めちゃくちゃな夏を生きている話

複雑な気持ちの日々を過ごしている。その大部分は東京オリンピックに関係する。


開会式が迫ってくる中でのスピード感は凄まじかった。この1年以上は下り坂のトロッコで駆け落ちている印象があるが、ついにトロッコが軋む音を立てて破片を撒き散らしながら瓦解へ向かうような終末感があった。

この先に現れるのはどんな景色なのか、不謹慎なスリリングさを抱えた開会式当日。そもそも見るべきか迷ったものの、これから起こることをリアルタイムで確かめたい気持ちもあり、家事や晩酌の傍らに眺めることにした。

開会式全般の感想としては「グロ」「キモ」「浅」といった端的なものが大半を占める。おじさんが考えた一昔前の日本っぽい要素をテーマなく集めたものの合間に、果たしてオリンピックをやるべきなのかという煩悶、医療の問題や政府の意思決定が引き連れてきた不幸や人災、飲食店をやっていたり仕事が流れてしまった友人たちにも思いを馳せた。選手入場を除く大半を見ていたが、最終的にはストレスで5歳くらい老けた。

選手入場に関しては、ゲーム音楽のくだりが非常に耐え難く、ギブアップして「ベストワン」を見ていた。私の人生前半部分はほとんどゲームで埋め尽くされていて知っている曲もたくさん流れたが、ここは明確に「搾取された」「なめられている」と感じた。使用にあたってゲーム内容を考慮した形跡もなく、なんとなく曲調があの場に合っていれば採用という軽薄な姿勢が見て取れた。そしてその割には、曲が再生されただけのことで喜んでいる人が多く観測され、ひどく断絶を感じて疲れた。あの舞台に不在だった任天堂への信頼が勝手に増した。


以前からオリンピックについて「始まってしまえば結局は盛り上がる」といったことを為政者たちが述べており、そんな馬鹿なことがあるものかとも思っていたが、想像以上にその通りになっていて、かなり現実を突きつけられている。

Twitterでの関連ワード全ミュート、競技の様子をできるだけ視野に入れないといった対処法も浮かんだが、さすがにそれは消極的にも程があり、そこまで自衛しなくてもやっていける。ただ自分の感情と見ておくべきものとのバランス配分を最初の数日はじっと探っていた。

もともとスポーツを見るのは好きな方で、特にオリンピックであれば深夜にやっている少しマイナーな競技を眺めているのは特別で好ましい時間という認識がある。今回こそ積極的に楽しむ気にはなれないが、やっていれば自然と感情を動かされることがあるかもしれず、それすら抗議の意思で塞いでしまったら私自身は一体どこへ身を置けばいいのかという息苦しさが出てくる。せめてもの妥協点として、スポーツ鑑賞における普通の感情は封印しなくていいことにした。(それでも罪悪感に近い気持ち悪さは付きまとうだろう)


現在行われているスポーツを味わうことと、開催を推進してきた人たちや大会そのものを拒み続けることは問題なく両立できる。自分の機嫌を損ねすぎないように留意しながら、このめちゃくちゃな夏にしがみついて何が起こるのか見ていきたい。そしてできるだけ景色を記憶して、言語化して残したい。

一方で「みんなオリンピック楽しんでるから結局やって良かったでしょ」という乱暴な物語に収束させないためにどうすればいいのか、競技を見たり結果を快く思うこと=東京オリンピックの肯定では決してないことを明確に切り分けるにはどうしたらいいのか、考えながら抵抗し続けるしかないと思う。どんな意見も都合よく解釈されるか無視される、意思疎通を放棄した相手とどう渡り合うべきなのか、でかい分断の谷から噴き上がる大量の膿を前に途方もない気持ちでいる。

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