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生奪剣 参

【前回】

 事が起こったのは、昼を過ぎ、日も落ちかけてきたころのことである。
 無数の馬の足音が聞こえ、無縁はハッとなり振り返った。
 見れば、鎧を身に纏った十数人の武士が、馬でこちらへ走ってくるではないか。
「……重朗翁。あれは」
「間違いありません、黄賀美です……!」

「ならば……ここは、私が」
 無縁は刀に手をかけ、深く息を吐いた。
「しかしお一人では……」
「といって、飛丸殿を一人にするわけにはいかないでしょう。ここは隠れ、隙を見てお逃げください」
「無縁!……勝算はあるのか?」
 心配そうに言う飛丸に、無縁はただ薄く微笑んだ。
 実のところ、勝算と呼べるものは全く無い。
 先日の山賊どもならいざしらず、相手は馬上の武士が十数人。
 とても痩せこけた浪人一人で片を付けられる相手では無い。
(まず間違いなく、死ぬだろうな)
 だが無縁は、それでも共に逃げるつもりなど無かった。
 申し出た通り、無縁はここで時間を稼ぐ腹づもりだったからである。

「……ほぅ。残りは枯れたジジイ一人かと思っていたが、枯れ枝が一本増えていやがる」
「おや。枯れ木とは私も自称するが、枯れ枝扱いは初めてだな」
「枝じゃなけりゃなんだってんだ? んな細腕で」

 馬上から罵声を浴びせたのは、武士たちを率いているであろう大男である。
 その声を聞き、真っ先に反応したのは飛丸である。
「貴様! なぜここにいる!」
「なぜ? ……あぁ。お前の護衛が命懸けで足止めしたのに、なぜまだ生きてるか、か?」
 飛丸の言葉に、大男はにやりと口角を上げた。
「決まってるだろ? 俺たちが勝ったから、だ」
「っ……!!」
「お前の護衛は全員、俺たちで殺した。ほら、この馬に見覚えがあるだろう?」
 とん、と大男は自分の跨る馬を軽く蹴る。それをみて、飛丸は表情を変えた。
「降りろ! 今すぐに!!」
 恐らくその馬は、飛丸の護衛だったものが乗っていた馬なのだろう。
 飛び出そうとする彼を、重朗は必死に抑える。
「いけません、若! ここで命を粗末にしては……!」
「だが、だが! ヤツが……!!」
 飛丸の声は怒りに震えていた。
 先刻も、力のなき己の身を嘆いていた彼の事だ。
 放っておけば、すぐにでも武士たちに斬ってかかりかねない。
「重朗翁。すぐに飛丸殿を連れて下がってください」
 無縁はだから、先に前へと出た。
 ここでこれ以上、大男の言葉を飛丸に聞かせたくはない。
「……? なんだ枯れ枝。奴らに幾らで雇われた?」
 一歩二歩と歩みよる無縁を、大男は馬鹿にした目で見下ろした。
「勝てる……とは思ってねぇよな。すっこんでろ」
「そういうわけにもいかない。飛丸殿には、粥を馳走になった故」
 さらりと答え、無縁はふらりと身体を倒した。
「っ、消え……!?」
 瞬間、馬上の大男の視界から、無縁が消える。
 慌てて辺りを見回す頃には、もう遅い。さくりと音がして、大男の握っていた手綱が切れる。
 同時に、馬はけたたましい叫び声を上げて身を震わせた。
「なんっ……?」
 大きく体勢を崩した大男の体に、どん。
 さして強くも無い力で、なにか硬いものが叩きつけられた。

 べしゃり。

 情けない音がして、大男が背中から地面に叩きつけられる。
「……目が悪い。これなら先日の山賊の方が幾分マシか?」
 天を仰ぐ大男は、自分が無縁に見下ろされていることに気づき、慌てて身体を起こした。
「お前……!! っ、俺の馬はどこだ!?」
「馬はどこかへ逃げていったよ。そも、お前の馬でもあるまい?」
 無縁は、大男の手綱を切り、馬を軽く刺激しただけだった。
 驚いた馬によって体勢を崩されれば、無縁の腕力でも、簡単に地面へ落とす事が出来る。
 視界から消えたのは、単に姿勢を低くして、目の届かぬ範囲に出ただけのこと。
 その一部始終は、わずか少し後ろを行く部下たちにも、余すところなくはっきりと見えていた。

「よくも……無事では済まさんぞ!」

 恥をかかされた大男は、顔を赤くして激怒した。
 しかし、元より勝てると考えていない無縁に、その文句はどこまでも滑稽である。
「出来るならやるといい。逃げるつもりもないのだからな」
 目論見通りに事が進み、無縁は内心ほくそ笑む。
 これで、武士の目は自分に向いた事だろう。この隙に、少しでも飛丸たちが逃げられればそれで良い。後のことはなるようになるだろう。
 重郎もその目論見に感づいたらしく、飛丸の手を引き木々の間へと走る。
(さて。後はどれだけ殺さぬかだが……)
 刀を抜く。大男の号令とともに、四、五人の武士が槍を構え突撃した。
 無縁はその穂先を見極め、刀で受け流すと共に、流れる足さばきで馬の足を斬る。
 馬が倒れると共に、馬上の武士も地面に転げ落ちた。それによって道は塞がれ、後続はうまく突撃出来ない。
「む……ちゃんと生きてるよな、馬?」
 刀を握りなおしながら、無縁は一人呟いた。
 その意味を解すものは無く、大男は苛立っておのれの刀で無縁に斬りかかる。
「お前、少しはやるようだが、この番剛様に勝てるとは思い上がるなよ!?」
「ばごう。……冥土の土産とするには、どうも響きが悪いな」
「ふざけるな!!」
 番剛が力任せに振り下ろした刀は、無縁の体に届かない。
「うむ、まぁ、ふざけるさ。その程度の腕前ということだ」
 相手の身のこなしを見て、無縁は考える。
 飛丸の護衛をしていたというものたちは、本当にこいつが斬ったのだろうか。
(いや……数の利というのもあるか)
 例えば、今のように。
 馬上から放たれた矢を、無縁は横目で捉え、叩き斬る。
 その隙を狙い、番剛は無縁の胴を狙い刀を振るう。
 避けるには、脚力が足らない。咄嗟に刀を逆手に持ち替え、無縁は脇腹でそれを受けた。
 ばぎり。
「ぐむぅっ……」
 重い音は、骨にヒビの入る音。
 長い間食事を摂っていなかったせいだろう、無縁の体は、どうしようもなく虚弱であった。
 技量の上であれば、無縁は番剛に劣りはしない。
 けれど相手は小隊である。番剛一人に集中すれば良いというものでも無かった。
 加えてこの膂力の差では、時間稼ぎも十二分に出来るかどうか、怪しくなってくる。
(如何ともし難いな……)
 無縁は思案する。
 出来うるならば、無縁は何も殺したくはなかった。敵も、馬もだ。
 それなりに損耗を与え、飛丸が逃げる時間を作り、然るのち適当な所で斬られる。その辺りならば適度に折り合いも付けられるだろうと、無縁は考えていたのだが……
(……無駄死にでは、真摯でない)
 ため息を吐く。
 死ぬのは問題ではなかった。そも、死にたくないと思うならこんな所で戦っていない。
 問題は、無駄死にする事だ。己が持つ命を、不必要に散らす行為だ。
 それは、無縁の心情に反する事である。で、あるならば……
「……すまんが、やはり斬るぞ」
 とん、と無縁は番剛の側面へと回り込む。
「ぬぅ、そこだ!」
 番剛はその動きを読み刀を振るうが、無縁はそれを、倒れこむように踏み込むことで潜り抜ける。
 そして、すぱん。
 ごく軽い音がして、数秒遅れて鮮血が吹き出る。
「ぐ、お、ああああっっ!!?」
 斬られたのは、番剛の左腕である。続けざまに、無縁は番剛の刀を握る手も斬り落とした。
「う、ぐ、おおおおっっ!!?」
「騒ぐな騒ぐな。……さて、あとはお前たちか」
 ぐい、と無縁は番剛の身体を掴み上げ、残る馬上の武士へ目を向けた。
 その瞳を見て、武士たちは気圧される。矢を放とうとするものもいたが、無縁が番剛を盾としたため、それも叶いはしない。
 戸惑いの中、にらみ合いが起こっていたのは数秒のことだったろう。
 けれど結局は、無縁の底知れぬ実力に恐怖した武士が、一歩二歩と馬を退がらせ……
 追っ手の小隊は撤退した。……かに、思えた。

「何をしている。早く射殺せば良いだろう」

 声と共に、一本の矢が風を切る。
「ぐふぁっ!!?」
 血を吐いたのは、虫の息だった番剛である。
 その喉元には、先程の矢が深々と突き刺さっている。
「おっと、間違えた。まぁいいか。それでやりやすくなったろ、お前たち」
 射殺せ、ともう一度声が号令を上げ、ややあってから実行される。
 七、八本の矢が、同時に無縁へと放たれた。その全てを斬り落とす剣速は、今の無縁にはない。
「っ……!!」
 自然、無縁は番剛の身体を盾にしてその攻撃を免れた。が、その刹那、敵を目で追えなくなったわずかの間に、一騎の武士が無縁との距離を詰め……
「残念だな。番剛より有能だったろうに」
「ぐ、う……!!」
 ざくり。
 番剛の体ごと、無縁の体を刺し貫いた。
「飛丸などに付いていなければ、取り立ててやっても良かったのだがな」
「ぐ、むぅ……」
 どん、と彼は番剛の身体ごと無縁を蹴り飛ばし、倒れさせる。
 地に倒れた無縁は、その身体を重い番剛の体と繋げられ、刺された刀を抜くことも、起き上がることも叶わない。
(……ここまでか)
 ふぅ、と無縁はため息を吐き、諦めの境地で空を見上げた。

「――無縁っ!!」

 だが、そんな無縁へ、悲痛な一声が投げかけられる。
 首を回して見てみれば、逃げたはずの飛丸と重郎が、槍を突き付けられ歩いてくるではないか。……捕まったのか。しかし、何者に。
「まさか、伏兵がいたとは知らず……申し訳ない、無縁殿っ……!!」
 重郎の言葉に、無縁は事態を理解する。
 追手は、番剛の小隊だけではなかったのだ。
 番剛の戦いを契機として、別の隊が先回りし、飛丸たちを確保したのだろう。
 飛丸を守りたいと願うのならば、共に逃げるべきであったのだ。
(……いや。仮にそうしたとして……)
 守りながら戦えたかと問われれば、首を振るほかない。
 そもそもの話、無縁一人で飛丸を守るなど、不可能なことだったのだ。
(所詮、人斬りの力などその程度か)
 殺すだけなら容易いが、何かを守ろうとすれば、すぐにボロが出る。
「では参りましょう、飛丸様。貴方を連れ帰らねば、黄賀美での私の立場は完全には保証されないのでね」
「っ、ふざけるな! 国を裏切り、父を殺した貴様の言う事など、誰が聞くものか!」
「聞いていただく必要などないのですよ。戦に勝利したのは、黄賀美であり、それを助けた私……佐陀光久なのですから」
 別働隊を率い、無縁を刺し貫いたのは、飛丸の仇敵である佐陀光久その人であった。
 やれ、と佐陀は部下に命じ、飛丸と重郎を縛らせる。
 だが、もはや無縁にそれを止める力はない。
「おっと、忘れていた」
 だが佐陀は、非情かつ冷徹な思考の持ち主であった。
「万が一、という事もあるからな」
「っ、やめろ!」
 飛丸の叫びなど聞きもせず。
 佐陀の刀が、無縁の首を、両断する。

(……おぉ)

 身体から切り離され、蹴り飛ばされた無縁は、中空から一瞬飛丸の姿を見た。
「無縁……すまぬっ……!!」
 その瞳には、涙があった。
 単に、無縁が殺されたから……というものではない。
 父を。護衛を。一度は救った浪人を。
 何一つ守ることが出来ず、裏切者の手に落ちる自分の運命を、深く呪っている目だった。
 だが、首を飛ばされた無縁に、もはやそれ以上出来る事は無く。

 その意識は、一瞬の後、暗闇へと堕ちた。

 *

『……おいおい。こんなもんじゃあ無いだろう?』
『もっと喰わせられるハズだ。お前なら』
『おい、聞いてんだろ。つまらねぇ意地張ってんじゃねぇぞ』
『殺せよ。もっと殺せ。そうすれば俺とお前に……敵はいないんだからな!』

「……黙れ、無尽」

 無縁が意識を取り戻したのは、丑三つ時であった。
 満月が薄ぼんやりと照らすばかりの暗闇で、無縁は殆ど無意識のうちに、身に圧し掛かる番剛の身体を切り分ける。
 立ち上がった無縁の体には、傷一つない、真新しい首が乗っていた。

【続く】


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