【逆噴射プラクティス】マナイアレストの手記
魔王アルヴァルルの崩御は、魔族に驚きと混乱を招いた。
意味が分からなかったからだ。なにしろ予兆らしい予兆がない。
アルヴァルルは壮健であり、彼が率いる六魔将の軍勢は、魔力に劣る人族の軍に終始苦戦を強いていた。魔気の濃い北方から出たがらない魔族が多いとはいえ、アルヴァルルが大陸を支配するのは最早、時間の問題と思われていたのだ。
唯一気にかかる点といえば……人族の伝承に残る、勇者と呼ばれる英傑のことか。
百余年の周期で生まれるそれは、人族にしては異質な程に高い魔力への適性を持ち、強健にして勇猛。歴代の魔王が人域に攻め入り、されど大陸統一を果たせなかった要因であると言われる。
アルヴァルルも、これには最大限警戒していた。
故に人域に間諜を放ち、勇者の足取りを見逃すまいと動いていたのだ。
勇者は既に生まれていた。それを知ったアルヴァルルは、六魔将が一角ガライロイを討伐へ向かわせ、勇者が旅立つ前に彼が生まれ育った村を焼き払った。
そこで勇者は消息を絶つ。
仕留めたわけではない。ガライロイはしくじった。だが村に馬の類は無く、人族の足で魔族の領域を目指すならば、早くても一年はかかる。それまでに再び足取りを掴む機は、いくらでもある……筈だったのだが。
翌日には、勇者は魔王アルヴァルルの前に立っていた。
どんな絡繰りがあるかは分からない。どうあれ、勇者はただ一日で人域から北方を踏破し、光輝放つ剣を手に、王座にて戦術を思案していたアルヴァルルを討ち果たしたのだ。
その尋常ならざる人族が。
今、私の目の前に立っている。
「――綻んでいる」
少年の声だった。
勇者は虚空を生気のない瞳で見つめ、独り言のように呟く。
「うん。そうだね」
私が頷くと、勇者の目だけが此方を向いた。
驚いたのは、彼が私と同じモノを視ていたという事実だ。
世界は蒼く、じくじくと綻んでいた。
今のままでは、長くは持たない。
【続く】