【ネタバレ有り】シャニアニ2nd 三章を見て勝手に泣くオタクになった

シャニアニ2nd第三章を見た余韻から生まれた感想

よく泣きました。
特に10話後半はさめざめと泣きながら見ていました。
5分以上常に涙が供給され続けていたような状態でした。

おもしろかったです。
2ndでここまでキレイに締めてもらったなら、1stの出来も羽ばたこうとした足跡として暖かく見てやれるというものです。


上映が終了した帰り道、映像を反芻しながら余韻に浸っているとき、
ふと、鑑賞中の自分を思い返して「なぜこいつはこの映像でこんなに泣いているんだろう?」という感想を抱きました。

「どんなアイドルになりたいか?」という問いに悩む智代子。
暖炉の前で、他のメンバーにそのきっかけとともに思いを打ち明ける。
メンバーはそれを暖かく受け止め、智代子はなりたいアイドルの答えを見つける。
箇条書きにしてしまえばそれだけの話が、シャニアニ特有の誇張しすぎない演出に乗せてさらさらと流れる。

それがより一層、彼女たちの物語でない「生」をそのままスクリーンに映したように錯覚させ、それを見つめて静かに涙を流す私というオタクの存在を非常に奇妙なものに感じさせました。

確かに、発生している事象としては、私はシャニアニを見ながら涙を流しているのですが、涙を流させているのはシャニアニの映像だけではなく、シャニアニを見ることで脳裏に駆け巡るシャニマスの記憶たちでした。

樹里が言う。「チョコはいつだって本気だっただろ?」
私も知っています。
個性を求めて迷走するほど本気でアイドルに向き合っていたことを。
チョコアイドルという武器に対して抱いている覚悟を。
叶えられなかった友人の夢を代わりに背負ってしまえる優しさを。

恐らく、シャニアニを鑑賞するプロデューサーが見ている映像は全て同じものでも、その脳裏に流れるシャニマスの記憶たちは誰一人として同じものはなく、色々なシーンで、色々な感情が呼び起こされているのだと思います。

乱暴な言い方になってしまうのですが、なんというかそれが、すごく「シャニマス」であるように感じて、私が見てきたこのアニメはやはり「シャニマス」だったんだなぁと、個人的に納得できたのでした。

「シャニマスのアニメ化」をこんな作品にしてくれて、ありがとうございました。

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