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振付師インタビュー⑦ FREESTYLE【飯塚浩一郎】


常に究極のエンターテイメントを目指して、
創り・生み出し続ける彼が
この舞台で具現化したいものとは


◆自分が持っていない“何か”を求め、始めたダンス

ダンスを始めたのは大学からです。
当時、格闘技をやっていてもともと身体を動かすことは何かしらやりたいと思っていました。

SFCに入った時に「自分に一番、向いていないことに挑戦しよう」と思ってダンスを始めました。
普通はやらないことにトライして、できなかったことができるようになるのが好きです。

直接のきっかけは1年生の時に春公演を見て。W+I&Sに入りました。
大学時代はLOCKもやっていました。初めて踊った舞台は連盟公演です。
連盟で、DAZZLEでやっているようなスタイルの踊りに出会いました。
そこから踊りでの表現がどんどん拡張していった感覚です。


ーー思い入れのあるステージは?

基本的に自分の過去の作品映像は見ないのですが・・・
学生時代にて一番印象に残っているのは、総指揮を務めた大学4年生の時の連盟公演「Squeeze the day」です。

あとは、2001年の秋祭でもWでは最初で最後のダズル的な世界観の作品を作りました。主人公役のダンサーがガラスで貫かれているように見える衣装で、印象的だったと思います。

◆目標は単純明快“ただ凄いものが創りたい

社会人になってから2年目に連盟公演でFREE STYLEの曲を創作しました。

働くようになっても踊りを続けたいから、常に社会人が踊れる場所が欲しいとは思っていました。僕らの世代から急激に学生ダンサーが増えて、自然と社会人ダンサーも増えることになりました。
それで、仲間たちで色々なイベントが成立させられるようになってきて、今に至るのだと思います。


ーーDAZZLEとしての活動はいつからですか?

社会人4年目から参加するようになりました。
会社に入ってすぐは営業職だったので、時間の拘束や不規則な勤務時間を考えるとなかなか時間を作るのが困難でした。

若手だったので自由がなかったのもあります(笑)

コピーライターになってから、時間にいくらか融通がきくようになって、大規模な公演や海外公演など、ダンスの活動の幅も広がっていきました。


ーー様々な活動をされていますが目標はなんですか?

とにかく、凄いものが創りたい。
インタビューなどで常々言っているのは「究極のエンターテイメント」という言葉です。

1つの手法にこだわるのは当たり前なのでそれは前提として、体験する人を感動させるために自由に発想するようにしています。色々なものを融合することによって、新しい凄いものを創り続けていたいと思っています。

そういう意味では、いまの自分のコピーラターという職業とダンスは同じ目的に向かっているので、自分の中では分離したものではないんです。

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◆「今回が最後かもしれない」自分が今できる最大限を

今回は3度目の創作。前回も前々回も最後と思っていたんですが、気づけば3回連続で振り付けさせて頂くことになりました(笑)

常にZENONでの創作は「自分がやりたい事をやる」という感覚だけではないです。出てる人がどういう人たちなのか、そのパーソナリティーを見極めながら創っています。

僕はダンスはその人自身の人間性の発露だと思うし、それをぶつけるのが舞台におけるダンス作品だと思っています。心の中にあるものをどう“踊り”という形にするか。それは今回も一緒に踊る人たちを見て、考えていこうと思っています。

DAZZLEでは僕が振りを作るという事はあまりないので、ZENON公演はすべて一から創る貴重な機会です。

でも僕自身が創るというよりは、ダンサーと一緒に創っていくという感覚の方が強いと思います。舞台に上がるという事は、ダンステクニック以外のスキルが必ず必要になってきます。表情や姿勢はもちろん、ちょっとした仕草はたたずまい、ダンサーたちの心のつながりまで。極端な話、演出次第では立ってるだけでも、歩いているだけでも感動させられる。

ZENONに出るという事は普段の生活の中で関わることがなかった人との出会いや、そういう人たちとの創作活動が出来るという事。

今回が本当に最後だと思うので、自分が今まで学んだことや感じたことを全て詰め込んで、今の自分が出来る事をやりきろうと思っています。