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【第三章】 開花し始めた高校時代

“The Road to Major League Soccer”
~ Story of Yutaro Tsukada ~

塚田悠太郎:オーランド・シティSC 所属 🇺🇸

- 取材/文: 生田 奈々 -

目次:Table of Contents


新たな成長を求め飛び込んだ高校サッカー。しかし塚田を待っていたのは決して順風満帆とは言えない毎日だった。

とにかくサッカーを楽しくやりたいという思いと共に埼玉県の聖望学園高校に入学。試合出場が少なく現実を目の当たりにした中学時代、高校では試合出場が第一の目標であった。塚田は高校入学後すぐにその実力が認められ、最初の大会からスタメンで出場し活躍。「高校1年生の頃は試合に出してもらって手応えも感じましたし、自分がやりたいサッカーが楽しくできるようになっていきました。徐々に自信を取り戻していったのを覚えています。」しかし高校2年生の試合中に右手を骨折。そこからCチームに降格し、試合に出られない不遇の時期を約1年間過ごした。「3年生でもCチームで試合に出られなかったら、日本の大学にも行けないなと思ったんです。」その時塚田は進路のことを考え、Zero-Zero代表の假屋氏に話を聞きに行く。「話を聞いてみて最初は単純にアメリカは良いなと思いました。英語を話せた時のメリットの話を假屋さんがしてくれたのが印象に残っています。例えば日本語でGoogle検索して100件しか出てこないことも、英語で調べることでより多くの検索結果が出て情報量の幅が広がるよって話してくれて、なるほどなと感じました。」アメリカ留学を視野に入れ始めた高校2年生の夏。

その後、新チームになったタイミングで塚田はキャプテンに直談判をし副キャプテンになる。「副キャプテンはキャプテン指名で決まるんですけど、手の怪我のこともあってずっと試合に出れていなくて…副キャプテンになれば試合に出してもらえると思っていたので直接キャプテンにお願いしに行きました。」こうして副キャプテンになった3年生ではエースナンバー10番を背負い試合に出場し、結果を残す。昔のチームメイトからはプレースタイルが変わったという声も。「悠太郎ってそんなにドリブルしてたっけってよく言われましたね。ドリブルが楽しくてやっていたらいつの間にかこんな感じになっていました。」この頃から今へと繋がる塚田のプレースタイルが構築されていった。長い日は12時間ほどグラウンドで過ごした高校時代。「そこでずっとキーパーつけてシュートしたりディフェンス呼んで一対一したりとか…遊びがてらですけどずっとボールに触れて自主練をしていました。単純にグラウンドにいるのが好きでしたね。ボールを触っている時間で言えばどの高校生よりも多かったと思います」と塚田は振り返る。走りのトレーニングも過酷なもので、現在もメンタル面で活きているという。

高校3年生で活躍しだしてからはJリーグのチームからも話があり練習にも参加したが、自分自身がプロにいく準備ができていないと感じたため断念。「高卒で学業を捨ててサッカーに専念する勇気がありませんでした。当時は身体も小さかったですし、プロに行っても思うような活躍ができないかなと。」自分の将来と向き合った結果、大学に行って人間としてもサッカー選手としても成長してからの挑戦でも遅くはないと判断した。

こうしてアメリカでのサッカー留学を決意した塚田。「実際に想像した時により挑戦的に感じたのは間違いなくアメリカだったんです。」アメリカでは学生アスリートの文武両道が求められ、学業とスポーツの両立によって更なる成長を望むことができる。そういった経験をキャリアや人生に活かしていけるのもスポーツ留学の魅力の一つだ。

高校では最終的にインターハイで埼玉県準優勝、全国高校サッカー選手権ではその後優勝する強豪昌平高校に準決勝で敗れベスト4。個人としては好成績を残せたもののチームとしては思うような結果が残せず悔しい思いをした。嬉しかったことよりも悔しかったことや辛かったことのほうが圧倒的に多かったという。しかし高校で得た仲間や思い出は、現在も彼の中で大きな支えになっている。「高校の時は今の自分と比較しても人間的にもサッカー的にもまだまだ未熟だったなと思います。でも大切な事をたくさん学ばせてもらいましたし、仲間との思い出は宝物です。」とにかく楽しくサッカーがしたいと願い入学した高校で塚田はその願いを実現し、かけがえのない仲間と経験を得た。結果だけを見ると決して華々しいものではなかったが、熱く泥くさい塚田の青春がそこにはあった。


塚田選手の最初の印象は記事にも書いてある通り、シャイで物静かな青年でした。インタビュー当初はまだ大学生でどこかあどけない表情で語っていた彼も記事作成終盤には正式にトップチームの選手になり、大人な顔つきに。試合での複数得点獲得やトップチームでの初出場、契約など短期間での進化は目を見張るものがあり驚かされました。自分の置かれている状況に対応して、芯はそのままに柔軟に変化していく彼の姿は頼もしく、今後に期待せずにはいられません。そんな彼の躍進は素晴らしく、日々努力を続ける姿はライターである私の刺激にもなりました。サッカーに関して全くの初心者な私のトンチンカンな質問や繰り返される同じ質問にも嫌な様子を一切見せず、分かりやすく真摯に答えてくれて本当に感謝しています。素人が見てもすごいと分かるスーパープレーを放つ彼のサッカーから引き続き目が離せません。これからも塚田選手らしい活躍を楽しみにしています。 

- 取材/文: 生田 奈々 -


假屋さん(Zero-Zero株式会社代表)には入学前の手続きや大学への売り込みなど最初からたくさんのサポートをしてもらいました。自分では出来ないことだらけだったので感謝しています。渡米後も相談をした時はアメリカ留学というものを一番理解してる假屋さんだからこそのアドバイスをしてもらえて助かりました。アドバイスも『こうしろ!』という感じではなく、色々な可能性や選択肢について話してくれるので、とても分かりやすくタメになりました。自分は使っていませんが就活のサポートもあるみたいで、アドバイザーの方に相談出来たりとサッカー引退後のセカンドキャリアまで応援してくれるのは本当に心強いと思います。Zero-Zeroはどんな選手であっても手厚く、サッカー選手としてだけではなく一人の人間として、将来社会に出た時に活躍できるようなサポートをしてくれると思います。

- 塚田 悠太郎 -

Zero-Zero株式会社
アメリカ大学スポーツ留学
https://www.zero-00-zero.com

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