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アヤワスカとペルー行きを断念して薬草のセレモニーと出会ったお話

アヤワスカのためにペルーに行きたい。
そんな思いが強くなったのは、青汁王子のアヤワスカ動画を見てからだった。

もともとアヤワスカには興味があった。

初めてアヤワスカを知ったのは一体何からだろうと考えたが、覚えていない。アヤワスカじゃなくて、アナログアヤワスカから知ったのかもしれない。

ここを見て頂いてる方はご存じと思うが、アヤワスカはペルーの国家文化遺産の植物であり、シャーマンが儀式にて扱う神聖なものである。

一般的には、LSDの100倍とも呼ばれる幻覚剤の部分が有名かもしれない。

幻覚剤の部分がことさらフューチャーされているが、アマゾン植物療法の一種である。精神に深く作用するので慎重な扱いが必要だが、ヴィジョンが見えたり、はたまたうつが治ったりと、(薬機法があるので効能をうたってはいけないですね)かなりぶっとんだ、パワーのあるものである。

「アヤワスカはなんだか凄そうだし面白そう!いつか行けたらいいな」そんな風に遠い未来のことと思っていた。

しかしある時友人に、アヤワスカの為にペルーに行きたいという話をしたところ、驚くべきことがわかる。

なんと、友人の友人が研究者であるという。そして来年ペルーに修行に行くという。さらには、その研究者は自分の別の友人と繋がってることが分かった。世界って狭い。

そして自分もペルー行きを決意するのだが、、家族に泣いて反対をされて断念した。

「子供が小さいから、何かあったら駆けつけられない。大抵のことはいいと言ってきたが、今ペルーに行くのは本当にやめて欲しい」

家族を泣かせてまで強行することではない。あれだけ盛り上がったペルー行きをあっさり取りやめることになった。

それでも、アヤワスカ熱は燃え上がるばかり。話を聞いていくと、何やら日本でも「日本人シャーマン」なる存在があるらしい。

色々調べると、アヤワスカではないが「アマゾン植物療法」を扱う日本人シャーマンが日本にもいることがわかり、某所で薬草のセレモニーを行うという。

薬草?セレモニー?

そう思ったものの、不思議だが、調べれば調べるほど、ちゃんとしたものである、と感じた。

薬草セレモニーの文章、植物とはなにか、そんな文章をいくつか読み、言葉の使い方や文章の中に本質的なものを感じ取った。

私の知識や考えの及ばない世界のことが書かれている。自分の感覚だが、このレベルのことを話しているというのは信頼に足る、と判断しセレモニーに参加することにした。

結論から言うと、セレモニーはとても良かった‥!控えめに言って最高だった。

参加するとセレモニーは、リピーターがほとんどだった。本当には、文章では魅力の3割も伝わらない気がするが、敢えて文章に残しておきたい。

セレモニーでは薬草を使用した。今回、セレモニーに使用して頂いた薬草(タバコ)は4種類。

名前がわからないものもあるが・・・

・目薬(サナンガ。めっちゃ痛い)
・ペーストの苦いやつ(少量)
・タバコドリンク(黒い液体、少し不味い)
・ハペ(鼻から吸引するタイプの粉)

上記を上から順にやっていった。
まず目薬、、

目を酷使しているほど痛いですよ、と事前に言われていたが案の定メチャクチャ痛くて悶絶。。思わず自然と涙が出るほどの激痛。

初回からこれか、、と来たことを後悔した。が、翌日は目が本当にスッキリして快適だった👀

お次はなんかペースト状のもの。薬草と芋か何かを混ぜてペースト状にしたものらしいがこれは舌下吸収するタイプ。

量はごく少量だが、口に含むとなにやら吐き気が、、

ちなみにこの薬草のセレモニーは浄化がポイントであり、吐くことが目的の一つである。吐き、浄化するために、薬草を取るのである。

日本人シャーマンの方は、段階を踏んでマイルドに調整してくれている配慮を感じたが、後半はきつくなるだろうなと内心ビクついていた。

そして、メインのタバコジュース。

このタバコジュースのことを、マパチョさん、あるいは植物さんと呼んでいた。日本人シャーマンの方曰く、

「植物は愛そのもの。人間に変化や変容をもたらしたとしても、つつましやか。わたしのおかげだ!という主張をすることがない。優しい愛の存在。望むものや人を繋いでくれる凄い働きがある。アヤワスカだけが注目されているけど、タバコはシャーマンにとってはアヤワスカ前の浄化として使用したり、双璧をなすくらいとても大切なもの」

との言葉をもらった。

タバコジュースを飲む前に体を清めて、タバコを吹きかけられながら、ガラスの瓶に入った真っ黒いタバコジュースを飲む。

初回という事もあり、グラスに1/3ほど。飲んだ後、感覚としては若干ぐらぐらした。

自分の境界が曖昧になったような、自分が少しずつ溶け出してるようなそんな感覚。意識はまだはっきりしている。

その後、ハペ。鼻から吸引するタイプという事で、これが合法な植物じゃなかったら明かに怪しいブツなのだけれど、、日本でも完全に合法との事で安心して片鼻ずつ吸い込んでいく。

自分はこの手のものをやったことがないので(心理的にも)耐性はない。まったくないので比較も判断も作用しない。

このハペは強烈で、鼻に吹き込んでもらった瞬間、ツン!と強烈な痛みに涙が出た。もう片方の鼻にも吸引を行う。

このハペを行った2~3分後、急激に体が寒くなってきて、一気に具合が悪い感じがする、、と思うのと同時にこらえきれずにバケツに嘔吐した。

一週間前から食事制限をしていて、当日絶食していたので、出るものといえばタバコジュースと水のみ。

吐くという行為は苦しい。

自分は吐き方を知らないのか、慣れていないからか、吐く時にとても苦しかった。絞り出すような苦しさ。

周囲時の状況を見ると、みんなわりとスムーズに吐いているように思う。

自分だけは、せき込むような、苦しいものを出すような感覚があってお腹のほうまで痛くなっていた。

これは後から聞いたことだが、この「吐いている時の苦しみ」は

日常我慢をしている、ため込んでいる、言いたいことを言っていない、という人ほど吐くのが苦しいのだそうだ。なるほど、いや、ほんまかいな。

例にもれず、自分は相当苦しかったし、むせた。たぶんそういうことなんだろう。

周囲は嘔吐大会。みんなで吐きまくるというカオスな状況。

やがて落ち着いてくると、おかわりしたい人はどうぞ、との声。せっかくなのでもう一杯もらう事にした。

二杯目のタバコジュースは量が前回の3倍近くあった。これは大丈夫か、、

一気に飲み干して、自分の席に着いた瞬間、こらえきれずに速攻で吐いてしまった。水を沢山飲むが、腹が痛い。

具合も悪くなってきたので横になることにした。横になる中で、不思議と取り留めもない考えがたくさん浮かんできていた。

シャーマンは、意図をもってタバコジュースを飲むと良いと言った。意図というのは、このセレモニーに参加する目的だ。

意図をもっていても望むものが手に入るとは限らないが、必要なことは起きるという。それが必要であって、準備ができていれば、必要なものを見ることができるとの事だった。

飲む前に、みんなで自己紹介と今回の意図を順番に話した。

自分は、クリアになる意図でマパチョを飲むと言った。

もちろん嘘ではないが、当然それだけではなかった。いつも、肝心な事や大事なことは口にしない。そしてここまで来た意図を考えていた。

実際に自分は、いつも何かを学んだり、取り組んでいるフリをしていながら

本当はどこか人生に飽き飽きしていて、退屈していて、どこか人生に諦めのようなものがあって、

何よりも、そうであるしかない自分にうんざりしていて、

それでもこのままではよくない、何か自分を変えたい、良くしたいと思って

そのヒントがあるのではとわざわざここまで来た。探求と改善の余地があるなら知りたい。そんな思いだった。

そしてこうして、全く知らない初対面の連中と黒い液体を囲みながら嘔吐をしている。

朦朧としていると、普段出てこない考えや人、感謝などいろんなことが浮かんでくる。

・こんなふうに今ここにいるけれども、ここに来れるという事自体、奥さんのおかげかもしれない。

・あの約束があったなあ、そうだ、あの人に連絡をしよう。約束を果たさなければ。

・自分の周囲やコミュニティにどうやったら貢献できるのか。このままで息を吸うように自然と貢献できるものは一体何か。

・自分はレターを書いていた。門外漢の知らないジャンルでも、話を何時間か聞けばレターが書けるので、それがすごいと思っていた。でもそうじゃない。相手の言っていること、言っていない事、感情や思い、それらを聞けることがポイントなのではないか。それを適切に形にすることが評価されていたが、大事なのは聞くことではないのか。

そして起きながら夢を見た。最近夢を見ても覚えていない。起きながら見た夢は印象的だったものの、取り留めもないもので、残念ながらメッセージを読み取ることはできなかった。

ちなみにその日は、いろんなことを考えたり整理したりするのが楽しくて、明るくなるまで一睡もしなかった。というか寝れなかった。興奮していたんだと思う。

朝起きると、信じられないくらい目がすっきりしていて、頭もすっきりしていた。凄くクリアになっていた。心と体と魂は繋がっていると言うが、体はやはり大事だと思った。

みんなで朝食を食べながら、セッションを振り返った。そのあとも色んなことを教えてくれた。

・自分の考えが及ぶ範囲というのは狭い。そしてエゴができることというのはたかが知れている。宇宙の情報量と比べたら比較にならない。

・タバコを飲んで感じる感覚は様々。寒く感じる人、あつく感じる人。大事なのはそれを読み取りその意味に気付く事。決して、うんうんうなって考えるという事ではない。直感を大事にするという事。感じるという事。

どうやったら物事の意味に気づけるようになるか?感じられるようになるか?と質問したところ、「相手のことを考える」という回答だった。

それが人間でもモノでも、量子力学上ではいずれもエネルギーである。

原理原則として与えたものが返ってくる。相手だったらどう思うか?

たとえばごみを捨てる時も、汚いものを拭いて捨てる、というのではなく

本来であれば綺麗にしてくれたからありがとう、となるはず。

ドアノブも、乱暴につかんでドアを閉めるのではなく、一つ一つの所作を丁寧に行う、与えるという事を日々心掛けていく、相手の身になって考えるという事が大事、との事だった。なるほど。

ちなみにこの「相手のことを考える」というセリフは、嫁の口癖である。事あるごとに「相手のことを考えろ」と言うし、子どもにもよく言っている。


自分がわざわざ某所まで行って得た結論は、その体験や知見や洞察の全てではないにしろ、

結局、結論は嫁が普段言っていることと同じ「相手のことを考えろ」だったというのは何か悪い冗談なのか、それとも別のことを示唆しているのか、とても複雑な心境だった。。

ペルー行きを猛反対された時も、「修行だか何だか知らないが、子供をワンオペで2人つきっきりで見る方がよほど修行になるからやってみたらいい」

と言われたのだけど、それは仰るとおり。そういうことなんだと思う。言い訳をすれば、自分はそこから学ばないので、わざわざコストを掛けて外で学ぶとも言える。

取り留めもない形だけど、次回がもしあるなら、またしっかりと様々なものに向き合うために、そして浄化をするためにやってみたい。


お読みいただきありがとうございました★

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