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<子供の不登校問題>子供を想う心がすべてを切り拓く力となる

いつもお読みいただき、ありがとうございます🙏✨
タカミチです。

ブログで書いていた娘の不登校問題について、せっかくなので子育ての何か参考になればと思いnoteに残しておきます。
3記事分なのでちょっと長いです。。。😅

ここから

以前から、たまに小学2年生の娘が拒食症になったり、不登校になったりと書きましたが、まだ絶賛不登校中なので記録する意味でも書いていきたいと思います。

うちは経済苦から健康問題、社会生活上の問題など、あらゆる問題を抱えがちなので、「愛猫・めいこの闘病記」と併せて公開していった方が、ブログの記事にも説得力が生まれるかな、と感じます。

経済的に自由で、順風満帆に社会生活を送っている時ではなく、経済や健康、家庭生活・社会生活に苦労し、明日自由が脅かされるかも知れない中でこそ、心の真価が問われます。

そんな苦の中でも、正道を見失わずに、毎日笑顔を絶やさずに生活することが大切です。(うちは朝から晩まで笑いが絶えません)

苦の中にこそ、幸せや心の自由を見つけるための学びがあるからですね。

”苦”を体験する事で、気づき、学び、幸せに向かえるのですから、生きる上で、”苦”以上のギフトはないわけです。

山に籠っての修行や、ヨガや瞑想などのスピリチュアルな体験ではなく、何の変哲もない日常の生活こそが最大の精神修行の場であり、悟り(真の覚醒)にも直結します。(もちろん目指さないといけないわけではありません)

「人生とは本来単純なものだが、人はそれを複雑にしたがる」という孔子の言葉があります。

これの真意は、「良心に沿って、感謝をいつも忘れない生活を心がければ良いだけだよ」ということですね。

本当の幸せとは、非常にシンプルなのです。

それを、色々と言い訳をして逃げたり、他人と比較して思い悩んだり、妄想を膨らませて物事を複雑にすると、本当の幸せに気づけなくなります。

この考え方を根底に置きつつ、娘の不登校問題についても定期的に書いていきますので、何か気づきの参考になる部分があれば嬉しく思います😌

これまでの簡単な経緯:娘の不登校は2年生から始まった

娘は1年生の頃は普通に学校に行っていましたが、2年生に上がってから先生がおじさん先生に変わり、大きな声が怖くて苦手ということで不登校になりました。

この頃から、肉を始めとした食事が飲み込めなくなり、拒食症になってしまったわけですね。

はじめの1か月間は、色々手は尽くしてもほとんど何も食べられない状態で、とても心配しましたが、不思議と娘の様子はまったく変わらず、いつも通り朝から晩までハイテンションでした😅

今はほとんど食べられるようになっていますが、肉だけは飲み込めないことが多いようです。

拒食症については、ほぼ問題解決したと言えるでしょう。

おじさん先生は1学期だけの担任で、2学期からは産休明けの優しい女性の先生が戻ってきましたが、それでも不登校が治らなかったので、本当の問題は他に潜んでいることが分かりました。

月1回、市立病院の不登校児向けのカウンセリングに通っていますが、学校でいじめられているとか、勉強や運動についていけないとかは無く、娘は学校が嫌いというわけではないと言います。

プールのある日は喜んで行くこともありました。(現金ですね笑)

今は、週に1、2回学校に2時間目まで何とか行けていますが、行けばクラスメートとも話すし、別クラスになってしまった1年生の頃の友達とも会えば話すようです。

妻が毎日宿題やチャレンジのタブレットで勉強を観ているお蔭で、勉強も遅れているということはなく、むしろカウンセリングの先生からは「6年生以上の言語能力や、平均以上の理解力と器用さがある」と言われています。

娘の元々のポテンシャルの高さが救いになっている面はありますが、直接的なお世話の機会が少ない僕はまだしも、朝から晩まで面倒を観ている妻の心労がとても嵩んでいます。

僕もリモートワークでいつも家にいるので、そうでない家庭の男性以上に娘の世話はしていると思いますが、妻は娘の面倒見と家事の両立で心労が嵩む、僕はそうした娘と妻を観つつ、仕事を掛け持ちしてギリギリの月の支払いに腐心することに心労が嵩む、という状況です。

加えて、今は愛猫・めいこの闘病もありますから、問題のデパート状態で、先日ついに妻が限界を超えたため、夜中に倒れて救急搬送されてしまったわけですね。

幸い、めいこは酸素室のお蔭で九死に一生を得て、今はご飯が食べられるところまで回復しましたが、ジェットコースターのような忙しい毎日を送っています。

娘の不登校の”何”が問題か

子供が不登校だと何が問題になるでしょうか?

  • 学校での勉強について行けず、落ちこぼれてしまう?

  • 友達との楽しい生活を体験させてあげることができない?

  • 社会生活を送る機会を得られず、将来苦労することになる?

  • 家庭で面倒を観ることにも限界がある?

どれも、不登校の子供を抱える親御さんは、深刻な問題として悩むと思います。

共働きで子供の面倒を観られない家庭もあると思いますので、その点で言えばうちはまだまだ恵まれている方だと感じます。

世の中、もっと修羅場を経験している家庭は数多くあります。

上記の問題は、妻と共有しており、たまに真剣に話す機会を設けて対策を練っていますが、基本的な考え方として一致しているのが、「娘の考えを第一に尊重する」ということです。

親の勝手な都合、希望で、娘に無理強いをしてでも改善を要求することは無いように、細心の注意を払って接しています。

あくまで、娘の人生ですから、娘自身で選択して、切り拓いていけるようにサポートしていきたいわけですね。

それが例え、”一般的”に観て、娘が”当たり前”ではない生活を送る事になろうと、娘に”普通になるように”無理強いすることは良くないと感じています。

娘がマイノリティになることを恐れるのではなく、マイノリティになる性格なのであれば、それを最大限に活かすことができるよう、サポートをすることが重要だと考えています。

とは言っても、これは前提としての考え方であり、社会生活に極力参加するように促すことは大切ですので、社会参画することの重要性について、妻と僕それぞれで違う角度から娘に話をしています。

子供の不登校問題に向き合ってみて一番大切だと感じるのは、夫婦で問題をよく話し合い、”子供の心を守る視点”を大切にして対応の方向性を決めることだと感じます。

話すと喧嘩をしてしまう夫婦なら、”子供の心を守る視点”で共通点を見つけ出し、それ以外の部分では”子供のため”に自分から折れてあげる必要もあるかも知れません。

パートナーが子供のためを思わない、親都合で身勝手な考え方しか出来ないなら、離婚に繋がるケースもありますし、ネット上に母子家庭・父子家庭の問題として散見されます。

でも、”子供のため”を想うため、生活費のために離婚を選択できない母親も居るでしょう。

こうしたご家庭は本当に辛いと思いますが、”子供のため”という気持ちを失わない限り、生きる活力は失われないと思いますので、やはり子供への愛情力を意識的に深めることも重要だと感じています。

天台宗の祖・最澄の言葉で「子は国の宝」と言いますが、地球霊・国常立太神様は人間を産み出した親ですから、「国と子たち太神」なのであり、子供(人類)が存在しなければ親(国・地球)も存在しないことを意味する神様なのです。

「子供を大切に」この気持ちを中心に据えて生きることは、幸せに向かう最大のヒントになると感じます。

結婚していない、あるいは子供に恵まれない家庭であっても、世の中の子供たちに意識を向けることで、人生を切り開くきっかけと成るかもしれません。

いきなりは難しいので、卑屈に考えず、少しずつ”素直に”目を向けてみるという意識が、何事にも共通して重要だと感じています。

ワーキングプアで結婚できず、価値が無い人間だと考えていた30代男性が、通学中の子供たちにたまたま「おはようございます!」と言われたことで嬉しくなり、子供たちの笑顔が観たいと、カブトムシを育てて学校に寄贈したエピソードがありました。

子供たちは、男性にお礼の似顔絵とお手紙を書いたことで、男性は感動して子供たちを喜ばせる行動をライフワークとするようになったようです。

子供への虐待事件が年々過去最高を更新する現代ですが、幸せの根幹には子供があるという考え方には、ひとつの真理があるのではないかなぁ、と感じます。


<2記事目>娘の不登校問題の一番の問題点、”YouTube依存症”が改善の兆し

学校を休んでYouTubeを観ている娘に、説教を決意した朝笑

2年生になってから娘の不登校が続いていますが、2学期から週2、3回の午前中の2時間だけの登校を続けています。

夜勤明けで今日(7日)の朝9時頃に目を覚ますと、娘がTVでYouTubeを観ていたので、行けなかったことを悟りました😅

妻と度々、娘のYouTube依存症について頭を悩ませてきましたが、妻やカウンセリングの先生からの”優しい諭し方”だけでは、いまひとつ改善に繋がらないことを感じていました。

なので今日は、妻が久しぶりに友達と会うため一日不在だったことから、良い機会だから久しぶりに”厳しい父親目線の説教”をしようと思いました(娘は100%泣きます笑)

普段から、”子供を怒る(叱る)”という行為を意識的にしないようにしていますが、必要だと感じた時に厳しめの説教をしています。

子供は、”親から信頼されている”、”信じてくれている”という空気を察知すると、素直に成長し、間違った道には進まないものだと感じています。

その一方で、子供は自分の意思では”楽な方向から厳しい方向へ舵を切れない”傾向が強いため、主体性に任せすぎずに、定期的に説教という釘を刺す必要があります。

「ちょっとそこに座りなさい」という改まって始める説教よりは、何かのきっかけで自然と説教に入る方が、娘も身構えずに伝わり易いだろうと感じるので、その機を伺っていました。

妻から「宿題とチャレンジをしておくように!」と言われていた娘は、妻が出かけてすぐに勉強を始めました。(聞き分けはとてもいいんですよね😅)

娘が不登校になった理由・原因

普段の観察やカウンセリングなどから、娘が不登校になっている原因は、強すぎる感受性と感覚過敏、性格が優しすぎる・周りの子より大人びている故に、場に馴染むのが苦手という点が分かっています。

特に、音に非常に敏感で、本をめくる音や、何かが擦れる音、大きな破裂音など、苦手とする音が多いです。

過度の心配性でもあるため、一時はまったくご飯が飲み込めなくなる拒食症になりましたし、自分や僕・妻の怪我や病気を非常に恐れる傾向があります。

ちょっと足をぶつけたり、飲料が気管に入ってむせるだけでも、「大丈夫!?」と毎回心配してきます😅

性格が非常に繊細で優しすぎるので、人の悪口を自分が言うのは当然、他人が言うのを聞くことも非常に嫌います。

悪口以外にも、否定的な言葉も使うのを極度に避けるので、親ながら凄いな、と思います。

なので、学校で毎日のように男子が喧嘩していたり、先生に怒鳴られたりするのを観るだけでも、学校に行きたくなくなる要因になるようです。

それでも、クラスメートは娘を気遣ってくれていて、昨日は行けば仲良くしてくれる男の子から、授業で描いたカエルのイラストを貰って帰ってきて、娘の良いところについて「友達に優しいところ」と書かれてありました。

こうした娘の気質により不登校になっているわけですが、この気質はギフトだと感じているので、学校に必ずしも満足に行けなくても、娘の強みを活かして生きて行ける方向を模索しています。

機会が訪れ娘を説教。案の定泣きましたが、今までとは違う傾向が、、、

ベランダで植物に水やりをしていると、娘が「私もする!」と言うのでジョウロを渡すと、「大きくなってね~」、「可愛いね~、愛してるよ~」と声をかけながら水やりをしていました。

植物へ良い言葉を掛けたり、触ってあげると立派に育つことが実証されていることから、娘の愛情を受けてスクスクと育ってくれることでしょう。

娘が、「パパ、観察日記をつけよう!」と言い出し、「宿題が終わったらテンプレートを作るから」ということで、植物の世話をしながら待っていたら、2枚の手書きのテンプレートを持ってきました。

「お気に入りの植物に名前をつけて、成長記録をつけてね」というので、一番初めに迎え入れたパキラにしようと思い、一本だけ勢いよく伸びている株があったので”せのびちゃん”と名付けて色鉛筆で描き始めました。

娘は自分が選び”いやしちゃん”と名付けたサボテンのキンコウマルを選びましたが、もくもくと描いていると娘が、「消しゴムで消えない!失敗した!」と言って半べそになって匙を投げてしまいました。

ふてくされている娘をみて、「チャ~ンス!」と思った僕は、説教モードに入りました笑

伝えた内容は以下の通りです。

  • 失敗は悪い事じゃない。むしろ、成功よりもたくさんの失敗をした方がいい。いつでもパパとママが守っているから、堂々と失敗しなさい。

  • 今まで何度もYouTubeとの付き合い方を考えなさい、と言ったはずだが、お前は自分の力でやれると思っているから任せてきたんだぞ。

  • YouTubeは娯楽として日に2時間程度なら観るのは良いが、人生の目的にしてはいけない。自分の好きなことを見つけて、自分の時間を生きなさい。

  • お前には人には無い”優しさ”があるんだから、その心に自信を持って、自分の創造性を発揮できる生き方を見つけなさい。

概ねこんな感じの内容を、厳しく諭すように説教しましたが、案の定泣きました笑

  • 人生はメソメソと泣いて、いじけている暇なんてない。強く生きなさい。お前にはそれが出来るはずだ。

と追い打ちをかけるように、2年生に対しては少々厳しすぎるかな、と思う内容も伝えました😅

娘は5分ほど無言で頷きながら泣いていましたが、何かを悟ったのか、再びもくもくとイラストを描き始めました。

娘が失敗だと言った消しゴムでぼかされた色は、僕はむしろ味を感じていたので、アドバイスして仕上げさせました。

そして、娘が冊子にしてくれて完成しました!

”ぷーじ”というのは僕のニックネーム、むすめは”おみゆ”です笑

それぞれが書いた日記を読み合って、娘の提案で毎週観察日記をつけることになりました😆

今回は、2年生男子風な日記にしましたが、次からは真面目に書こうと思います笑

娘は、僕が言ったことが響いたのか、YouTubeを観る時間と、勉強やお絵かきなど、他の事をする時間のメリハリをつけるようになりました。

これが続いてくれれば御の字ですが、根気強く見守っていきたいと思います😌

妻が夜に帰ってくることから、夜ご飯を買いに行くついでに、娘と神社猫たちを観に行くことにしました。

娘の不登校問題について前回投稿したのが2023年11月8日なので、約3か月ぶりとなります。

<3記事目・終>子育てとは、親子で自信を育む二人三脚

娘の不登校問題について前回投稿したのが2023年11月8日なので、約3か月ぶりとなります。

投稿しなかった理由は、心配する必要性があまりなくなったためです。

娘は現在、まだ2時間目からの日はあるものの、毎日おおむね下校時間まで登校ができています。

学校生活も楽しいようで、今日初めてお友達が遊びに来る予定でしたが、タイミングが悪く娘が風邪を引いて休んだため、またの機会となりました。

多くの子供にとっては当たり前のことかも知れませんが、娘にとっては”当たり前”に一歩近づけたことが大きな進歩となりました。

今回伝えたいことは、”当たり前とは何か?”ということです。

今の娘が感じている重要なことが、多くの子供たちと同じように学校に行って、友達を作り、学校生活を楽しむことだったので、その支援を全力でしてきました。

その一方で、娘が学校生活よりも、もっと重要な個人の生き方に向いていたら、”当たり前”を目指すことを必ずしも重要視はしなかったでしょう。

妻も僕と同様の考え方はしますが、母親として”当たり前”も体験させたい思いが、僕よりも強い心労に繋がります。

そのため、僕は妻子が最もストレスのかからない着地点として、娘が”当たり前”の生活に慣れるよう、支援したのです。

支援とは言っても、大部分は娘の自力が大きかったように感じます。

僕は、むしろ”極力、口出しをしない”ことに徹しただけとも言えます。

子供を信じて見守ると、子供はそれを感じ取って、間違った方向には行かないものです。

しかし、子供を信じるためには、まずは自分とパートナーを信じることが重要になると感じます。

自分が子供時代に、親にどのように接して欲しかったのかを、深く考えることも非常に重要です。

ここがとても難しいわけですが、パートナーと子供と、共に真剣に悩み、考えていくことに意識を最大限向けることで、達成されるでしょう。

気をつけたいのは、「”当たり前”になれなければ悪」と、誤った捉え方をしてしまうことです。

ほとんど他の子と同様に学校に行けなくても、心の在り方を意識している家庭の子は、自立心を持って立派に成長をしていくケースを観てきました。

やはり、子供を信じること、これが最大事ですね😆

おそらく、これで<子供の不登校問題>は、一端終止符を打つことになりそうです。

娘の気質から、人一倍山あり谷ありを経験していくでしょうが、着実に山を登って行く地力があると思っています。

この前は、TikTokのフォロワーが1000人を達成した瞬間に垢BAN(凍結)されて悲鳴を上げていましたが、強かにリスタートして300人に到達しそうです😅

TikTokにハマるのは唯物的な傾向に染まるので、本音を言えば望ましくないと感じていました。

しかし、TikTokerとしてそれなりの自信に繋がっているので、やはり何事にも”人間万事塞翁が馬”を感じます。

親のエゴを押し付けるのではなく、静観しながら、悪影響を受け過ぎないように、さりげなくバランスを取ってあげています。

徹底的に悪を排除する考え方は、悪を理解する機会を奪うので、結果的に歪んだ善に繋がるものです。

必要悪をどこまで許すか、それが親の役目なのでしょう。

とはいえ、、、いやはや、見極めは難しいですね笑😅


あなたの心に、常に太陽が在る事を祈りつつ。。。
明日も善い一日となりますように😊

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