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書くことは

20代の、仕事も恋愛も自分の夢も目標も、なにもかもが「不安ばっかり」だったときに、mixiとかブログとか書いていた時期もあった。

結婚もして、こどもも産まれて、女として「憧れていたこと」の一部を獲得していたわけだけど、正直に言って、安心感や満足感にひたった記憶がない。

大好きな人と結婚をして、こどもを授かり、夫も出世して(ギター弾いたり砂浜で寝転がって日焼けしたあとに時給の仕事に向かっていた人が、フルタイム勤務どころか部下がいる立場になったんだから、すごい出世です)、そのこどもたちも変わった子たちで、そんなんを4人も授かって、はたからみれば「あんた、それで文句言ってんの?」って状況ではあるが、欲深いわたしはいつも、「ここではないどこか」に行きたいと思っていた。

でも39歳にすべりこむように、この一年でなんども大きなきっかけがあり、やっと、自分の足は、地面をつかみ、蹴って、自分を進めるためにあるのだ、ということに気づく。

今までも、まわりの友人や、アドバイスをくれる人たちは、「書いてごらんよ」と言ってくれていたし、書くことは自分のアイデンティティのたいせつな活動の一つだと認識していたけど(書く行動が必要なことも、書くことで確実に変わることも、自分にとって文章や言葉がどれだけ価値があるかもわかっている)、気が乗らなかった。

頭のなかでいつも、文章にするなら、、とか、これをブログに書くとしたら、、とか、そんな感じであたまのなかにはたくさんの記事があったけれど、書くことがどれほどエネルギーと時間を要するか(うまく書きたい、面白く書きたい、かっこよく書きたい、という下心があるゆえ。)ということもじゅうじゅうわかっているので、気軽に手を出すこともできないし、それより「はよ寝たい」ほうが先だったから。

でも、40歳になって動いてみたら、自分の頭の中にとどめておくだけじゃ誰にも伝わらないし、何にも形にならない、という、100人いたら100人が知ってるようなこと(それができるかどうかは別として。)に気づいて、循環を良くするためには出さないとだめだ、という、とても当たり前のことを実感した。

外に向かって関係性を作りたいんだから、わたし自身のことも知ってもらうことは必要だ。

わけわからん人とは、誰もいっしょに仕事したいと思わないよね。

自分を知ってもらうために、書きたいと思います。

書き始めたら止まらないなぁ。

料理も掃除も洗濯も後回しになっちゃう。

そして書いてスッキリしたら、しばらく書かなくてよくなっちゃう。

でも、そんなときにこそ毎日書くというのが大事かもしれない。

尊敬する、ほぼ日糸井さんの「今日のダーリン」のように。



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