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毒親と絶縁するまで

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毒親(自分の両親)との関わりを書いていきます。 過去を思い出しながら順序立てて、記事にしていきます。 2023年3月の引っ越しを期に完全絶縁するまでの記録です。 思い出せるだけ詳…
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#親父

毒親の記憶 絶縁のきっかけ

突然の実家泊り 2022年6月に祖母が逝去し、群馬県高崎市が義理場になり行きました。 通夜と式だけ参加し、すぐに帰るつもりでしたが他の親戚も居て実家に泊まることになりました。 もうピアスだらけで胸割り進行中でした。完成はまだまだだったけど額はほとんど暈し終わってました。 バレるところは風呂だ。ここだけ何とか凌ごう!と思いました。 そこそこ広い家だったので風呂場と脱衣所、洗面所が別だからシャワー浴びるのは大丈夫だった。 なぜかディスられる 電車で義理場に行った私は親の車で

毒親の記憶 中学~高校

今回は日々の中学校から高校までの話をします。 いくつか記事で実家の日常を話しました。 今風に言えばモラハラ、人格否定発言は日常的でした。 15歳まで無視されてました。 ダウン症の次男を虐待する親父と泣くお袋、家に居る間は常にイライラした親父がいる家庭。私はいつも図書館に避難していました。ケータイも持ってないから娯楽もありません。平日、土日関わらず怒鳴り声と悲鳴で睡眠不足な毎日。 その中で自衛のために一言も発さずに、影を消していました。 欲しい物があっても何も言わない

毒親の記憶 弟への虐待と助けを求めて

私が3兄弟の長男で次男はダウン症を持っていました。 親父は次男が嫌いなようでした。 学童期の記憶で親父は存在そのものを認めていない、人間だと思っていない、そんなイメージでした。 基本的に平日の仕事終わりや休日の寝起きは親父を警戒して過ごしていました。 TVや単語一つに反応して極論を振りかざして怒鳴り続けます。 出来るだけ波風立てないように、視界に入らないように過ごしていました。 仕事で嫌な事があったのか理由は分かりませんが不機嫌な時は、家に居る間イライラしたオーラを全開

毒親の記憶 前置き・ウチの日常

2023年3月以降は一切思い出さないようにして、忘れるようにするから今のうちに記事として残します。 私の家は、外側から見たら恵まれている家庭でした。 急行が止まる駅、商店街、そこそこ物価の高い街。 新築マンションに住み、常に左ハンドルのドイツ車がある。 ただ見ただけではわからんのよ。 同級生に幸せそうな人が居ても、悩みが無いと決めつけないで。 父、母、私を含む3兄弟の5人家族でした。 次男はダウン症でした。 1番古い記憶は怒鳴り声で目が覚め、布団の中で震えている事です