年が明けた。嬉しい。
去年のうちに去年をまとめたnoteを書くつもりが年を越していた。あけましておめでとうございます。毎年なにげなく言っているけど今年こそはおめでとうございますと声を大にして言いたい。そのくらい去年が大変だった。
母の病気が判明して、祖母が怪我して歩けなくなって、祖父が病気になって亡くなって、祖母が施設に入ることになって、母の認知症がどんどん悪化して、気づいたら年末だった。よく生きた。やっと年が明けた。おめでとうございます。希望の年であってくれ。
車椅子を使っていた祖母は施設でリハビリを頑張っているようで、クリスマスに会いに行ったら手すりを掴んで歩けるようになっていた。施設に入ったばかりの頃に「もうおばあちゃんがあの家に帰ることはないから」と言われて悲しくて、いつもにこにこのおばあちゃんが塞ぎ込んでいる姿を初めて見たからなんだか怖かった。でも歩けるようになって表情も明るくなって、いつものおばあちゃんに戻りつつある。嬉しい。早めのお年玉も貰ってしまった。もう20代も終わるのに。
年始に誰もいなくなったおばあちゃんの家に家族で泊まった。8月で止まっているカレンダーを見ると不在を感じて胸がぎゅっとした。ひとり暮らしの生活で使えそうな食器を少しもらい、お風呂場で黒カビと格闘し、小さい頃に買ってもらったくまさんの抱き枕と一緒に家族で川の字で寝た。
家主もいなくて管理も大変だから取り壊すか売却しようかという話が一度だけ出て、知らない間に無くなっていた。おじいちゃんがいて、お母さんが生まれ育って、おばあちゃんが帰れるこの家が無くなってしまったら、家以上の何かも一緒に消えてしまいそうで怖かった。
「何か」の大半は母のことで、この家が物理的に無くなってしまったら母の記憶も土台から崩れてしまうんじゃないか、みたいな何か。父と結婚してからは転勤ばかりでずっと引っ越しをしていた母が人生でいちばん長く住んだのはこの家で、母の記憶もこの家に深く根付いているような気がしてしまう。この家が無くなったらもう二度と母の記憶は取り返せなくなってしまうんじゃないか、とかなんとか思ってしまう。気のせいなんだけど。
トイレの場所も母はあまり覚えていないようだった。病気の行く末がわからないから現実の何かと無理やり結びつけたいだけだ。情けない。病気がわかって1年経っても尚このメンタル。
クリスマスイブに親友たちとオンラインクリパ兼忘年会をした。プレゼントを買って(自分用)、チキンを用意して(デパ地下で50%オフのよだれ鶏)、ワインを飲んで(ロゼ買ったら全然だった)、ケーキを食べた(自分で作りました!!!!えらいね!!!!)。
忘年会なので来年の抱負を言った。「さすがにもう少し自分のこと考えます!!!!」と言ったら「いや本当にそう」「ぜん今年大変だったから」と褒めてもらえて嬉しかった。転職しないと〜〜〜マジで〜〜〜
5時間ほどオンライン通話をしていたので話があちこちに飛び、親友の彼氏の友達で今まで彼女がいたことない人が東京にいるから私と会わせようという話になった。ギアを上げて「いいじゃん!私も彼氏いたことほぼないみたいなもんだし!」と答えたのに「でもぜんはちょっと強すぎるからな〜」と言われてそこで話が終わって笑った。
カメラロールにあるのスクショばっかだ!!!!!遊んでなさすぎ!!!!よくないね!!!!!
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