世界がカラフルになった理由。

『どうせ私なんか。』『だって、私のせいじゃない。』それが私の口癖だった。

キラキラしてないとわかっていても、どこか期待をしていた。会社にも自分自身にも。弱くて小さくて惨めな自分を見られたくないから、虚勢をはってちっぽけなプライドで奮い立たせていた。見るひとが見れば分かったのだろう、小娘が生意気にいきがっていると。私はモノクロの世界に取り残されないように、必死にしがみついていた。

「食べれば気に入られる」にわかに信じがたいそんな言葉を信じて食べ続けた。いや、その盾を武器に欲望を満たしていただけだと今なら分かる。「仕事が遅くなったから夜中に食べても仕方がない」「ストレスの捌け口は食べること」「私より太ってるひとがいる」怠け者がいうセリフトップ3みたいなものが私の盾だった。

気がつくとそこから抜けられなくなり、自虐することでしか輪にいれてもらえないのではないかと思い出した頃にはもう遅かった。太ってるといわれることも、いじられることも受け入れた。すこし痛む心にさえ目を閉じれば、私はとても快適に生きていた。太ってても仲間はずれにされない、それだけが私のささえとなっていた。友達でもない彼らを失う何が怖かったのだろう、と思うでしょう?私の世界はそれがすべてだったの。

『痩せれば?一緒に。』

きっかけはそんな言葉をかけられたことで、人生2回目のダイエット開始。どうとでも言い訳はできたし、やらないこともできたのにちょっとだけ自分を変えてみたくなって真面目にやってみたりした。運動もしたし、食事も気をつかって、変わった先の未来へワクワクが止まらなかった。

いや、そんな綺麗事ではなかったかもしれない。すこし変わったときに「キレイだね」っていわれたことが耳に残っていたからというのが本音。

しかし私は環境の変化にカラダとココロが追い付かなくなってしまった。何を食べても味がしない、ベッドから起き上がれない、何をしても楽しくない。昔から気分の波はある方だけどあちこちに影響が出ていた。それでも約束は果たしたくて、そんな毎日でも少しだけ食事に気をつかうようにした。自分を大切にしてみようと思えるようになった。周りから言われる「自分を大切にする」の意味の端っこがやっと分かり始めた。

味覚はまだ完全には戻ってないけれど、少しいいご飯をひとりで食べに行くことカフェでのんびりすること美容院に行くこと。当たり前の生活に少し余裕をつくったら、少しずつ、ほんとに少しずつ体型に変化が現れた。

真ん丸だった顔は、元の骨格が分かるようになってきたし、お腹周りもスッキリしてきた。足は変わらず太いがまあ時間がかかって仕方ない。でもまあ時間をかけて太ったんだから当たり前か。気がついたら服のサイズがどんどん小さくなり選択肢が増えた。冗談でもデブといわれることがなくなった。まぁ、痩せてはいないし痩せた方がいいとは言われるけど、ね。
何をするにも少しずつ世界が優しくなってきたように見えた。私の目には少し色づいた世界が開けてきた。

『あぁ、私が世界から背いて歩いてたんだ。』

モノクロの世界でいいや、とあきらめていたのは自分だったんだね。分かってくれない世界が悪くて、自分を中心に世界を回したがってたのは私だ。

痩せることが全てではない、それにこんなこといっても私はまだまだ素晴らしい体型ではない。
でも自分が自分であると認識できるまでになったいまは、すこしだけ世界に色が戻ってきた

カラフルな世界になるのはいつだろう。「私は私らしく」というのが1番嫌いな言葉だったのに、自分を取り戻すには1番必要な言葉であることに気が付いてからは、大切にしている。

きれいな世界へ、さぁ歩きだそう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?