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生奪剣 肆

【前回】

「佐陀。なぜ俺を殺さない」

 無縁の首が飛んだ、次の朝の事である。
 野営を終え、隊が黄賀美へと向け出立しようとする中、飛丸は佐陀にそう問うた。
「……口を開いたかと思えば、そんなことですか」
「俺が邪魔だと言うのなら、今すぐ殺せ。……そして、重郎は放してやってくれ」
 無縁が殺された後、飛丸はじっと押し黙り続けていた。
 佐陀が言葉をかけても、何一つ返さず。ただ薄暗い目で佐陀を睨みつけるばかり。
 そんな彼が口を開いたと思えば、これである。佐陀は苦笑し、重郎は狼狽えた。
「何を仰います、若! 命を捨てるようなことを……!」
「俺が生きていても、無用な争いを生むばかりだ。俺を助けようとして、武路の生き残りが黄賀美に盾突くということも……あるだろう……」
 飛丸にとってそれは、一夜をかけて考えた結論であった。
 自身を守るため、身の回りの多くの人間が死んだ。
 齢八つの飛丸にとって、その事実はあまりにも大きすぎる重荷であったのだ。
 自然、飛丸は考えるようになる。
(俺さえ死んでしまえば、いっそ……)
 武路の血は途絶え、国は黄賀美に支配されることだろう。
 けれどそうなれば、この土地が血に塗れる必要も無くなるはずだ。
 そのカギを握っているのは、己の命……
 飛丸にとって、その事実はあまりに過酷な責め苦でしかない。
「殺しませんよ。少なくとも、黄賀美に渡すまでは」
 けれど、佐陀はそんな飛丸の言葉を一笑に付す。
「飛丸様の命をどう使うかは、黄賀美の決めること。人質としてこの国の支配に用いるのか、殺して禍根を断つのか。私が決めてしまっては、立場が悪いでしょう?」
 佐陀にとって、飛丸はあくまで土産の品である。
 わざわざその鮮度を落とすような真似をしても、喜ばれはしまい。
 その扱いもまた、飛丸にとっては屈辱であった。
「……立場。立場というなら、貴様は父上の腹心でもあっただろう! なぜわざわざそれを捨て、黄賀美などに付いた!」
「腹心? 馬鹿を言ってはいけませんよ。あの男は、私の提案する策を悉く否定したのです。あの男は、私の事など信用していなかった!」
 飛丸の問いに、佐陀は怒りを滲ませて答える。
 佐陀の武路での地位は悪くなかった。むしろ良い待遇で仕えていたと言っても良い。
 だが、佐陀は武路の方針に対し、密かな不満を溜め込んでいたのだ。
「いくら守りが盤石であるからと言って、あの男は穴熊を決め込むばかり! 自ら他国へ攻め入り国を盗ろうとは、ただの一度もなさらなかった!」
「っ……だから、黄賀美に付き、父上を裏切ったのか!? 戦をするために!?」
「違う! 武士として生まれたからには……より広い土地を得、名を上げる事こそ至上とすべきだろう。だがあの男の元で、それは叶わない!」
 だから裏切ったのだ、と佐陀は言い切った。
 消極的な主に仕えるよりも、より血の気の多い他国へと場所を移した方が、より自分の才覚を活かす事が出来ると考えたのだ。
「あの男は臆病者だった! 戦上手? ただ争いを避けただけだろう! 民に良い顔をして慕われたとて、所詮は小国を統べて良い気になっている小物に過ぎない!」
「黙れ! 父上を侮辱するなっ……!!」
「するとも。あぁ、生きている限りは永遠にな! どの道、貴様に出来ることなど何一つないだろう!」
 佐陀はそう言って、飛丸を蹴り飛ばした。
 手足を縛られた飛丸に、抵抗の力はない。
「猿轡を噛ませておけ! これ以上吠えられないようにな!」
「むがっ、むぐぐ……!!」
 遂には声さえも封じられ、身をもだえさせながら、飛丸は悔しさと怒りに瞳を滲ませる。
(俺には何も出来ない……味方を殺され、父を侮辱されても……!)
 せめて、せめて。
 死した後には、永遠にこの男を呪い続けよう。

 深い怨讐の念が飛丸の胸に湧き始めた、その時である。
 鋭い悲鳴が、隊の後方から響きわたった。

「っ……何事だ!?」
 佐陀が慌て、後方の様子を確認する。
 数十という騎馬の列の、最高峰。
 噴水のように高く空を染め上げる鮮血に、隊は慌てふためいた。
「て、敵襲です!」
「数は!」
「ひ……一人……」
「一人!? ならばとっとと叩き潰せ!」
「それが、その……あの浪人なのです! 昨日、佐陀様が首を叩き切ったはずの、あの!」

 *

「まだ息はありますか、飛丸殿?」

 無縁は、血で濡れた髪を振りながら、常と変わらぬ調子で口にした。
「む……むぐぐ!?」
「命はある。よし。重郎翁も無事のようで何より」
 無縁は二人の姿を見て、ほっと胸を撫で下ろした。
 もし既に二人が死んでいれば……ここまでの殺しが、無駄になってしまう。
「さて。佐陀光久……といったか」
「貴様! なぜ、なぜ生きている!? 貴様の首は確かにこの私が……!!」
「おい、先に問うのはこちらだぞ。飛丸殿と重郎翁を放せ。さもなくば……」
「っ、殺せ! 何の理由があるにせよ、コイツは飛丸を取り戻しに来た敵だ! 殺せ!」
 佐陀が叫ぶと、戸惑いと怖れに支配されていた小隊が、正気を取り戻す。
 そう、敵だ。生きている理由は分からないが、ともかく殺せばいい。
 騎馬隊は無縁との距離を取りながら、弓に矢を番え、次々に放つ。
「話も出来んのか、お前は。……まぁ無理もないか」
 雨のように降る矢は、けれどただの一本も無縁の身体を貫きはしなかった。
 無縁は、その悉くを剣先にて叩き落したのである。
 目にも止まらぬ早業、というのが相応しい、並々ならぬ技である。
「矢の無駄遣いだな。これでは私は殺せない」
「馬鹿な! 昨日の貴様には、これほどの腕は……」
「うむ。腹が減っていた故な?」
 佐陀の問いに、無縁は平然と頷いた。
 よく見れば、無縁の顔色や肉付きは、昨日のそれとは大きく異なっている。
 細身である事に変わりはないが、顔には血の色が差し、四肢は形の良い筋肉で包まれている。枯れ木のような印象は、今の彼にはない。
「お前の部下を五人、馬を三頭、コイツで喰わせてもらった。故に、今の私は昨日の私よりも……強い」
 無縁は言いながら、刀を構え直す。
 つい先刻、血の雨を降らせたばかりの筈の刀にはしかし、一滴の血も脂も付着していなかった。
 血で赤く染まる死んだはずの男に、穢れ一つない白い刃。
 異様さを覚えるには十分すぎる光景に、周囲の騎馬兵は恐れ後ずさる。
「っ、馬鹿者! 間を与えるな!」
「遅いな。もう遅い」
 兵たちの隙を、無縁は逃さなかった。
 だんっ。地を蹴り、一足に駆け出す無縁。それを追い複数の兵が弓を構えるが、一瞬の間に、その姿は騎馬たちの間へと入りこみ、射る事が出来なくなる。
 となれば、槍で刺し貫く他ないが、身を低く構えた無縁は、走りながらも己を突かんとする槍の穂先を切り落とし、前へ前へと駆けてゆく。
 その動きは、やはり昨日の力なき技とは異なっていた。
 なぜ、どうして。佐陀の脳裏に浮かぶのは、答えの出ない問いばかり。
 そうこうしている間に、無縁は佐陀たちの元へと辿り着く。
「さて。飛丸殿と重郎翁、返してもらうがよろしいな?」
「……化け物め」
 平然と言い放つ無縁に、佐陀は苦々しい口調でそう返す。
「貴様、人間ではないな。首を狩って尚生きているなど……!」
「……まぁ、そうさな。俺も自分が人間かと問われれば、自信がない」
 それで、と無縁は続ける。
「その化け物を相手に、これ以上斬り合うか?」
「……、飛丸を持っていかれては、私が困るのでな」
 ふぅ、と息を吐き、佐陀はしばしの間、目を伏せる。
 無縁は刀を構えながら、周囲の者たちの動きを窺った。
 無縁の立ち位置は、騎馬隊の群れの真ん中。弓を使うとなれば、かなりの気を使う立ち位置である。馬上からの刺突も、無縁の技量を前にすればさしたる意味はない。
 それは、この数秒の間に佐陀も理解していた。
 もし無縁を斬るとするならば、腕の立つ剣士が直接対峙するほかはない。
 だが、もう一つ。……佐陀は理解していた。この男の力を削ぐ術を。
「騎馬隊! ……飛丸を射殺せ」
「っ!?」
 無縁は目を見開いた。この状況下、佐陀が選んだのは、無縁への攻撃でない。
 一瞬の後、無数の矢が飛丸を乗せた騎馬へと降り注ぐ。
「――!!」
 轡を噛まされた飛丸が、声にならぬ悲鳴を上げた。
 佐陀は、飛丸を生きて連れ帰ることを諦めたのか。否。そうではない。

「ぐ、う……!!」

 ずぶり。肉が経たれ、血が噴き出る。
 矢の雨を受け止めたのは、飛丸ではなかった。……無縁である。
「やはり。やはりそう動くか、化け物め!」
「ふ、は……計算ずくか……」
 ごふ、と無縁は血を吐いた。肺に矢が突き刺さり、喉を血が満たしていた。
 佐陀は、元より飛丸を殺すつもりなどなかったのだ。
 飛丸を殺さんとすれば、この浪人はそれを守りに来る。そう踏んでの事である。
「よし。……化け物は致命傷を受けた! 後は我らでも十二分に届くであろう! やれ!」
 無縁が弱ったと見て、佐陀は部下に指示を飛ばす。
 戸惑いつつも、佐陀の言葉に背を押された部下たちは、各々雄叫びを挙げて武器を構えた。
「ん……ひとまず、飛丸殿。お逃げ、ください」
「ぷはっ……無縁! 無縁……すまない!!」
「おや。そこは……何故、と聞く所、では?」
 飛丸の轡を外した無縁は、彼の言葉を聞き微笑んだ。
「いや……俺がお前を巻き込み、殺させた。今も矢を受けている。……死んでない理由など二の次だ。俺のせいで、お前は……!」
「自分を責めるのはお止め下さい、飛丸殿。……結局の所、私は……私のために、ここにいるのですから」
 実の所、無縁は飛丸に恐れられるだろうと考えていた。
 佐陀の言う通り、己は尋常な人間ではない。そんなものに助けられたとして、普通ならば感謝より先に恐れが出て自然である。
 だが飛丸は、そうではなかった。感謝より怖れより、謝罪が先に出たのだ。
 その姿を見て、無縁の胸に湧いた感情は……罪悪感、である。

「私は。死ぬために、貴方を守ると決めた卑怯者です」

 飛丸に背を向け、無縁は己に突き刺さった矢を引き抜いた。
 どろどろと血が流れ落ち、無縁の顔は見る間に青白く変化する。
 それでも、無縁は倒れなかった。苦悶によって額に脂汗を浮かべながらも、なお。

 無縁は、ふらつきながらも一歩二歩と前に出る。
 その弱り切った身体に、五、六人ほどの侍が斬りかかる。
 後ずされば、飛丸を巻き込む距離だ。振り下ろされる刀を前に、無縁はふぅと血の混じった息を吐きながら、腰を低く落とし……一閃する。

 斬。

 途端、侍の身体は紙のように簡単に両断され、周囲に血をまき散らせる。
 その血を浴びた無縁は、もう一度深く息を吐いた。
 その呼気に、今度は血の音が混じらない。
「狼狽えるな、絶え間なく斬り付けろ!」
 攻撃は、それで止まない。槍が、刀が、数限りなく無縁へと振り下ろされる。
 無縁はそれを躱し、斬り返し、けれど刹那の技を以てしても、数の暴力には敵わない。
「取った!」
 ある武士の刀が、無縁の背中を斜めに斬り払う。ずじゅり、と肉の音がして、ふらついた無縁はけれど、踏み込むと同時に、ぐるりと身体を回転させる。
 ぶち、と肉の千切れる音がした。回転と共に傷の広がった無縁は、苦悶に眉をひそめながら、けれど気にせず背後の武士を斬る。
 同時に背中がぐじゅりと音を立て……
「……傷が……!?」
 佐陀が驚き言葉を漏らす。
 無縁の傷が、一瞬にして治っている。
 いや。血に濡れて判別しづらかったが、よく見れば既に矢によって負ったはずの傷も、どこにも見当たらないではないか。
 斬。斬。斬。
 肉が切れる音。脂の滑る音。血の噴き出る音。
 無縁は決して無敵ではなかった。何度も斬られ、時として腕を落とされて。
 けれど、次の数秒には……ずじゅり。音を立て、斬り落とされたはずの腕が生えてくる。

「何故だ! 何故死なない!? これだけ斬っているのに……!?」
「命を、奪っているからな」

 すぱんっ! 斬り落とされ宙に跳んだ首が、そう答えて地に落ちた。
 首の落とされた無縁は、倒れるかと思いきや、そのまま倒れこむように武士の胸を刺し貫いて……新たな頭が、傷口から生える。

 地獄めいた光景であった。

 延々と血が噴き出続ける、終わりの見えない戦い。
 いや、終わりは見えている。佐陀の手下は減り続け、無縁の姿に恐怖し、戦意を失いつつあるのだから。
「っ……、そ、そうだこうしよう! お前を私の部下として取り立てる! 条件はお前の好きにしていい! どうだ?」
「すまぬが、断るよ。私にとっては、飛丸殿が馳走してくれた粥の方が、上等な褒美だ」
「……。無縁、お前は一体何者なのだ……?」
 無縁の背に、飛丸は不安げな声でそう問うた。
 無縁は振り返らず、真新しい首をぐるりと回しながら、小さな声で答える。

「昔、永遠の輝きを持つ刀を作らんとしたものがいた」

 どんな刀でも、数度敵を切れば脂と刃こぼれで切れ味が落ちる。
 研げば使えるとはいえ、研ぎ続ければいずれすり減り、刀としては使い物にならなくなるだろう。……その刀匠にとって、その事実は認めがたいものであった。

「刀匠は己の魂を贄とし、刀を打った。生あるものの魂を奪い、力とする魔性の刀を。……その刀の名を、無尽」

 尽きぬ刀。永遠の鋭さを持つ刀。
 しかしてその刀は、無数の血を啜りながら、多くの剣士の元で力を奮った。
 が、ある時……魂を喰らい続けた刀は、気が付いた。

「たとえどんな名刀であれ、使い手が死ねば意味を失う。……ならば。己が啜った命を分け与え、永遠の剣士に己を振るわせれば良い」

 それに選ばれたのが、無縁であった。
 無縁は無尽に選ばれた剣士として、多くの命を奪う宿命を背負わされた。
 だが。すり減らぬ刃と対照的に、終わらぬ戦いと生奪の日々に、無縁の心は見る間に削れてゆく。
 もう死にたいと、無縁は思っていた。
 けれど同時に、奪い取った命を無意味に投げ打つような真似は、無縁には出来なかった。

「だから……飛丸殿を守ると言ったのは、自分のためでしかないのだよ」

 追われる幼子を助けるために命を投げ打つのならば、それは正しく素晴らしい行いだ。
 きっと、命を失う価値のある行為に違いない。
 守るため、殺さず、殺され、命を減らす。
 そのために、無縁は飛丸を守る……ハズだった。
「けれど……なぁ? ここで飛丸殿を見捨てるのなら、それこそ……」
 意味を失う。使った命への礼を失する。
 しかし結局の所、無縁はそのためにまた、多くの命を奪って。
「上手く行かないものだ」
 はぁ、と無縁はため息を吐いた。
 こんな風にして、無縁は長い長い時を生き続けてきたのだ。
「……」
 飛丸は、言葉を失う。
 無縁の話したことを、急には受け止められなかったからだ。
 ウソでは、ないのだろう。事実、無縁の肉体は常軌を逸した力を放っている。
 だとすれば……だとすれば、自分は無縁に、何を言えば良い?
 飛丸が迷い、口を開けないでいる中。
 彼の言葉に、別の意味を見出した男がいた。

「……であるならばだ、浪人よ」

 馬を降り、血と脂がまき散らされた地面に、佐陀光久が足をつける。

「私が貴様の技量を上回れば、その刀の力は……我がものとなるのだな?」

【続く】


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