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世界遺産「カルタゴ遺跡」
古代フェニキア人の海洋国家カルタゴの名前が残るこの地は、カルタゴの中心地だったところです。カルタゴはローマ帝国によって徹底的に破壊されたため、現在、かっての姿を知ることができるものは、ほとんど残されていません。それでも、この地はフェニキア人と北アフリカ文明の融合によって生まれたというカルタゴの数少ない遺跡が残っています。
■カルタゴ軍港
港は商港と軍港に分かれており、チュニス湾に面する商港は500m×300mの長方形、その奥(北側)にある軍港は直径300mの円形をなしており、二重の防御壁に守られていました。つまり商港を通過しなければ軍港に入れませんでした。
◆カルタゴ軍港の図
■聖地トフェ
カルタゴ港から少し歩いたところに「トフェ」と呼ばれる遺跡があります。
フェニキア人が炎の中に幼児を投げこんで神への生贄にしたとされる聖地。墓石のように見えるのは神に奉納した石碑です。1920年代の発掘調査で、実際にここからたくさんの炭化した幼児の骨と、2万個を超える骨壺が見つかりました。
女神タニトは〇の下に一と△を書いた記号で表現され、カルタゴ兵は盾にこの印を描いて戦ったともいわれています。フェニキア時代の遺物にもよく刻まれていて、トフェでもタニトの印がたくさん見られます。
■古代カルタゴの城塞跡「ビュルサ」
ビュルサはチュニジアのチュニス郊外にある古代カルタゴの城塞が築かれていた丘のこと。ビュルサとはフェニキア語で“城塞”を意味する言葉から派生している。カルタゴの街はローマ軍によって徹底的に破壊され、火を放たれ、塩をまかれました。そして5万ものカルタゴ市民が奴隷になりました。現在のカルタゴ遺跡のほとんどは数世紀後にローマ人が再建したもの。
■ビュルサの丘に建つ「セントルイス大聖堂」・「カルタゴ国立博物館」
カルタゴにあるローマカトリック教会です。 この大聖堂は、古代ポニッチとローマの都市の遺跡の近くの、ビルサ丘の頂上にあります。癒しのポニー神、エシュムンに捧げられた古い寺院の遺跡の上に建てられました。
◆セントルイス大聖堂
◆カルタゴ国立博物館
■チュニスの街並み
ビュルサの丘からのチュニスの街並み
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