現代詩について考えて書く
現代詩の読み方について考えている 詩と
違ういわゆる現代詩は 言いたい内容を言う
というより どのように言語表現するか に主眼
が置かれているので 読み慣れて意にいと読み
にくいが 数を読んでいくとある程度慣れてきて
これはなんとなく良い とか さっぱりわからない
とか おぼろげながら見えてくる だから 数を
読んでいくのが一番近道なのだが 一行一行
または連ごとにいちいち意味がとりづらく それで
いて何を言いたいのかというと 要するに孤独
とかだったりするので 内容というよりもどのように
言葉が尽くされたのかを愉しめないとつらい
難しく書くこと 言葉の新しい使い方 表現の
仕方に主眼が置いてある 現代詩はそういう
意味で読み書きに修練をようする
というわけで 現代の多忙ななかにある大抵
の生活者は一目その文字列を見たとたんに
なんじゃこの寝言みたいなのは となり二度と
現代詩に近づこうとは思わない というより
近づく機会も今はほぼないので詩というジャンル
は人気があっても 現代詩 となると完全に
スルーされているのが現状となる 読者=
現代詩人 なのでとば口は当然不親切になる
読めなければもっと修練しなさい あるいは
私たちは言葉に選ばれしもの と言った意識
がうかがわれるのではないかと私などは勘ぐって
しまう
というわけで 今はほとんど現代詩をマークする
文芸誌や作家もいなくなってしまったように見える
そう見えるだけで 熱心に詩を追っている小説家
も私が知らないだけかもしれないが なんとなく
新聞の書籍広告に 群像 新潮 文学界 すばる
と並んだ筆者の中に現代詩人の名前はほぼ
ないし ないとなぜかほっとする そして才気ある詩人は
なんだか小説の方に行ってしまう
ひとときはそんな状況でいいのかという議論が
見られたが 近年の詩壇誌を見ているとどうも
拡大再生産をあきらめたような状況にみえる
社会が高度化するにつれてついていけない高
学力者が疎外されてゆく それらと現代詩人口
の相関がいかようなのか全くわかるものではな
いが とりあえず詩壇誌が成り立つ程度の現代詩
新参者は毎年尽きることがないのだろう 文学
に関心を持つ者の少数はそれでも詩に流れている
ということだ
と話がそれてきたところで文意を一貫させる テンションが尽きた ときどき現代詩について 考えて書きたい
車谷長吉の故郷 播州飾磨弁で
現代詩の読み方について考えとる 詩と
ちゃういわゆる現代詩は 言いたい内容を言う
ちゅうより どない言語表現するか に主眼
が置かれとるから 読み慣れて意にいと読み
にくいけど 数を読んでいくとわりかし慣れてきて
こらなんとのうええ とか さっぱりわからん
とか おぼろげながら見えてくる やから 数を
読んでいくのんが一番近道なんやけど 一行一行
または連ごとにいちいち意味がとりづろう それで
いて何言いたいのかちゅうと 要するに孤独
とかやったりするから 内容ちゅうよりもどない
言葉が尽くされたのかを愉しめんとしんどい
やぎろしゅう書くこと 言葉の新しい使い方 表現の
仕方に主眼が置いとる 現代詩はそういう
意味で読み書きに修練をようする
ちゅうわけで 現代の多忙ななかにある大抵
の生活者は一目その文字列を見たとたんに
なんじゃこの寝言みたいなのは となり二度と
現代詩に近づこうとは思わん ちゅうより
近づく機会も今はほぼあらへんから詩ちゅうジャンル
は人気があっても 現代詩 となると完全に
スルーされとるのんが現状となる 読者=
現代詩人 やからとば口は当然不親切になる
読めなもっと修練しなはれ そやなかったら
うちらは言葉に選ばれしもの 言うた意識
がうかがわれるのとちゃうかとうちなんかは勘ぐって
しまう
ちゅうわけで 今はほとんど現代詩をマークする
文芸誌や作家もおらんようになってもたように見える
そう見えるだけで 熱心に詩を追うとる小説家
もうちが知らんだけかもわからんが なんとのう
新聞の書籍広告に 群像 新潮 文学界 すばる
と並んだ筆者の中に現代詩人の名前はほぼ
あらへんし あらへんとなんでかほっとする ほて才気ある詩人は
なんか小説の方に行ってまう
ひとときはそんな状況でええのかちゅう議論が
見られたけど 近年の詩壇誌を見よるとどうも
拡大再生産をあきらめたような状況にみえる
社会が高度化するにつれてついていけん高
学力者が疎外されてゆく それらと現代詩人口
の相関がいかようなのか全くわかるもんやな
いが とりあえず詩壇誌が成り立つ程度の現代詩
新参者は毎年尽きることあらへんのやろ 文学
に関心を持つ者の少数はそいでも詩に流れとる
ちゅうこっちゃ
と話がそれてきたところで文意を一貫させる テンションが尽きたで ときどき現代詩について 考えて書きたいでほんま
おんどさん の試みをパクりました