性格が暗くても全く問題が無い理由|「ココトモ」ブログより
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「創作大賞2024」の期間中、応募している漫画『MANATAMA-マナタマ 動物界編-』の告知を記事の冒頭でさせていただきます。
がちでメジャー誌での連載獲得を目指しています!
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※ワードプレスからの引っ越し記事です。
こんにちは😀
タカミチです。
ブログタイトルを「たまむすび」と改めたものの、最近色々と怒涛な日々で再開の目途が立っていませんでした苦笑
しばらくは「ココトモ」のブログに投稿した過去記事を転載したいと思います。
年内に、これまで書き溜めた「ココトモ」、「たまむすび」のブログ記事を再編してまとめた本を出版予定です😄
今回の転載分もそうですが、過去記事は説明不足や読みづらい表現などありますので、出来るだけ伝わりやすいように再編と加筆をしています。
Amazon kindle版は無料ですので、出版したら告知致しますのでぜひ読んでいただけると嬉しいです!
性格の明暗は幸せに直結しない
結論から言うと、性格の明るい、暗いは、幸せに成りやすいかどうかと直接関係が有りません。
性格が暗い、というと印象が悪いので、性格の“動と静“としたいと思います。
実際に、“性格が暗くなっている“と感じる時は、一時の表れでしか無いと考えています。
心の太陽が隠れてしまっているだけなのです。
誰しも、毎日心の太陽が昇ったり沈んだりしていますが、辛い時期はずっと沈んだままでしょう。
ほとんど沈んだままと言う方もいるかもしれません。
僕もそうした時期を学生時代に過ごしました。
いつ日の目を見るのか、と光明を探してもがきます。
人の心は誰しも太陽的な存在ですが、動と静の性質をそれぞれのバランスで個性(性格)として持っています。
個性ですので、どっちが良い悪いはありません。
「性格は明るいほうがいいに決まっている」と思われるかもしれませんが、世の中には性格が明るいがゆえに自殺される方も少なくありません。
逆に、端からは性格が暗いと見られがちな人でも、最上の幸せを感じて生きている人も少なくありません。
どこまでいっても、性格の動と静では幸せは決定されないのです。
この“性格“と、“今“を感じている心の在り方のバランスで、幸せと感じるかどうかが決まると感じます。
幸せかどうかは、心の傷との向き合い方の問題
性格の動と静に関係なく、対人関係に苦しみますし、学校や仕事で失敗して恥をかきますし、最悪はうつ病など精神病にも成ります。
つまり、大なり小なり心に傷を負います。
また、その過程で動と静の性質が逆転する事もザラにあります。(持って生まれた普遍の性質もあります)
例えるなら、高校まで暗くて大人しかった子が、大学に上がったきっかけで、パツキンのイケイケになったりなど。
これが、幸せに成るという事には、性格の動と静は関係が無い、という理由です。
幸せは、“今この瞬間を感じる心“にすでに宿っています。
過去や未来に幸せは在りません。
“今“に在ります。
実はいつでも取り出せるところに、幸せは在るのです。
ただ、それまでに受けた心の傷等が、”今”を見れないように覆い隠しています。
なので、心の傷とどのように”今”向き合うのかが、幸せになっていくヒントだと言えます。
幸せは“今“にしか無い
どんどん幸せを手にして行く一部の人と、そうで無い大多数の人の違いは、「“今“を生きているかどうか」という事に尽きます。
「あの時は良かった」など過去の栄光にいつまでもすがったり、「○○が叶えば幸せに成れる」など未来に囚われて、目の前の事に集中出来ていないと幸せには成りません。
例え、ラッキーで幸せな状況に成っても、“今“を大切にしないため、長続きせずに元に戻ります。
ずっと幸せを感じていたいなら、ずっと“今“を大切にし続けるしか無いのです。
今を大切にする事に集中すれば、やるべき事が分かり、努力を始めます。
そして、少しずつ環境が良くなって行き、心に余裕が生まれ始めた事にも幸せを感じ始めます。
これを継続出来る人が、“いつも幸せを感じられる人“なのです。
これは理想論で現実は甘く無い?
現実はそう甘く無い?
分かります。
そうは言っても、今を見るのは辛いし、叶うか分からない夢をぼんやりと見ていたいし、そもそも努力をしたく無いものです。
出来れば誰にも干渉されずに、TVやYouTubeを観たり、ゲームをして楽しく過ごし、ぼんやりと幸せを追いかけたいでしょう。
また、重い病気と闘病中だったり、家庭で虐待を受けていたり、学校や会社でいじめ、パワハラを受けていて、とても前向きな気持ちに成れないかも知れません。
死にたい気持ちが強く、一歩を踏み出すのもしんどいかも知れません。
しかし、今を捨てると、同時に過去も未来も捨てる事に繋がります。
今まで頑張って生きてきた過去の自分、幸せに成っていたいと願う未来の自分を捨てています。
なので、今出来る範囲で、現状の中に数%でも”今を見る”事を置けば、少しずつ変わり始めます。
楽をしながら、徐々にその比率を増やしていけば良いのです。
僕も、出来れば楽をしたいです笑。
しかし、楽をし続けると人生が豊かに発展しないと知っているので、“今“を見続ける“覚悟“をしているだけなのです。
そして、不幸に成ることを受け入れる“覚悟“も常にしています。
それこそ、家族や財産を全てを失い、路頭に迷う事も想定し、覚悟して生きています。
しかし、“今“を大切に生きているので、そうはならない自信も同時に持っています。
何が言いたいのかと言うと、例えほんのわずかでも“今“を生きる覚悟を持つと、確実に人生は良い方向に変わり始めると言う事です。
生真面目に最初から全力にならなくて良いのです。
今まで通り気楽にしながらも、ちょっぴり意識し、その気持ちを継続することだけ出来れば、確実に良い方向に変わっていきます。
大きな岩を転がすのはとても大変ですが、少しずつでも転がしていけばいずれ慣性が付いて加速し始め、ある時に傾斜に差し掛かって勢いよく転がり始めます。
人生にもこれと同じことが言えます。
なので、たまにこの事を思い出して意識すれば、長い目で見るといつの間にか心が成長している事に気づくと思います。
読み返してみたら、くどいほど”今”を連呼していましたね笑。
でも、それほど”今”が大事だと言うことです。
少しでも、ご参考に成りましたら嬉しいです。
あなたの心に、常に太陽が在る事を祈りつつ。。
お読みいただき、ありがとうございます😀