マスクと滅私奉公

 白状すると、2020年の秋くらいまで、私はわりとしっかりマスクをしていました。その頃になると、もう新型コロナは日本人にとって脅威ではないことはデータにしっかり出ていましたし、マスクも感染予防に効果があるどころか、雑菌培養装置となってしまい、むしろ有害であることが分かっていました。それでも私はしていました。なぜかと言うと、コンビニやスーパーの店員さんなど、多くの人間と接する人にとって、マスクをしていない客というのは、とてつもないストレスになると思ったからです。マスクをすると息苦しいし眼鏡も曇るのでつけたくはなかったのですが、滅私奉公の精神から、何かの施設に入る時だけはつけていました。
 そんな曖昧な感じなマスクマンだったのですが、あるものを見て完全に考えが変わりました。マスクをする子供たちの姿です。
 新型コロナに対しては、子供は全くノーリスクです(これは科学的にはっきりと証明できます)。その子供たちがマスクをつけさせられているのです。本来なら、人の表情をいっぱい見て人間らしさを学ばなければならない時期にそれをさせてもらえず、さらには自分の表情まで隠されてしまう。こうして育った子供が将来どんな大人になるか、恐ろしく思うのは私だけでしょうか? それに、健やかな成長のためには酸素をいっぱい取り入れなければならないのに、それも制限されてしまう。こんな事が本当に正しいのでしょうか?
 私はそれまで社会のためにマスクをしていたつもりだったのですが、実はそうではなかったのです。私を含む大人たちがなんとなくマスクをつけているせいで、子供たちを酷い目にあわせていたのです。
 最優先されるべきは「子供」ではないでしょうか? 故ハマコーさんの言葉を少し変えて説明すればこういう事です。
「かわいい子供たちの時代のために、大人があるっちゅうことを忘れるな!」
※実際のハマコーさんがどうだったかということには触れないで下さいね(笑)

 私は、大人というのは、子供たちを守るため、そして大事な文化を伝えるために存在していると思います。マスクが子供たちを守る事につながるのか? マスクといういわゆる“新しい生活様式”は、子供たちに伝えるべき文化なのか?
 そう考えると、私は自分が恥ずかしくなりました。「滅私奉公」の言葉通り、公のために自分を殺していたと思っていたのですが、そうではなく、公の宝である子供を犠牲にして、大人たち同士で安心を与えあっていただけなのです。
 これを機に私はほとんどマスクをしなくなりました。どうしてもしなければならない時は「ごめんよ子供たち」と心の中で詫びています。

 あれから一年経った2021年12月、子供たちをとりまくマスク事情はさらに悪化しています。マスクを外したがらない子供も出てきているそうですね。私なんかは「あのおじさん、マスクしてないよ」とすれ違う子供に指をさされる始末です。心が折れそうになります。いっそのこと、同調圧力に屈した方がどれほど精神的に楽な事か。でも、その度に「かわいい子どもたちの時代のために、大人があるっちゅうことを忘れるな!」この言葉を思い出して、自分を奮い立たせるのです。そしてそれこそが、本当の滅私奉公ではないかと思うのです。

 マスクが絶対必要という方もいると思うので、そういう方はもちろんつけていればいいと思いますが、そうではなく、「みんながつけているから」という理由でマスクをつけている方がいらっしゃったら、今一度、何が最も大事なことかを考え直してみてはいかがでしょうか?

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