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生奪剣 弐

【前回】

「……ここは……」
「おお、起きたか。身体は起こせるか?」

 日が落ち、目を覚ました無縁が最初に見たものは、齢八つ程度の男児であった。
 着ている衣服は仕立てが良く、髪も綺麗に整えられている。
 誰であろうか。ふらつく頭で考えながら、無縁はゆっくりと起き上がった。
 無縁の傍らには、火が焚かれていた。火の向こうには、暗い面持ちの老人が座っている。
「あなた方が、私を……?」
「うむ。道の真ん中で倒れていたから、水を飲ませ火で身体を温めた。……飯は喰えるか?」
 答えたのは、男児の方である。
 快活で堂々とした態度だ。無縁が頷くと、男児は白い粥のような汁を無縁に渡す。
「ゆっくり食え。見たところ、長い間何も食べていないのだろう?」
「……恥ずかしながら、その通りだ。有り難く頂戴する」
 無縁は温かいその汁を、少しずつ啜った。ほとんど白湯のような口当たりだったが、それでも長い間空のままだった胃には、強い刺激である。
 腹に鈍痛を感じながら、けれど無縁は啜ることをやめない。ほのかな甘みを口の中に感じる毎に、無縁は自分が生きている人間であると実感する。
(ああ、やはり……命あるものには、口で食らう飯が要る)
 無縁は、そのまま無言で汁を啜り続けた。
「……それで、あなた方は一体……?」
 ようやく問いかけたのは、汁を飲み終えてからのことである。
 男児は少し戸惑った顔をして、老人を見遣る。
 老人はやはり暗い顔のまま、逡巡する素振りを見せた後に口を開く。
「武路の……生き残りでございます」
「武路? というと……黄賀美との戦ですか」
 老人は頷く。無縁も話には聞いていた。付近の国を治める武路家と、それを狙う黄賀美との間で戦が勃発していると。故に、無縁も戦場となり得る土地は避けて歩いていた。
 しかし、まさか倒れている間にその決着が付いていたとは。
 無縁は自分を恥じると共に、改めて二人の姿を観察した。
 生き残り、というからには、男児は武路家に連なる者なのだろう。
 戦に負け、逃げ出した? だとしても、付き添うものが老人一人というのは妙な話だが。
「……私以外の者は、みな追っ手にやられました」
 無縁の疑問を感じ取ったのか、老人はそう口にした。男児は俯き、悔しげに拳を握る。
「俺にもっと力があれば、戦うことも出来たのだが……!」
「いえ、若は何も悪くありません。若はまだ幼い。それを守るのは家臣の使命というもの」
「だが、だがな……!」
 男児の震える声音を耳にして、無縁は考え込む。
 この男児は、恐らく武路の嫡男か何かなのだろう。黄賀美は彼を狙い、追っ手を仕向けている。
 結果、彼に付き添うものはこの老人一人となってしまった。
 もし、そうなのだとすれば……
「……そんな折に、わざわざ私のような者を助けようとしたのは、何故です?」
 無縁には、その疑問が残った。
 一刻も早く逃げるべき時だ。老人もそれは重々承知しているのだろう、お前がそれを問うのかという顔で無縁を見、目を背ける。
「父の教えに従ったまでだ」
 けれど男児は、無縁の目を真っ直ぐに見据えそう答えた。
「苦しむ者、困っている者がいれば手を差し伸べる。それが人の上に、立つものに……必要な……っ」
 始めは堂々としていた語調が、少しずつ揺らぎ、涙声に変わっていく。
 その教えを諭していた者は、もうこの世に居ないのだろう。
「……必要な、仁義だ。俺はそれを、我が身可愛さに投げ出しは……しない」
 目に涙を浮かべながらも、男児は胸を張り最後まで言い切った。
 強い心の持ち主だ、と無縁は感じる。
 その心の強さが、果たして今本当に必要なものであるかどうかは、別にしても。
「よく、分かりました。……であるなら、私はあなたに恩を返さねばならない」
「いや。俺はそんなつもりでお前を助けたのでは……」
「どの道、当ての無い旅です。少しの間行き先を変えることに不都合はない」
 あなた方が嫌でなければ、と前置いて。
 無縁は、彼らへの助力を申し出た。
「このような細腕の身ですが、枯れ木も山の賑わいと言いましょう。もしもの時、逃げる時間くらいは稼いでみせる自信もあります」
「……それは……しかし……」
「頼みましょう、若。これも何かの縁です」
 男児は渋るが、老人はこれ幸いと頷いた。吹けば飛ぶような見た目でも、いないよりはマシだと判断したのだろう。
 結局、男児もそれに納得し、無縁はしばしの間、彼らを護衛することとなった。
(……これならば)
 そして無縁は思う。彼が男児への協力を申し出たのは、なにも恩返しのためだけではなかった。
(これならば、きっと死ぬには良い理由と言えるだろう)
 無縁は、死に場所を求めていた。
 それが叶わないと、知っていながら。

 *

「父は素晴らしき武将であったのだ」

 道すがら、男児は力強く己が父の偉大さを語った。
「戦では、その冴え渡る知略で多くの国から領地を守った。武路の領土は広くは無いが、山に囲まれ守りに適しているからな。ゆえに……」
 その多くは、周囲の大人の受け売りなのだろう。
 暗記した経でも読むように、男児は宙を仰ぎながら言葉を続ける。
 無縁はそれを、時折相槌を打ちつつ微笑ましい思いで聞いた。

 男児の名は、飛丸と言った。
 無論、幼名である。飛丸は未だ元服には遠い齢で、戦のことを多くは知らない。
 だから恐らく、父がどのような戦を行ってきたのか、正しくは知らないだろう。
 とはいえ、無縁自身、飛丸が語るような内容には覚えがあった。
「……飛丸殿の父上は、民にも慕われていました」
 旅の途中、立ち寄った村や町で、無縁は武路の領主のことを耳にしていた。
 曰く、国の平穏を第一に考え、民の味方である良き領主であるとか。
 曰く、飢饉に陥った村を救うため、年貢を減らしたばかりか兵を用いて治水工事まで行ったとか。
 それが叶うのは、この土地が肥沃であり、かつ攻めるには難しい地形であることが影響しているだろうが……その人間性が善良であることは、十分推し量れる。
 とすれば、疑問となるのは、そのような状況でなぜ武路は戦に敗れたのか、である。
 無縁はちらりと老人に目をやった。重朗と言うこの老爺は、無縁の視線に気づき、小さな声で告げる。
「裏切りがあったのです」
「……黄賀美と手を組んだものが?」
「えぇ。佐陀光久という者が、お館様を裏切り黄賀美を手引きしました」
 その説明で、無縁には得心がいった。
 いかに攻め難い地形とはいえ、内部から手引きがあれば奇襲をかけることは容易い。
 そして奇襲を受け、陣形が乱れれば、その守りも磐石とは言えなくなってしまう。
 武路と黄賀美の長い戦いは、その裏切りがゆえに決着を見たのだろう。いや、そもそも黄賀美が戦を仕掛けたのも、佐陀という男の差し金かもしれない。
 真実がどうであるにせよ、気持ちのいい話ではなかった。
「……なぁ、無縁」
 前を歩いていた飛丸が、振り返ってこちらを見る。
 まだ昇りきらぬ太陽を背にした飛丸の表情は、無縁には読み取れなかった。
「父は、強かったのだよな?」
「……それは、飛丸殿が一番よくご存知では」
「そのつもりだった。だから負けるはずがないと……死ぬはずが、ないと……」
「……ただ強くとも……、……いえ。強かったには違いないでしょう」
 無縁は、言いかけた言葉を飲み込んで、強張った笑みを浮かべる。
 事実、佐陀というものの裏切りさえなければ、今も飛丸の父は生きていただろう。
 だが、現実はこれだ。佐陀というものは裏切り、飛丸は父を失った。
 無縁は、そんな飛丸に優しい言葉をかけてやりたいと思ったが、今の自分が何を言ったとて空虚に響くだろうと、諦める。
(……人は死ぬのが当たり前だ。であるなら……)
 そっと刀に触れる。やはり、かけられる言葉など、無い。

 事が起こったのは、昼を過ぎ、日も落ちかけてきたころのことである。
 無数の馬の足音が聞こえ、無縁はハッとなり振り返った。
 見れば、鎧を身に纏った十数人の武士が、馬でこちらへ走ってくるではないか。
「……重朗翁。あれは」
「間違いありません、黄賀美です……!」

【続く】


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