「あの子のピアノ」
登場人物
野中(18)……女子高校生、三年生
生田(18)……女子高校生、三年生。野中の友人
矢島(24)……野中の担任、音楽教師
小林(15)……女子高校生、一年生
○高校・音楽室(夕方)
誰もいない放課後の音楽室。
野中(18)がピアノを弾いている。
曲はサウンド・オブ・ミュージックの「私のお気に入り」。
扉が開き、生田が入って来る。
生田「ごめん、野中。お待たせ」
ピアノを止め
野中「大丈夫だよ」
生田「矢島ちゃんの進路指導が長くてさ」
野中「私、大丈夫かな」
野中、鞄を持ち、帰り支度をする。
生田「野中なら大丈夫でしょ」
野中、音楽室の電気を消し、生田と出て行く。
○同・校庭
薄暗い校庭を横切って歩いている野中と生田。
生田「野中のピアノ久しぶりに聴いた」
野中、自嘲ぎみに
野中「下手になってたでしょ」
生田「そんなことないよ」
野中の耳にピアノの音が聞こえる。
曲は「私のお気に入り」。
野中、立ち止まり、校舎を見ると4階の音楽室に明かりがついてい る。
生田「野中?」
野中「……『あの子』だ」
生田「どうしたの?」
野中「ごめん、先に行ってて」
野中、校舎に向かって走り出す。
○同・階段
野中が駆け上がっていく。
音はだんだん大きくなる。
○同・4階廊下
野中、息を切らせてたどり着くが、音楽は止んでいる。
音楽室前にやって来る。
意を決っして扉を開けるが、音楽室には誰もいない。
○「あの子」のピアノ
○ファミレス
野中と生田、テーブル席で苺のデザートを食べている。
浮かない顔の野中。
野中「生田は進路希望なんて書いたの?」
生田「スーパーモデル」
野中、笑い
野中「何それ?」
生田「野中は音大?」
野中「無理だよ」
生田「何で?」
野中「もうピアノ辞めて1年以上経つし」
生田、驚き
生田「そうだったの?」
野中「うん、それに結局、一度も『あの子』に勝てなかったし」
生田「『あの子』って高校で会ったんじゃないの?」
野中「小さい頃からコンクールでよく会ってたんだ。だから、同じ高校になった時はビックリした」
生田「1年ってさ。あの事故から……」
野中「『あの子』が生きていたらどんなピアノを弾くんだろう」
○高校・下駄箱(朝)
生徒たちで賑わっている。
登校してくる野中。
靴を履きかえているとまたピアノの音が微かに聴こえてくる。
○同・階段
階段を上がっていく野中。
段々と音は大きくなる。
○同・4階廊下
野中がやってくると音は止んでいる。
野中、音楽室の扉に手をかける。
○同・音楽室
野中が開けるが、誰もいない。
ため息をつく。
○同・裏庭
箒を持った野中が掃除している。
生田が持つちり取りにゴミを入れている。
野中「今朝さ、またあのピアノの音がしたんだよね」
生田「矢島ちゃんが弾いてんじゃない?」
野中「そうかな」
生田「あんまり気にし過ぎないほうがいいと思うよ」
野中、校舎を見上げている。
生田「野中?」
野中「聞こえる」
ピアノの音が聴こえてくる。
野中、外付けの非常階段を駆け上りだす。
生田「野中!」
○同・非常階段
野中、駆け上っている。
4階に来て下を見る野中。
高所恐怖症の野中、眩暈を起しかけるが立ち直る。
重い鉄の扉を開けると音は消えている。
○同。音楽室
野中が入って来ると、音楽教師の矢島が立っている。
矢島「どうしたの?」
野中「今のピアノ、先生が弾いてたんですか?」
矢島「ピアノ? 私は忘れ物を取りに来ただけだけど」
野中「他に誰かいませんでした?」
矢島「私が来たときには誰もいなかったよ。……靴どうしたの?」
野中、足元を見るとスニーカーのままである。
野中「あっ」
矢島「まぁ、いいけど。それより明日の進路面談なんだけど……本当に音大じゃなくていいの?」
野中「……はい」
矢島「もう一度、ご両親と話し合ってみて」
矢島、出て行く。
俯いている野中。
○野中家・居間
野中、ピアノを見ている。
○高校・教室前(夕方)
並べられた椅子に野中が座っている。
進路指導の用紙を持っているが、音大の名前は無い。
自分で書いた用紙を見ていると、ピアノの音色が聴こえてくる。
野中、立ち上がり、音のする方を見る。
扉が開き、矢島が生徒と出てくる。
矢島「まぁ、焦らないで、もう一度考えて見てね」
生徒「はい」
矢島、野中を見て
矢島「野中さん?」
野中、答えず、走り出す。
矢島「野中さん!」
○同・階段
夕陽が差し込む階段を上がっていく野中。
音楽は段々と大きくなる。
○同・4階廊下
野中、やって来ると、音楽は鳴りやんでいる。
野中「バカにしてるの?」
音楽室に向かって歩き出す。
野中「……最後まであなたに勝てなかった私を!……あなたがいなくなってピアノを辞めた私を!」
音楽室の扉の前に立つ。
野中「……それでもあなたに会いたいって思ってる私を!」
野中、扉を開く。
○同・音楽室
女子生徒、小林(15)がピアノに座っている。
野中「……あなた、誰?」
小林「……1年の小林です」
野中「小林って」
二人の間に沈黙が流れる。
小林、意を決して
小林「先輩、ここでピアノ弾いてた人知りませんか?」
野中「?」
小林「一昨日の放課後、突然お姉ちゃんの好きだった曲が聴こえてきて……でもここに来たら誰もいなくて」
野中「お姉ちゃん?」
小林、必死に伝えようとするあまり、取り留めのない話し方になって しまう。
小林「……お姉ちゃんは事故で死んじゃって……家だとお父さんもお母さんも、お姉ちゃんを思い出すからピアノやめろって……本当はこの高校に来るのも反対されたんです。でもあの曲を聴いて、どうしてもピアノを弾きたくなって……」
言葉に詰まる小林。
小林に近づく野中。
小林の震える手を握り、
野中「私だよ。『あの子』のピアノを弾いていたの私」
野中、優しい眼差しで小林を見る。
(完)
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