偏差値と愛校心
面白いことに気がついた。
偏差値がそんなに高くないから、あの学校よりこういうところは勝っている。こうして、団結力を高めていく。
「やっぱこの学校、いいよね」
という。
自分の所属する団体の価値を少しでも高めることで、自分を励ますのである。
「大丈夫私結構充実してるし有意義なことやってるよ」
一見滑稽に見えるだろうが、そうしているとコンプレックスや足りない部分が補えているような気がする。
学歴社会はもう少し柔軟性が必要だとは思うが、
学歴社会の偏差値が愛校心を形成する一因とも考えられないだろうか?
これは愛国心においても言える。
ほとんどの日本人は「日本はこんな悪いところもあるしこんな問題抱えてるけどそれでも頑張ってるよね(私だって日本で頑張ってるもん…私が生まれ育った国だもの)泥臭くていいじゃないか日本って」と思ったことがあるのではないか?
左でも右でもない日本人は特に。
そう、左とか右とか、名前を付けると複雑になるが、
最近思うのはどの組織やグループにおいても
平均点が見られるのではない。
大半の場合、
最低点と最高点が注目されてしまうのである。
誰か一人が悪事を働けば、日本人はこんなことをする人間なのだとみなされてしまうし、日本人もまた外国人のことをそういった見方をしてしまうことがある。
そういったバイアスを人間はもっと自覚すべきである。
人間はそれぞれでピンキリと知っているはずなのに、
平均点すなわち中間層に目がいかないのは民主主義と多数決の弊害とも言えるかもしれない。