天国に突き落とし
詩の
機能として
美を追求
大いにあり
誰もが
美しいものが好き
美しいものだらけの
この世の中で
美を追求
順当
おおいに
ならばと
美しくないもの
どうでもいいこと
書こうじゃありませんか
と
なる
へそ曲がりの
私ね
本当は
美しくて
繊細な言語美
構築したい
多分
出来る
その程度の
技量はある
しかし
人まねになる
オリジナルな
ものにはならない
なれば
今頃
まあね
夏は
来る
美しくなさそうなところに
美しさを
発見する
それも
アートの
メインストリートでさ
別にいいことに
しなくていいかな
知ってること
思ったこと
出来るだけそのまま
書いたとすれば
それ
作品と
言えない
かな
つくる
しな
だからね
近頃
意識的に
話し言葉
混ぜている
なんか
あざとくなる
気がするが
文学臭が
消える気がする
その程度で消える
文学なら
まあその程度
放置せよ
(ほっとけ)
天国に
突き落とす
逆に
言ってみた
私がいえるのは
この程度の事
だったのだろう
娘の高校の
球児
夏を終える
県大会
ベスト16
近年にない好成績
私の出た
ハイスクール
二度
甲子園に行っている
むろん
私
野球には
一ミリも関心が
ない
野球部の監督は
愚連隊
だったのを
地元有力者が
引っ張ってきた
誰も
逆らえない
オーラ
在校中は
ノー接点
実習で
母校に行った
タバコ部屋
(そんなものない)
で監督と
意気投合
たまに
そういうことがある
先生たちと
酒を飲んで
本当に
くだらないと
思ったが
監督は
くだらないことを言っても
独特のオーラと
色気
つまりカリスマがあった
女生徒に
マッサージさせて
高校球界から
消えた
別の高校で
プロ野球選手も
輩出したが
みんな引退
定員割れ
10年後母校はありや
あの学校では
変な生き方を
勝手に学んだ
そうなっちゃったとしか
言えない
二度目の
甲子園の時
湾岸戦争の
最中だった