音楽が好きだし、美しい自然が見られる場所にはるばる出向いたりもするんだろう。
僕はその夕陽を見ながら思ったんだけど、もし死ぬ前に父さんのことを思い出すなら、この瞬間のことが良いなって。
結局ゆらゆらと八ヶ月かけて放浪した。ああ、一度ワインファームで住みこみのアルバイトもしたっけ。一日でTシャツから出ている腕と手の甲が丸焦げになったんだ。丸焦げだよ!本当に!
一日でこの状態なら、一ヶ月仕事を続けただどんな状態になるんだと思うじゃない。僕は本当にショックで、思わず帰りのトラックでじーっと黒くなった手に見入ってしまった。本当に信じられなくて。でも、ファームの常勤スタッフのオバサンやオジサンたちから、
「オーバーだな、ハッハッハッー!大したことないじゃないか!」
みたいな感じで笑われてね。この人たちとは気が合わない、と思ったよね。良い思い出だ。
まあ、仕事に対する感触の良し悪しというのは、結局のところ働いている人との相性に尽きるのかも。
そんなこんなで七ヶ月目を過ぎた頃、海岸沿いの街でとうとう僕はサーフィンと出会ってしまったというわけ。浜辺をプラプラしている時に出会ったサーファーから板を借りてはじめて試したんだけど、あんな風にすぐに夢中になれるものに出会ったのは初めてだった。あの変なリトリートセンターの湖でイルカと泳いだときも、どうも水と気が合うみたいだな、とは思っていたけれど。
僕はボードを貸してくれた青年ネイトの紹介で海辺のアウトドアショップで働くことになり、海の近くにアパートも借りた。
クリスマスに祖父母の家に言った時にそのことを告げると、祖父は、
「サーフショップの店員!?」
とひっくり返るような声で言った後、心の底からバカにしたように「ふんっ」と笑ったものだ。その上、
「サーファーにでもなるつもりか?」
と、これまた侮蔑した口調で訊ねて下さった。
かつての僕なら、もっとこの質問に傷ついていたかもしれないと思う。今からプロを目指すにはどうすればいいか悩んだり、もっと早くにサーフィンを始めていれば良かったと後悔したり、プロになれないことを歯がゆく思っていたかもしれないんだ。でも、成功する、という目標が自分の中にあるアイディアではなく父親からの借り物だと分かってからは、一角の人物になれないことが気にならなくなった。
「もしマトモな道を進んでいたら、今頃トップレベルのプログラマーになっていただろうって、ジミイが言っていたわよ」
そう告げ口するジェーン叔母さんは、非難がましい口調ながらどこか楽しんでいるような表情をしていた。
「勿体ない」
祖母は吐き捨てるようにそう言った。
「子供の頃に勉強し過ぎたんだのがいけないんだ」
というのはジェーン叔母さんの夫の意見。
祖母は、僕がコミュニティーカレッジに通っていると話したことで、少し機嫌を直してくれた。もう諦めきっている祖父と、まだ自分の自慢の孫に戻ってくれる可能性を捨てていない祖母のどちらがありがたいのか、自分でもよく分からないけれど。
ただ残念ながら、これはわざわざ祖母に言う必要はないと思うけれど、僕が通っているのは絵を教えてくれるクラスだ。
僕がバカをやってきることは親戚中が知っていたから、皆々さま腫れ物に触るように接してくれて、なかなか興味深かった。久々に会ったタニアが相変わらず親しげに話しかけてくれたのには、ほっとしたな。でも、彼女が愚痴っぽくなるくらいに疲れているのは心に引っ掛かった。
「仕事がハードすぎて。ストレスがすごいの」
と、タニアは苦渋の表情で話していた。その顔が彼女の母親に似ていたのにもちょっと驚いた。
「ヨーガでもしてみたら?ただのストレッチでも良いけど。身体をほぐすと、気持ちも一緒にリラックスするからね」
僕がそう言うとタニアは、
「そんな暇あるかしら」
と、ぼそっと呟いていた。
「ああ、いつだったかヨーガをやりにリトリートセンターに行ったことがあったわよね。ロビン伯母さんと」
「ずいぶん前だけどね」
タニアはロビン伯母さんに声をかけ、
「ねえ、どうだったの?」
と尋ねた。
「イマイチ。まあ、でも、人によるんじゃないの?わたしには合わなかったわ」
彼女は僕とは一度も目を合わさないでそう言った。
「まあ、確かに相性ってあるわよね。あのリトリートセンターってどうなのかしら?評判は悪くないみたいよね。だって、ずっと続いているんだし」
「ああ、あそこはおすすめだよ」
僕は言った。途端、ロビン伯母さんが口をすぼめて厳めしい顔つきになった。
「あそこは止めときなさい。大したこと無いわよ」
僕は何もいわなかった。でも、ロビン伯母さんの顔をまっすぐに見つめた。あのギリシャ風の柱や湖やイルカを「大したこと無い」だなんて、僕にはとても言えやしないな。
・△*◆●▽▲▽・△◎
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?