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毒親と絶縁するまで

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毒親(自分の両親)との関わりを書いていきます。 過去を思い出しながら順序立てて、記事にしていきます。 2023年3月の引っ越しを期に完全絶縁するまでの記録です。 思い出せるだけ詳…
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#バイト

毒親の記憶 距離感

今回も毒親関連の話を、とくに距離感について。 専門学校に入学した18歳から職場の寮に入り実家を飛び出した。 最初の2,3日は電話やラインが鳴りっぱなしだった。 リュックとトートバック2個だけでフラッとでできました。 段々と電話攻撃が収まってきました。 居場所が分からないし、連絡手段はケータイだけ。 電話には出なかったです。 声を聴きたくなかったので。 親を捨てるのか、育ててやったのに、そんな事は世間様が許さないぞ。 これの繰り返し、焼き直し、言い換え DV・モ

毒親の記憶 人暮らしの最安値

今回も毒親関連の話しです。 家は休む場所ですが休めない場合は何よりも早く出ていきたい。 そう思う。私はそうだった。 高校3年生 高校時代は必死にバイトして学費を払いながら免許代を貯めていました。 調理師免許を取ったら埼玉から離れた場所で働いて自分の生活がしたい。 本屋で漫画を衝動買いしたり、コンビニやファミレスに行ってみたい。 そう思ってた。 自分のバイト代で学費を払っているからなのか、どんなに眠くても授業中は全然眠くならない。1時間でも寝たらお金無駄にしてることだ

毒親の記憶 中学~高校

今回は日々の中学校から高校までの話をします。 いくつか記事で実家の日常を話しました。 今風に言えばモラハラ、人格否定発言は日常的でした。 15歳まで無視されてました。 ダウン症の次男を虐待する親父と泣くお袋、家に居る間は常にイライラした親父がいる家庭。私はいつも図書館に避難していました。ケータイも持ってないから娯楽もありません。平日、土日関わらず怒鳴り声と悲鳴で睡眠不足な毎日。 その中で自衛のために一言も発さずに、影を消していました。 欲しい物があっても何も言わない