真実の幸せを得るための八箇条<心の八重垣の作り方>
画像引用元:https://yaegakijinja.or.jp/(八重垣神社より)
いつもお読みいただき、ありがとうございます🙏✨
タカミチです。
”幸せ”と言っても、人それぞれの価値観で変わるため定義するのが難しいですが、”不満が無い状態”とすれば、共通して幸せな状態だと言えるのかも知れません。
その一方で、現状に不満が無くても、さらなる幸せに対して飢餓感があると、幸福感は薄いかも知れません。
つまり、「心が常に安定していて、満たされている状態」が、幸せだと言えるのかも知れませんね。
さらに言えば、そうした安定した自分自身の内側を、いつも見つめ続けられる持続性が重要になるでしょう。
古来から人生の幸せについて、様々な哲学や宗教など色んな角度から追求されてきましたが、本質的な部分は一貫して変わっていないと感じます。
これらの思想は、唯物的なものではなく、たとえば親鸞聖人が説いた「真実の幸福、絶対の幸福」と呼ばれる精神的なものが中心です。
今回は、この真実の幸福を得る方法について、僕が感じる最も重要な八箇条としての「八重垣の作り方」をご紹介します。
一 感謝をすること
“人”という漢字は、手と手を合わせる感謝の仕草を表しています。
つまり、感謝をして生きるからこそ、”人”だと言えるのです。
僕たちは、独りでは生きることが出来ない存在です。
両親に育てられ、地域に育てられ、国に育てられて、生活することが出来るようになります。
99.9%以上の知らない人々の働きによって、生きることが出来ます。
食物となる動植物、癒してくれる動植物のお陰で、生きることが出来ます。
その命の連鎖を繋いできた、ご先祖様方のお陰で、生きることが出来ます。
そして、その舞台である地球や宇宙を用意、運営していただいている、神様方のお陰で、生きることが出来ます。
これらのことに感謝をするのが”人”であり、感謝を無くしては幸せもあり得ないのです。
二 自分を信じること
「自信を持つ」とは「自神を持つ」と表せます。
僕たちは、右胸に内在神を宿します。
大宇宙の根源の神の分神であり、一人ひとりが自神を持っている崇高な存在なのです。
でも、僕たちはあらゆる失敗から自信を失うことがあります。
しかし、それでも自神は無くなりません。
良心に沿った生き方をする限り、自神は失われないのです。
逆に言えば、良心に反する生き方をしていると、自神は失われて(隠れて)しまいます。
良心を大切にして生きる限り、どんな失敗も恐れることはありません。
自信を持って生きることが、真の幸せを呼び込むことになります。
三 他人との比較をしないこと
この雑多な競争社会において、他人と比較しないで生きるというのは、非常に難しいことです。
また、競争が発展を産むという事実もあることから、他人と比較することが一概に悪いとも言えません。
つまり、他人との比較の仕方を気を付ける必要がある、ということになるでしょう。
自分が目標や仕事とする分野で、必ず自分よりも出来る人に出会います。
前項の”自信を持つ”ということと密接に関係していますが、そうした人に出会った時に、どのように捉えるかが重要です。
日本人は謙虚な人が多いので、「自分はダメな奴だな」と感じてしまう傾向が強いように感じます。
そのダメな自分を自覚して頑張ることが出来れば、前進することは出来ると思いますが、このスタンスで生きていくと、いつも不安感を抱えることになりますし、前項に照らしても幸せな精神状態を妨げることになります。
どのような捉え方が最善かと考えてみると、以下の3点が重要だと感じています。
常に、自分より出来る人が居ることを望み、ありがたいと感じること
出来る人を見習って、素直に自分に取り入れる努力をすること
出来る、出来ないで自己評価をせず、するかしないかという点で評価すること
極論すれば、自分に出来ることに集中して努力さえすれば、身に着かなくて落ちぶれてもいいのです。
人生において重要なのは、”自分に出来る努力を続けること”で間違いありません。
これが出来れば、たとえいつまで経っても能力が身に着かなくても、能力を超えた人間性の点で周囲は認めざるを得なくなるでしょう。
四 不安と猜疑心を捨てること
“疑う”という行為は、自分が不利益を被る可能性がある時に不安から生まれがちです。
不安や疑うこと自体は、自己防衛や大切な人を守る上で、行動の着火剤になるので悪いことではありません。
それでも、対策を講じた後は、不安と疑う心はすっぱり忘れて、流れに任せてしまいましょう。
その一方で、自己利益に執着するあまり、「損をしたくない」という思いから来る不安や猜疑心には注意です。
「自分が、自分が」と、自分が楽をする、気持ちよくなる目的から発生する不安や猜疑心を野放しにすると、自我の膨張を招き、冷静な視点が損なわれ、正しく世の中や対人関係を見られなくなります。
いつもフラットな思考を持つように気をつけ、心が右に左にブレないように、正道を歩む気持ちで生きていれば、世の中を正しく観ることが出来るようになり、生きることが楽しくなります。
五 健康に気を遣い、整った生活を心がけること
「健全なる精神は健全なる身体に宿る」という言葉があります。
僕たちの主体は魂にあり、この現実界で魂の成長のために肉体を借りて両親から産まれます。
その肉体は、ご先祖様方のDNAの結晶であり、地球と太陽により作られています。
生前までの善悪の因果により、生まれながら肉体の状態は人それぞれです。
五体満足で健康な人も居れば、先天性疾患で余命いくばくも無い人も居ます。
どんな体であれ、生まれることが出来た奇跡に感謝を出来れば、その人は魂の成功者です。
死んで魂体に戻った時に、その恩恵に驚くことでしょう。
五体満足に生まれた人が多いですが、飽食飽娯楽の時代なので、暴飲暴食したり、怠惰に過ごしたりと、体を粗末に扱う人が多いですね。
生かしていただいている原点にいつも意識を向けて、体を大切に扱う視点を持てれば、健全な精神が宿り幸せを感じやすくなるでしょう。
六 いつも慌てず、落ち着いて行動すること
「慌てる乞食は貰いが少ない」と言いますが、これの教訓は、「いかなる時も、冷静さを忘れると痛い目に遭う」ということでしょう。
決して、損得勘定で考えるための言葉では無いと感じます。
つまり、物事を損得勘定で考えるのではなく、冷静な視点で「人の為になるかどうか」と良心に沿って考えると、本質的な正解に結びつきます。
自分に自信が持てない内は、失敗すると慌てたり、悲観的、自虐的になりがちですが、それも成長するための重要なエッセンスに間違いありません。
人生は、感謝することさえ意識し続ければ、必ず光明が観えてくるように出来ていますので、何か失敗をしたら、「感謝を出来ることはないか?」と前向きに考えてみましょう。
七 ”幸せ”という幻想を追い求めないこと
哲学などでよく言われるのは、「幸せとは追い求めるものではなく、すでにあるもの」だということです。
いくつか、歴史的な哲学者の言葉をご紹介しましょう。
お釈迦様・・・「幸福は愛他精神から生まれ、不幸は自己本位から生まれた」
老子・・・「足るを知る(何事にも多くを求めず、ただ在ることがありがたいと感じることで、精神的に豊かになり幸福を得る)」
アリストテレス・・・「幸福は最高の善(真の幸福とは、徳のある人生を生き、価値ある行為をすることによって得られる)」
ちなみに、以下のニーチェの名言
「一日一日を始める最良の方法は、目覚めの際に、今日は少なくとも一人の人間に、一つの喜びを与えることができないだろうかと、考えることである」
縄文人が毎朝に顔を合わせた時の挨拶、「今日、誰のために生きる?」と同じなのです。
著書『今日、誰のために生きる?—-アフリカの小さな村が教えてくれた幸せがずっと続く30の物語』からの話ですが、アフリカ奥地の村で、シャーマンが縄文人霊と交霊したことで、上記の縄文人式挨拶を村の慣習にしたというお話があるようです。
つまり、これらの名言から言えることは、「追い求めるのは幸福ではなく、誰のために生きるか?」ということですね!
八 幸せは自分次第で、”今この瞬間にある”ということ
前項までの内容を受けて総括すると、幸せとは結局「自分自身がどう捉えるか」というところに真実があります。
そして、幸せとは足していくものではなく、減らしていくところに隠れていると感じます。
足すというのは、どうしても人間の強欲性を喚起させますので、どれだけ足しても永久に満足することはありません。
その一方で、最低限生きられている現状に満足して、今あるものに感謝をして大切にし、心を乱す余計なものは断捨離していくと、心は軽くなっていくでしょう。
もちろん、たまの外食や旅行、リラックスできる自分の時間など、ささやかな贅沢を楽しむのはまったく問題ありません。
辛い状況も、捉え方ひとつ加えることで幸せに変えることも出来ます。
そのキーワードは”一”の原点に戻り、”感謝”が最も重要だということになります。
「人に感謝をされる生き方、人に感謝を出来る生き方」
これだけが出来れば、難しい哲学や宗教を考える必要もなく、自然と幸せからやってくるでしょう。
真実とは常にシンプルなものですが、シンプルだからこそ最高に難しいのかも知れませんね。
僕も、心の八重垣を大切に、感謝をして生きていきたいと思います。
あなたの心に、常に太陽が在る事を祈りつつ。。。
明日も善い一日となりますように😊