新嘗祭に神社猫を見守り隊活動と心機一転
いつもお読みいただき、ありがとうございます🙏✨
タカミチです。
今日は新嘗祭です。
その年に収穫されたお米などの穀物を諸神天神に感謝と共に奉納し、お恵みを直会としていただく宮中祭祀。
今日は、天照太御神より降ろされた稲穂、、、つまりお米を食べると神人合一の意味を持つようですよ。
非常に重要な節目の日ということで、今日は氏神様、崇敬神社、あと岩戸開きの所縁のある日開神社へお参りに行ってきました。
まず日開神社に行き、次に崇敬神社に行きましたが、ご拝殿で感謝奉納のお祈りを始めた瞬間に雨がサーッと降ってきました。
その瞬間に禊の雨だと感じてありがたく思いましたが、実は崇敬神社にお参りを始めた5年前にも、初日から4日間連続で鳥居をくぐった瞬間に雨が降るということがあり、それを思い出しました。
神域で降る雨はまさに禊であり、霊的な垢や心の垢が洗い流されると感じます。
清々しい気持ちで氏神様に向かいましたが、着く頃には雨が上がっていました。
ご拝殿で感謝を伝え終える瞬間に、ふと脳裏に「天地神明」という言葉が浮かびました。
天地神明に誓って、、、とか言うけど、実際にどういう意味だっけ?と思い調べてみると
ははぁ、なるほど、と。
いわくの2025年の大災厄の規模が決まるのは、今日の新嘗祭が重要な意味を持つと言われています。
歴史上、新嘗祭が何かしらの事情で行われなかった年は、翌年に大災厄に見舞われています。
氏神様で「天地神明」の言葉を賜った意味、それは「今日これからの生き方次第ではっきりと命運が分かれる」という警告として受け取りました。
今まで以上に謙虚に、慎みと清明心を以て生きていこうと誓いました。
それから神社猫を見守り隊活動に向かいましたが、向かう途中で今日はキジママ、チャトラン、サバが居るような気がしていました。
しかし、老人ホームに到着してもみんな出てこない。。。
あれー?居ると思ったんだけどなぁ、とキョロキョロしていたら、キジママが茂みからニャーと出てきました笑
「ママ子ー!」と嬉しくなってごはんを早速あげていると、遅れてチャトランとサバも出てきました。
3匹が揃うのは半月ぶりなので、今日は特別に氏神様からお計らいをいただいたのだと感じました。
ご飯をあげた後に帰ろうとすると、3匹はどこまでも着いてくるので、最近は一緒に参拝することもあります。
キジママと石段を上がったところにある鳥居まで来ると、鳥居の上に2羽の鳩が居ました。
しかも、天気雨がサーッと降ってきました。
つがいの鳩は良縁の象徴、、、うわぁ、メッチャありがたいな、と、ここまでお膳立てされるとむしろ申し訳なく思う次第で、より天地神明に誓って生きていこうと思いました。
キジママたちは車のすぐそばまで着いて来るので、いつも後ろ髪引かれる思いで帰ります😓
自宅に戻ってきて、こんな日は龍神雲が出ているんだよなぁ、とふと思って空を見上げてみると、目の前にありました笑
これ、僕は内在神様による因果律のコントロールだと思っています。
この雲はなんの変哲もない雲で、ただ細長く龍に見えなくもない雲なわけですね。
内在神様からすれば、僕が自宅駐車場に戻ってきたタイミングで龍神雲を探すことくらい事前にお見通しなわけです。
その龍みたいに見える雲が流れるタイミングで、僕がそう考えるような因果の流れを作っているのだと感じます。
これが状態化すると、神様とコミュニケーションを取っているような錯覚を覚えます。
逆を言えば、良心に反する言動ばかりする人は、トラブルに遭う因果律にコントロールされてしまい、これが自省することなく悪の道を進み続けると、いずれ内在神に見放されてトラブルすら起こらなくなると感じます。
この状態は非常に恐ろしいです。
この現実界で因果の昇華の機会を失ったことになりますので、たまりに溜まった悪縁は死んだ後にあの世で返すことになります。
僕はこの恐ろしさを考えると、悪人を見る度に本気で心から同情せざるを得ないくらいです。
現実界に生きる人間の想像を絶する地獄を体験することになります。
意識はこの現実界で生きている時よりも鮮明になりますので、本当に地獄です。
と、知っている風に語りましたが、最近なんとなくあの世に居た頃の感覚を思い出しかけていて、その感覚からすると地獄とは言葉で表すことができないほど地獄だと感じます。
こういうnoteをここまで読まれる方は、天国に行かれると思いますので、その素晴らしい良心を大切に生きて行ってほしいと思います。
あなたの心に、常に太陽が在る事を祈りつつ。。。
明日も善い一日になりますように😀