内藤新宿翔覧絵巻
【今日の新宿の住人】
「ぶらり途中下車の旅」というTV番組で、内藤唐辛子の話題をしていたと、連絡がありました。
新宿の名産品・内藤唐辛子は江戸時代に始まります。あまり詳しいことは分かっていませんが、「内藤」とつけるくらいですから、付近の柏木村や角筈村ではなく、宿場町の内藤新宿が主体的に生産していたと想像されます。なにしろ宿場町といっても、宿泊客はほとんどいないので、財政的にとても厳しかったので、名産品で利益を得ようと考えたのかもしれません。
内藤新宿(現・丸ノ内線・新宿御苑前〜新宿駅の新宿通り一帯)は、内藤家の下屋敷地(現・新宿御苑)の土地を分けてもらって、元禄12年に開いた宿場なので、農地がありません。ですから、畑に使われたのは武家地だろうと想像して、内藤家の敷地の外れなどを利用しただろうという設定です。
とはいっても、唐辛子を実際に育てたのは付近の農家でしょうね、町人が片手間に育てて名産品にできるほど、農業は甘くないですものね。
この絵では収穫をして、すぐにムシロの上に広げて干しています。この作業も想像です。唐辛子は枝ごと収穫して、束ねて軒下や小屋の中で干すのでしょうけれど、なにしろ、農作業は雇われた人々が行うので、自宅に持ち帰ることができないだろうという想像と、絵的に賑やかになるように、畑で干して、町会所の小屋などに納めるという設定にしてみました。
宿場にも長屋がたくさんあるので、その中に、雇われ百姓もいるだろうと思ったのですが、現在残っている資料には、それを思わせる職業の人はいませんでした。
「日雇い(ひやとい)日傭稼(ひようかせぎ)」という人もいるのですが、これはどの町にもいて、武家屋敷の雑務や、荷車を引いたり、米をついて精米したり、工事の手伝いをしたりする職業です。現代と違うのは、誰もが自由に就けるわけではなく、日傭座(ひようざ)へいって、木札(登録証)をもらわないと仕事にはありつけません。それを持って、近所の人宿(ひとやど)と呼ばれる、職業斡旋人に仕事を紹介してもらうなどして、仕事を得ます。
ですから、宿役人(しゅくやくにん)が日雇いを頼んで、唐辛子の栽培の手伝いをさせたこともあったかもしれません。
こういう、記録のないことを勝手に想像するのは、なかなか楽しいものです。
私の絵の中では、そうしたシステムが作られ、人々が働き、宿場内にたくさんいる青菜売りたちの手で、内藤唐辛子は江戸市中に販売されて行くのです。
ただの風景ではなく、人々の暮らしと人生が入っているところが、重要なのです。何故なら、町とはそういうものですものね。建物が町なのではなく、それは人々の暮らしの結果なのです。人の存在ありきなのです。
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2021年9月25日より新宿歴史博物館にて展示予定