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孤独感を和らげていくために必要な考え方「”絶対の幸せ”vs”相対の幸せ”」

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がちでメジャー誌での連載獲得を目指しています!
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※ワードプレスからの引っ越し記事ですので、時節は合っていないかも知れません。。。

みなさん、こんにちは😄

タカミチです。

方々でクリスマスツリーが飾られ始め、おせち料理の予約もスタートし、いよいよ年末の空気が漂い始めましたね!

みなさんは今年やり残したことは無いでしょうか?

お悩み掲示板やチャット相談を眺めていて、孤独を感じられている人が増えているように思います。

天体の配置的にも、これからの時代は”いかに孤独を克服するか”が重要な時節に入っているようです。

そこで今回の記事では、孤独を和らげて本当の幸せを見つけていくための考え方について書いてみました😊

ちょっと今回は長いのでご容赦を。。苦笑

まずは孤独な時の心境を振り返ってみる

”孤独を感じる”と一言で言っても、人それぞれの置かれた環境、価値観によって状況は異なると思います。

  1. 家族の中で自分だけが浮いていて孤独を感じる

  2. 友達・恋人が居なくて独りなのが辛い

  3. 経済的事情や性別・容姿・性格、その他能力的な理由から対人関係を構築できず孤独を感じる

  4. 家族、友達(や恋人)はいるが、うわべだけの関係であり心が満たされず苦痛を感じている

  5. 家族、友達(や恋人)はいるが、多忙・金銭的事情から忙殺され焦燥感に駆られている

上記の複合的なケースもあるでしょう。

”孤独感”というのは、感情の中で最も辛く、時に地獄のような苦しみを味わうものですね。

一見明るく見える芸能人でも、深い孤独を抱えていて残念ながら自殺されてしまった方が少なくないのはご存じの通りです。

命に直結してしまう苦しみが”孤独感”ですね。

そして、孤独に囚われていると絶望感から視界が狭まり、すべてを悪い方向に考えてしまうのでとても厄介ですね。

孤独から抜け出すきっかけになり得るか分かりませんが、ここで話をちょっと広げてみて、”人間はそもそも孤独”という仏教的な側面から考えてみたいと思います。

前々回の記事「神様っているの?(前編)」で「家柄は浄土真宗ですが意識した事はありません」と書きましたが、その後奇しくも初めて意識することになりました。

というのも、ちょうどいつも読んでいたブログの広告欄に、「親鸞聖人の教えのメール講座」が表示されていたので、何気なくクリックしてメルマガを読んでみたのですが、親鸞聖人は浄土真宗の教えを広めた人だったのです。

正しくは、親鸞聖人の没後に、弟子たちがその教えを広めるために起こした教団が浄土真宗でした。

「わー、これは何かの縁だなぁ」と思ってメルマガを読んでいると、親鸞聖人はお釈迦様の教えをそのまま伝えた人であり、代表的な教えに「平生業成(へいぜいごうじょう)」がという言葉がありました。

この言葉の意味は、「どんな人も、生きている今、絶対の幸福になれる。だから、あなたも早く絶対の幸福になりなさいよ」というものですが、次の項目からこの言葉の真意を説明していきたいと思います。

人は”相対の幸福”ではなく”絶対の幸福”を目指すのが人生の目的

「平生業成」という言葉は、浄土真宗の”一枚看板(看板的な言葉)”と呼ばれており、「浄土真宗を学べば”絶対の幸福”に成れる」ということを表すものです。

絶対の幸福って?と思いますよね?

”絶対の幸福”の対極にあるのが”相対の幸福”です。

そして、”相対の幸福”とは「〇〇がある」「〇〇を持っている」「〇〇を達成した」など、事物(コトモノ)に依存する形の幸福です。

こうした”相対の幸福”は、一時は幸せを感じたり、安心して満たされるものですが、”絶対的な安心感(絶対の幸せ)”には繋がりません。

手に入れたものは、必ず失うという恐怖が付きまといますが、その一例として挙げてみましょう。

  • 「友達・恋人・家族が出来ても、絶交や浮気、死別などで必ず失う時が来る」

  • 「お金持ちになっても、それを失う恐怖や、健全な人間関係が破綻するなどのリスクがある」

  • 「夢を達成して満足しても、上には上が居るという事実に苦しむことがある」

相対の幸福を手に入れること自体は歓迎すべき素晴らしいことですし、人生を豊かにし、価値観が広がることで心の成長に繋がるでしょう。

しかし、いくら”相対の幸福”を追求したところで、”絶対の幸福”が手に入ることはありません。

”相対の幸福”は人生にプラスをしていく作業ですが、”絶対の幸福”はマイナスをしていく作業だからです。

”勝ち組、負け組”の価値観から離れよう

人と評価し合う負の連鎖から離れ、何も持たない在るがままの自分を認め、好きになっていった先に”絶対の幸福”があります。

現代人は、自分に何か取り柄が無いと「自分は無価値な人間だ」と卑下しがちですね。

これは、歪んだ評価をし合い、”勝ち組、負け組”を決めるという完全に間違えた社会の価値観に従っているためです。

この歪んだ価値観から離れる努力を始めると、少しずつ本来の自分が見えてきて、心が楽になっていくでしょう。

現代の電気、電波技術の基礎を築いた発明家、ニコラ・テスラの言葉が重要なことを言っています。

「私は正統な意味での信者ではありませんが、まず宗教を称賛します。

なぜなら、すべての個人は、自分の人生に意味を与えるために、宗教的、芸術的、科学的、または人道的な理想を持っている必要があるからです。第二に、すべての偉大な宗教には、人生の行動に関する賢明な処方箋が含まれており、それらが公布されたときと同じように、現在も有効であるからです。」

まさにこの通りで、誰しも本物の自信を育んでいくためには、道徳心に沿った何かしらの理想を持っている必要があります。

そうした過程で、ありとあらゆるものを受け入れて、全てがありがたいと感じられるように心を豊かにしていくことが出来るようになります。

ちなみに、今年3月の記事「「勝ち組」という価値観と距離を置くことが、安心した心を作る」でより詳しく書いていますので、よければ読んでみてくださいね😊(今見るとちょっと読みずらいかもですが。。汗)

”相対の幸福”が少ない人ほど”絶対の幸福”に向かいやすい

現状で”相対の幸福”をあまり手に入れていない人ほど、”絶対の幸福”に向かいやすいだろうと思います。

今回のテーマである孤独な人ほど、孤独を和らげていくための最短ルートになるでしょう。

だから親鸞聖人は、現代とは比べ物にならないほど過酷な時代を生きた人々(相対の幸福が無い人々)に対して「誰もが絶対の幸福になれる」と説いたのだと感じます。

何もないと感じるなら、何もない事を受け入れるだけなのです。

歪んだ価値観を持つ他人からの、ひねくれた評価をゴミ箱にポイできるように心を鍛えていけばいいのです。

この欲望に塗れた社会では、現代的な”相対の幸福”を多く持っている人の方が、”絶対の幸福”からは離れて行く皮肉があります。

欲に執着する価値観だと、永遠に”絶対の幸福”には辿り着きません。

さいごに

さすがに長くなり過ぎてしまったので、”絶対の幸福”の続き・詳細については次の記事でご紹介したいと思います。

今回は、これまでの記事の中で最も難航し時間がかかりました😅

正直いうと、もっと若い世代の人も入りやすい内容にしたかったのですが、、。

それはまた改めてということで。

その時に、若い世代特有のSNSに関する悩みについても取り上げようと思います。

孤独の絶望感から抜け出すのは本当に容易では無いですね。

少しでも多くの人が孤独な状態から抜け出すきっかけ・気づきを生み出せるよう、これからも色々な視点からアプローチしてみたいと思います。

続きはこちらから
続・孤独感を和らげていくために必要な考え方「”絶対の幸せ”vs”相対の幸せ”」

あなたの心に、常に太陽があることを祈りつつ。。

お読みいただき、ありがとうございます😊

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