映画感想『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』
原題「JOKER: FOLIE A DEUX」
トッド・フィリップス監督、そう来ますか!
ガガを起用した理由もよく分かるが確かに「これが観たかったか?」と問われれば「違う」と答えてしまうかもしれない。
なにせミュージカルは苦手なんでね。
ただ、オリジナル解釈と言う点でフィリップス監督が描いたジョーカーは『ダークナイト』のそれとはかなり違って“人間像”が描かれてたと思う。
うん、凄く人間臭かった。
置かれた環境で誰もが“ジョーカー”になり得る事を知らしめた1作目。
“ジョーカー”と言う祀られた者への極度な信奉はより破戒的なモノを生み出す事を掲示した今作。
何者でも無い社会の弱者だったアーサーが“ジョーカー”として偶像化され、信棒者の暴走として今作のハーレイ・クインであるリーが登場した。
彼女が欲したのはアーサーではなくジョーカーであり嘘を重ねアーサーに近づき彼の未熟な心を掴んでいった。
ミュージカル仕立ての今作で使用された「Gonna Build a Mountain」と「That’s Entertainment」は対の楽曲であり他人から必要とされる事に喜びを感じリーに惹かれていくアーサーに対し自分の欲求を満たす為「2人なら何かを“成し遂げられる”」とそそのかすリー、しかしアーサーが自分が求めたジョーカーでは無いと判断した途端「 “それは現実じゃないただの余興”だ」とアーサーを突き放す。
マーゴット・ロビーが演じたハーレイもジョーカーと別れてるって所が共通点だがより今作の方がダークさが強めだ。
そしてもう一人、裁判所で(恐らく)ジョーカーの信奉者による爆破が起きた時、検事として法廷に立っていたハーヴィ・デントだ。
これがトゥ・フェイスに変貌するきっかけとなる事件として描かれてる。
リーもハーヴィもまだその地点に到達はしてないがDCヴィランへの変遷としては面白い描き方だった。
彼らのその後は『ダークナイト』や他DC作品でも描かれているがあの爆破シーンからエンディングへの畳み込みはかなり色んな要素が詰め込まれてて正直ビックリだ。
さらに個人的に重要なのはラストのラストだ。
コナー・ストーリー演じる若い囚人の伏線の張り方が結構インパクトあるなぁと思っていたらまさか『ダークナイト』に繋がるとは思わなかったな。
フィリップス監督オリジナル感を出しながらも関連作品へのオマージュも忘れないって事かな?結構コメディもののイメージ強かったけど1作目とこの後半は見応えあった。
てか、超個人的にはリッキー役のジェイコブ・ロフランド君!
もっと出して欲しかったわぁ₊*̥(∗︎*⁰͈∀⁰͈)‧˚ゎ‹ゎ‹♡
ミュージカル苦手なワタシは若干途中で食傷気味になったww
でも、ガガの歌唱力は言うまでも無いがそれに触発されてどんどんエンタメ化していくホアキン・ジョーカーがずっとずっと素敵だった。ジョーカーめちゃくちゃイイ男ぶってたねww。
ホアキンは『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』で歌唱は披露してるわけだしダンスシーンだってしなやかに演じててめちゃカッコ良かった。
ガガ演じるリーは昇り詰めたかったんだね、ジョーカーと言う偶像を利用してさ。
タチの悪い女だわ(笑)
しかし『ビューティフル・デイ』の時もそうだったがホアキンのカラダにはいつも驚かされる。
どうやらスプレンゲル変形と言う症状らしいがこの個性的骨格がよりアーサーの人格に信憑性を与えてる。
そう言う意味でアーサーとジョーカーと言う二面性を演じるべく彼の存在はあったと思える。
裁判でアーサーが唯一の友人だったゲイリーの証言でいつの間にか自分が弱者から友人に恐怖を与える人間になっていた事を知る。
元々は弱者の代表として声をあげていた筈なのに・・・。
それを理解したアーサーの自分に対する失望みたいなものが感じられるシーンは切なかったな。
そして彼に対する偶像は崩れていく・・・。
でも俗世では新たなジョーカーが出現する。
全てを否定し自分しか信じない狂気で冷血な怪物が。
そしてそこには【愛】は存在しない。
アーサーと言うひとりの人間が経験する浮沈の底。
彼の絶笑がアーカムに鳴り響く様だ。
▣余談
ジョーカーが或るワンシーンで口を少しクチャクチャとするんだが「えっ?ヒース降りてきた?」とか思ったり思わなかったりww。
分かる人だけ分かればいいのです。
もう続編は無いという事っで・・・
ジョーカーを演じてくれたホアキンには感謝しかない。
ヒースの単独ジョーカーも観たかったけど
ワタシはホアキンジョーカーもとっても好きだった。