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夏の終わりに寄せて:自然、子ども、そして教育について
全然夏は終わってませんが、
claudeに今朝の分を校正してエッセイにしてもらったら
夏の終わりになりました。
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今日、学校の1学期が終わり、夏休みを迎えました。帰り道、いつもの通学路を歩きながら、様々な思いが頭をよぎります。
移ろいゆく自然の美しさ
エノコログサを見つけ、その成長に目を奪われました。2ヶ月前に3Dスキャンした時はまだ芽が出たばかりでしたが、今では立派に育ち、頭が曲がっています。同じ植物でも、季節によって姿を変える。その変化を追いかけるように3Dスキャンを続けたら、きっと面白い記録になるだろうと思いました。
道端では、ハンミョウが忙しなく飛び回っています。その小さな姿に「おーい、ハンミョウちゃーん」と呼びかけたくなるほど愛らしく、自然の小さな営みに心が和みます。
この通学路は丁寧に管理されています。草は適度に刈られ、花は残されている。人の手が入りつつも、自然との調和が保たれているのです。この景色を夏休みの間は見られないと思うと、少し寂しい気持ちになります。
子どもたちの世界
帰り道で目にした光景が、子どもたちの世界について考えさせられるきっかけとなりました。小学生の男の子たちがトカゲに石を投げているのを見て、思わず「やめろ」と声をかけました。子どもの残酷さは、ある意味で純粋な好奇心の表れかもしれません。しかし、その行動が生き物を傷つける可能性があることを教える必要があります。
この出来事は、現代の子どもたちが直面する問題へと思考を広げました。SNSを使ったいじめが問題視される中、子どもたちの行動の根本にある「残酷さ」や「短絡的」な面は、実は昔から変わっていないのかもしれません。ツールは変わっても、人間の本質は同じなのでしょうか。
技術と教育の未来
スマートフォンやSNSの普及により、子どもたちのコミュニケーションは密になり、逃げ場のないものになっています。しかし、これは単に技術の問題ではありません。教育のあり方を見直す必要があるのではないでしょうか。
例えば、歴史や科学の授業で、教科書に載っていない研究者の人生や、発見の裏にある物語を教えることはできないでしょうか。そうすることで、子どもたちに多様な人生や世界観を示し、より広い視野を持たせることができるかもしれません。
もちろん、授業時間の制約や教師の負担など、課題は山積みです。しかし、AIのような新しい技術を活用することで、これらの課題に対処できる可能性があります。
結びに
夏の終わりのこの日、通学路での観察と思索を通じて、自然の美しさ、子どもたちの成長、そして教育の未来について考えさせられました。季節の変化とともに、私たちの社会も変化し続けています。その中で、自然との調和を保ちつつ、次世代をどのように育んでいくか。それは私たち大人に課された、終わりのない宿題なのかもしれません。
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しょして、校正前の書き起こしをsunoで曲にしてもらったのが下です。
綺麗な文章と生っぽい呟き、テキストと音楽の違いで伝わり方が
随分違うと思ってて、AI時代に、AGI時代に、ASI時代に、どの部分を
生身の人間は大事にハブしとけばいいのかなと考えてます。
追記、というか追曲です。
いいガチャ引いたわコレって曲が出来ました。
最後の最後、歌が終わってからなんか面白いの生成してます。
やるな!suno太郎君!