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師匠 長尾健コーチとの出会い

ある日突然、名城のコーチである岡田コーチから
ある人呼んでおいたから。と言われた

僕は当時腐りかけて、誰に教わってももう辞めるしどうでもいいなんて思っていた記憶があります。
僕はアメフトを始めたのは大学生からで、高校までサッカーをやっていた関係で、キックはそれなりにできていました。
だからこそ変なプライドがあってなんで知らない人からキックを教わる意味も分かりませんでした。

数日経って、練習の日が来ました。
現れたのは、金髪と黒のメッシュが入ったデカい人
とにかくファーストインパクトはデカイ。
のちの師匠となる(長尾健さん)と挨拶を交わし、いざキックオフの練習をしました。
これこうだからこうしたほうがいいよとかアドバイスを受けました。
太々しい僕は、ありがたいアドバイスを仕方ないみたいな感じで分かりました。と言った覚えがあります。
(師匠ごめんなさい)笑

そこからパントに移りました。
僕は当時一番苦手なキックはパントでした。
僕は本当パントが下手くそで、試合で蹴るのも嫌でした。
遠くに飛ばないし、スパイラルもうまくかからない。何がおもろいのか理解できませんでした。

パントに移って僕が蹴っている横でそれまで蹴らなかった師匠が突然蹴り出しました。

僕は、愕然としました。
なぜかって、あんなに綺麗にスパイラルかかって飛んで高さもエグくて僕は目を疑いました。
衝撃でしたね笑
だって自分が見たことのない高さでボールが飛んで綺麗なスパイラルがかかって、
もう認めるしかなかったです笑

えぐい。
この人だけは僕が今まで出会ってきた人の中で
レベルが違う。そう思いました。

その瞬間僕は、この人について行ったら成功すると勝手に確信しました。

練習が終わり、寮に帰ってゆっくり考えました。
アメフトをやめるべきじゃないんじゃないかなと
だってこれまで僕は一人でやってきて誰からもキックを教わったことないし、独学で蹴ってきたので何が正しいのか分らなかった。
この人みたいになりたいって思いました。純粋に


2021年3/1

その次の日から練習から毎日ひたすら動画を送り続けました。


僕はこの時から、オフシーズン以外は毎日LINEして動画送ってました。笑
毎回迷惑かなとか思いながらも、毎日練習のフィルムを送り続けました。
しかも深夜に(笑)
でも師匠は全て丁寧にアドバイスを毎回くれました。
なぜ僕にここまで親身にやってくれるか当時は分かりませんでしたが、
今なら分かるきがします。

こうして師弟関係ができました。
長尾さんの初の教え子は僕です。
それから長尾さんがSpecial One という団体を立ち上げキッキングに特化した団体ができました。

二人三脚でやり出しました。
まず言われたのが、尻が弱い。
僕の頭は????????????だらけ
当時なぜ尻が弱いとダメなのか説明されたのは覚えていますが、全く理解ができていませんでした。
(今は理解しています👍)

パントもコンタクトでスパイラルはかかる、アウトサイドに引っ掛けるな。
当時理解できませんでしたね~

そこから尻のトレーニングが始まり、中臀筋だけ鍛えるというトレーニングを開始しました。
これは本当に地味でキツく、あまり好きなトレーニングではありませんでした。

それとは裏腹に、上半身を鍛え上げるマイブームが僕の中で到来し、24時間使えるジムに入会。
名城大学は練習のなかに筋トレの時間があるのですが、そこでもアホみたいに追い込んでそこからミーティングとご飯と風呂を寮ですませ、
24:00過ぎてからジムに行く生活がほぼ毎日開幕
一日3時間の筋トレが土日を除く週5日始まりました。
みるみる体は大きくなっていきました。
とち狂うように筋トレにハマり、アメフトよりも
フィジークに出たい。そのために、増減をしたり水抜きしたり
本当にアメフトに関係ないことばっかやってました。
そこから筋トレ禁止令が出たりしましたが
バチバチにやってました。笑
(キックの練習もしてましたよ)笑

大3終わり
深夜1:00



この筋トレが功を奏し、パワーがついていきました
近年、アメフト界では筋トレはいらないとか言われていますが、僕は違うと思っています。
だってボール飛ばすポディションの人
例(キッカー、野球、ゴルフなど)
みんなデカいですよ とくに翔平
日本人はスタンダードが小さいのにどうして身体の使い方だけで世界と戦えると言っているのか僕には
I don’t understand です。
でも身体の使い方も覚えて身体もデカくする!
というのはめちゃくちゃあってると思います!

話を戻します。

ある程度身体が出来てくると、自分で自分の力を制御できるようになるんです。
その時、気付くんです。
師匠が言っていた事はコレだと。
ボールを蹴る時軸足はどこの部位で止まるか知っていますか?

大腿四頭筋ですよね。

いえ違います。(間違いではないです)
ですが中臀筋で止まるんです。

↑ここに気付くのが僕は遅かった。
やっぱり筋トレしたからってすぐ効果出るわけじゃないし、でも蹴っていると分かるようになっていきます。

そんなこんなしてたら、秋シーズンが到来。
(割愛)

結果的には、東海準優勝
個人的に東海ベストイレブンに選出させて頂きました。

そこから
4年生となり、少し前までは辞めたいとか言ってたのにどっぷりアメフトの沼に足のつま先から頭まで浸かってましたね。

そこから長尾さんとの練習が月1であり今度テツさん連れてくる。と言われ
あの富士通の11番西村豪哲さんが!?レジェンドが名城に来るのか!?どういう繋がり?と思ってました。
そしたらまさかの長尾さんの師匠がテツさんだったというのを知りました。

そこからテツさんの指導も加わり凄く伸びたと思います。

Team Special one


そこから大学4年からは、筋トレ継続のキックの量を上げました。
なぜなら自分が成長していることが目に見えてすごく楽しかった。
オフの日も一人でグランドに行ったり、後輩の亨汰を連れていきました。
ほんとに頭の中がキックのことだらけになりました。
寝る前も動画を確認、昼飯中も動画、移動中も動画
もう他が見えてない状況だったんですね(笑)
そしたら毎日150本は蹴ってました。

案の定膝をぶっ壊しました。
自分が納得するまで蹴り続けたそしたら
膝に激痛が走りましたね。
あれはクソ痛かった。
でも毎日蹴るのが楽しくて痛いのに蹴り続けました。

確か、岡田コーチから長尾さんに僕の膝の連絡が入り

そこで僕の膝の爆弾がバレました笑

なかなか会えないので、LINEで蹴るな!と軽く怒られた覚えがあります笑

師匠覚えていますか?笑

そこではやめます!というものの
次の日には忘れてキックを蹴り続けました笑


余談


また大学4年といえば就活ですよね笑

就活しに東京へ行けば、当時長尾さんが働いていた
ハンバーガー屋に無言で突撃していました笑
行く前にお店に電話かけて、違う店員さんに長尾さんいますか?とか聞いたり
長尾さんが電話に出た時なんて焦って電話即切りしたりしました笑

とにかくサプライズで行きたかった笑

そこからある日、友達と居酒屋で呑んでる時
テツ師匠からの急に電話が入り、(おい膝)笑と言われたのを覚えています

流石に焦りましたね。
ついにここまでバレたかと。笑
そこから30分ほど電話ではなし、蹴らないという
約束をしました。

そこから練習行くたびにウズウズしましたが、安静をとって休みました。
ボールを手にするだけで岡田コーチが走ってきて無言でボールを取られましたね(笑)

今このように思い出して書いてると。
凄く僕は恵まれています。
名城で岡田コーチと出会、長尾師匠との出会テツ師匠との出会い全てが良かったです。
本当にありがとうございます。

そこからコンディション調整として
僕の1週間のスケジュールを長尾さんに送り、そこからテツさんへと。
1から1週間のスケジュールを見直しました。
ここで色々変わりました。
僕に膝が良くなったポイントですね。
Special Oneはコンディショニングのチェックもしてくれます

そこから秋シーズンに入りました。
チーム自体はそこまで調子を上げられず2回目でまさかの名古屋大学に負け。
まあ絶望しましたね。笑
そこから淡々と試合をこなしました。
最終戦は中京大学。
負けました。悔しかったけど4年間よく耐えたとも思いましたね。
こうして、僕の4年間幕を閉じました。

引退報告を、師匠それぞれに告げました。
僕は文章を書いている時に色々な思い出を思い出し大号泣しました。
なぜか、涙が出ました。寂しかった。

そこから返信が返ってきて、
「初めて教えた子が空で良かった。」
「一番思い入れのある選手」と
このような返信が来ました。


めちゃくちゃ大号泣しましたね。
22歳がこんな泣く?ってぐらい泣きました。
今書いているのですがウルっときてます。笑
今振り返るとあっという間に時が過ぎて引退しましたね。

もう泣きそうなんでキリますね。

次回アメリカ編


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