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映画感想『生きる LIVING』
原題「LIVING」
◆あらすじ◆
1953年のイギリス、ロンドン。役所の市民課に勤める英国紳士の公務員ウィリアムズ。仕事一筋の彼だったが、淡々と事務処理をこなすだけの毎日に虚しさを感じ始めていた。そんなある日、不治の病で余命半年と宣告されてしまう。人生の意味を問い直していく彼はやがて、それまで誰からも顧みられることのなかった地域の母親たちからのある陳情と真剣に向き合おうとするのだったが…。
※ 黒澤明監督の不朽の名作「生きる」をノーベル賞作家カズオ・イシグロの脚本で、イギリスを舞台にリメイクしたヒューマン・ドラマ。
人が死ぬまでに出来る事なんてほんの些細な事だろうけどそれを自分の意志でやるのか何かに身を任せてしまうのかで大きく違う。
惰性で巻かれてしまった“長い物”は解くのにどれだけの時間を要するのか?
いや、気付かなければ一生解けないのかもしれない。
主人公ウィリアムズは迫る死をきっかけに人生の意義を見出すがそのきっかけはもっともっと身近で単純な物にもある筈。
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タイトル『生きる』の意味に懸けた描き方は秀逸。
何を以て【生】を意義付けるか?
やりたい事も無く日々を過ごし、ただ死の訪れを待っているだけでも言葉で言えば【生きている】だ。
だが、何か自分の送る日々に違和感がある、やりたい事はあるが適当な理由を付けて後回しにしている・・・なんて事なら、もしそれに気付いたなら遣った方がイイ。
何かを“遺す”のではなく何かが“遺る”とはそう言う事なのだろう。
【生】の終焉に生きてきて良かったって思いたいじゃないか。
それを体現するビル・ナイの演技の深度が深過ぎる!
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オリジナルで主人公が歌うのは『ゴンドラの歌』と言う事だが或る程度の年齢の日本人なら誰でも知ってる曲だ。しかし今作ではスコットランド民謡『ナナカマドの木』が使われている。
これはホントに個人的感想だが、私にはこの馴染みのない曲が何故か染みたのだ。
脚本のイシグロ氏がそれについて語る記事を見つけたので引用したい。
「『ゴンドラの唄』に関しては、歌詞があまりに直接的に映画のテーマを語っていると感じていました。これは趣味の問題だと思いますが、『生きる』の美しいシーンで、わたしとしては彼に“命短し”と歌わせたくなかったのです。」
まさしくそれなのかもしれない。
【郷愁】の様なもの、それは故郷でもあり嘗ての自分でもあるだろう。
この曲を歌うシーンにはそんな繊細な心境が感じ取れるのだ。
1950年代ロンドンにググッと引き込まれるオープニング映像からラストシーンまでの構成も素晴らしい!
“死を迎える瞬間、何を想う?”をどう描くか。その効果を最大限活かすには?
(長尺の)オリジナルは観てないがリメイクとしてでなく独立した一作としてイシグロ氏の脚色が光る。