「パンドラの箱」開いたら、チブが出てきた 〜昨年の「インクルー"恥部"」への旅〜
先日は、昨年影響を受けた曲の内の一つ、YOASOBIの「群青」について、こんな記事を書いた。
今日は、YOASOBIの「群青」とタッグを組んで、私の中にある恥部をインクルー"恥部"するに至った曲、Radioheadの「Creep」と言う曲の歌詞から、私が何を感じ、どう「インクルー"恥部"」されていったのかについて、言葉にしてみたい。
予めお断りしておくが、おそらく、おそらく、Radioheadが込めていたメッセージとは違うインパクトを僕は受けているなので、Radioheadが何を伝えたかったか?と言う観点ではなく、私がどんなメッセージを受け取ったか?と言う観点で書いていく。
キラッキラになれない劣等感まみれの僕
「Creep」は、こんな歌詞で始まる。
もう、綺麗で美しくて、完璧で、輝いているスーパースターみたいなキラッキラなものが、好きで好きで好きで好きで仕方がないほど、大好きな感じです。
はい、かつての僕です!(てか、今でも嫌いじゃないけど、以前は妬みのエネルギーがありましたが、今はフラットに受け取れます。)
そして、同時に歌詞の中から、そんなキラッキラを直視できない虚しさの心情が表現されているように思う。(「目を見れなかった」的な歌詞が混ざっている)
はい、かつての僕です!
そして、そんな「綺麗で美しくて完璧なスーパースターなキラッキラな感じになりたーーーーーい!!!!」と言う、So Fuckin強い願望と共に、「現実との乖離に対する物凄い葛藤と悲痛と妬みと嫉みの叫びが、肥溜めのように溜まって、押し止められずに、身体中の毛穴からぷしゅーーーーっと噴火して、体臭からもプンプン臭ってきます。
はい、かつての僕です!(神さんからは、身体中から恨み辛みが噴き出ているような気がする…と言われていました。)
これが「本当の自分」?
そして、ここからサビに入って、クライマックスにいく。(ちなみに、このタイミングで、「ガガっガガっガガっガガ〜〜〜〜〜ン」と言うディストーションの効いたイカしたエレキが突然ドッカーン!と入ってきて、いきなりロック感が増す。それまではしっとりした感じの曲。)
でも、僕は、「キモいやつ」
僕は、「変人」
…ときました。
僕は、ここで一体何やってんだ?
ここに僕の居場所はない。
…と続くわけです。
恐らく、恐らく、Radioheadが表現したかったのは、そう言う憧れになれない心の虚しさ、切なさ、無力感、諦めのような気がする。
ただ、これを聴いた時、僕は…
…とズキュンと突きつけられた。
なんかこれまで自分の中で、暴走しまくって、ちょいちょいプチ爆発して、たまに核爆発して、自分を裁き、罰し、戒め続けていた声が、一気に小さくなっていく感覚があった。
「本当の声」「恥部」に光が当たる
続いて…
そう。
僕は、支配したかった。
子供の頃、僕をいじめた奴らを見返したかった。会社員時代、俺を社内リストラした上司とか、「いらねぇ」とか言った上司とか、俺の提案を失礼極まりない態度で無視するように連絡取れなくなった客とか、優秀だった兄とか、圧倒的な威圧感でねじ伏せてきた父とか、俺から遊び相手を奪っていた一個上の奴らとか、馬鹿にして見下し続けた一個上の奴らとか、圧倒的な力でねじ伏せてきた白人の同級生とか、俺を無視し続けたあの夏の工作教室の糞先生とか、悟りを開いたかなんだか知らないけど達観した態度で俺に関わってくる内面の意識変容を扱う対人支援業界隈にいる奴らとか、そう言う奴ら全員にギャフンと言わせたかった。
俺に屈服しろ。
俺に従え。
俺を敬え。
俺を崇めろ。
俺は正しい、お前は間違っている。
俺は支配したかった。
そのために、完璧な身体が欲しかった。
そのために、完璧な魂も欲しかった。
完璧になれば、俺は支配できると信じていた。
俺がいない場所でも、存在感を感じられるくらい注目されたいし、有名になりたかった。どこでも話題の人でいたかった。
とにかく、So Fuckin Specialになりたかった。
そう、これが僕の中にあった「本当の声」であり、確実にそこに「ある」のに、あまりにも不都合だから、それを「ない」ものとしてずぅ〜〜〜〜〜〜っと扱い続けた「恥部」の一つである。
Radioheadは、その声を表現して、その僕の中にあった「本当の声」「恥部」に光を当ててくれた。そして、光が当たると、今まで闇にあったものは、光に包まれる。お日様が当たる。
「あああ、そんな悲痛の声がずっとそこにあったんだね。ごめんね、ちゃんと聴いてあげていられなくて。うんうん、そっか。ずっと痛かったんだね。ごめんね。うんうん。ごめんね。」
…と、優しく受け入れていく感じ。
そうすると、闇の中で叫び続けた声は、静まっていく。40年近く、開きっぱなしで、通気性のないセロハンテープで蓋された、もはやぐちゃぐちゃに腐った傷が、酸素にあたって、乾きを取り戻していく。
そんな感じ。
これが「本当の自分」
でも、本当の僕は…
変態?変人?キモい?
ちょっと感じてみよう。
…と言う感じ。
この辺りは、自分でもよくわからないんだけど、あえて言葉にしてみると…
…と言う感じかな。
インクルー"恥部"への更なる旅路
旅の続きに、内観研修があるのだと思う。
内観研修で…
自分が家族から無条件の愛をもらっていたこと
家族が、「やりたいことをやること」をずっと応援していてくれたこと
父と兄の冒険する力強さが自分に備わっている
…と言うことが腹に落ち、体に染み渡ったことで、「社会を屈服させたいと思っている自分」の声がより一層浄化された。なんか許しを出す許しを自分に出せた感じかな。
そして、「「キモい自分」は本当に問題なのか?」と言う問いの答えが内観研修で出て、「キモい自分」を受け入れたのだと思う。
すると、「キモい自分」を表現する活動が一気に加速していく。
「キモい自分」を表現すると、傷口は、ゆっくり治療されていく?
きっと、傷口は、まだまだ完治していない。
40年間連れ添った痛みだからね…そう簡単に完治はしないだろう。
ゆっくりゆっくり、陽の光をあて、酸素を与えながら、治療している感じ。
たまに間違って引っ掻いて、また傷口が広がることもあるけど。
加えて、「キモい自分」の表現方法もまだまだヨチヨチ歩きだ。だって、生まれたばかりで使い慣れていない。
ただ、この「キモい声」「キモい自分」を表現していくことが、実は傷口の治療につながっていく気がしている。半年前のような、妬み嫉みの感情が、根こそぎなくなってしまって、どちらかというみんな大好きになってきた。
今は、前よりも確実に「ありのままの自分」に近づいている気がする。
よく知らんけど。
最後に、恒例の宣伝です。笑
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人の好きを笑うな。