創業ストーリー マイカル破綻の章
ーー28歳ーー
*******マイカルサティ破たんの章**********
28歳のこと・・・
2000年
「前田くんえらいことしたな」
と一本での電話
私:「はっ?」
「マイカルサティと直接取引を始めたらしいね」
「うちの会社はゼンシンとは全国取引禁止になりました」
「ナショナルチェーンにはいったらあかんよ」
と・・・
そして次々、マネキン業界から切られ、売り上げは激減し、倒産の危機。
その分をマイカルさんで埋めて行こう!と自分を奮い立たせながら頑張っていた
矢先
マイカルサティ 破綻のニュース・・・
もの凄くきつかった時代です。
しかし、これが展示会業界にはいるきっかけになる。
さらに10年時を遡ります。
ーー18歳ーー
*********シガディスプレイ発足の章********
私が物心ついた時から
両親が「前田製作所」という小さな鉄工所を営んでいました。
小学校の頃から夏休みにもなると朝から晩まで、僕も毎日仕事に追われていました(笑)
「あ~ 遊びたいっ 友達は遊んでいるのに」なんて
子供の頃から、寝ずに働く親の姿、資金繰りが原因での喧嘩、台所のすみで泣いている母親の姿などの商売をしていたが為の苦労をみて育ちました。
高校2年生のときに父親にお客様への納品ついて行った採、そこで見つけた一枚の伝票
子供の頃から家族総出で夏休み期間に4,000台つくっていた手袋什器
私たちの卸値 @3500円
お客様がそのお客様への売値 @7,000円
(当時の僕はFAXで注文書を送るだけで!?と感じた)
手袋什器↓今だにスーパーなんかでみると胸がぎゅんってなります。
私たちの粗利 200万円
お客様の粗利は1400万円
というのを知る。
見た瞬間に全身に電気が流れ
今ある環境の理由を知った。
「下請けはダメだ、元請けになろう」
何となくの想いが、その時、はっきり決意に変わった瞬間でした。
「やる」と本気で決めた時から、考え方や行動が変わるのを今になって感じています。
本から得られる知識 や、流行っている店に行くと何故流行っているのか?、流行っていない店は何故?と自分なりに考える癖がつきました。
「脱下請け」
今考えると何も下地もないままの思いつきだったが
個人事業として18歳シガディスプレイ発足
手書きのチラシをもって、商店街を1件1件まわりました。
⬇当時の営業資料
ご想像の通り、商店街にはニーズ自体小さなものでした。しかし、そこには多くの気づきがありました。
そのひとつ、1件1件まわるのは大変だから、タウンページに掲載してみよう! 3,000円/月 の有料広告に掲載することに真剣に悩みました。
結果、以外に多くの反応がありました。
その中で、
「今度、子供服のお店を出すので内装家具を製作してもらえますか」と注文を頂きました。
80万円くらいの仕事だったと思います。
自分が一からお客さまと打ち合わせして「お店を創る」
もちろん、やったことの無い仕事。もちろん図面を引いたことさえありません。
試行錯誤の結果 無事納品
その時のお客様からの「お陰様でいい店ができました。ありがとうございます」と頂いた言葉
今思えば、この先の道が見えた瞬間でもありほんとうに嬉しかった。
これは生涯忘れることのない思い出となっています。
その後も、受ける仕事一つ一つから頂く感謝の言葉からこの仕事をする意義を見い出してきたんだと思います。
もうひとつシガディスプレイでやりたかったこと、前田鉄工所のお客様がされていた”レンタル什器会社” これを自社でやろうと
自分なりの営業をしたんですが、やったことのない仕事なので、もちろん簡単にはいきません。
チャンスは突然訪れました。
—-21歳——
地元の結婚式場がやっていたブライダルフェアでのウェディングドレス衣装展示会
その会場をみた瞬間「これだっ」と思いました。
ノウハウも知識も無い状態でしたが、すぐ猛烈な営業開始
もちろんその仕事をする為のノウハウも機材も何もありませんでした。
しかし、
子供の頃から知っている、前田製作所のお客様、サガマネキン常務寺島さんに相談に行きました。
「滋賀県のブライダルフェアの仕事を必ずとるから、協力してほしい」と
すると寺島さんから返ってきた言葉
「ゆういち(私)がやるんならとことん協力する。うちにあるレンタル商品好きなだけもって行け ハイエース1杯 1万円でいいから」
ここから、快進撃がはじまりました。
知らない仕事なので、多くの障害はありましたが、狙っていたブライダルフェアの仕事は無事受注
そして、Tさんのところから、2-3万で借りた商品と、人件費は友達にごはんをおごる。
そして家族・鉄工所のパートさん
5万ほどの原価で80万ほどの仕事になりました。
1年ほどで滋賀県の主要なホテルのブライダルフェアは、ほとんどシガディスプレイがやるようになってました。
しかし、以上の快進撃には、理由がありました。そしてその理由が今の原点にもなっています。
それはハードのシステム化です。
当時ブライダルフェアをつくる常識的な工法は、職人たちが作る木工法
それは、職人の技術もそうですが、使い捨て、なにより工程の複雑さからコストも膨大な時間もかかる。
私たちは
システムステージ、システムパネルを開発しました。
誰でも簡単に設置できる。
静かで、早くて、ローコスト、そしてゴミが出ないということが圧倒的な競争力を生み出しました。
後にたくさんの弊社独自の革新的システムが生まれつづけているのは以上が原点になっています。
ECOPAシステム、フラットウォールシステム、フラットフロアシステム、Wデッキシステム、ガラスウォールシステム、ファブリックシステム、グラフィックウォールシステムなど他多数を独自に生み出し更なる強みにしていきました。
そしてブライダルフェア施工のシガディスプレイとして業界を圧巻し、京都進出につながる。
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