生奪剣 壱
「おっと、この先へ通すわけにゃいかねぇな」
声をかけられ、無縁は細い目を更に細めた。
かんかんと太陽の照りつける、昼中の山道でのことである。
木々の裏から、無縁の周りを取り囲むように現れたのは、人相の悪い五人ほどの男たち。
山賊であろう。経験からそう理解する無縁は、さらりとその山賊どもを見回した。
脂ぎった顔に、乱れた無精髭。服はどこか薄汚れていて、手にした刀は……盗品なのだろう。大した手入れもされておらず、刃こぼれや錆が目立った。
(あれで斬られれば痛むだろうな)
無縁はそんなことを思いながら、山賊どもの頭領らしき男に視線を戻す。
「すまないが、見ての通り私は貧乏浪人だ。金はないぞ」
そして、ため息混じりに口にした。
事実、無縁の風体は山賊どもより数段酷い。
顔は幽鬼のように真っ青で、生気がない。穴の空いた着物は元の色が分からぬ程度に褪せ、赤茶けた汚れが染みついている。草履もほとんど擦り切れて、履いている意味を問いたいほどだ。
「そうだろうな。が、その腰の物は見逃せねぇ。業物じゃねぇのか」
山賊の頭は、無縁の腰に目を向けた。
無縁の腰には、一歩の刀が下げられている。鞘は黒く汚れているが、よく見れば細かな装飾がなされているのが目に付いた。
なるほど、目敏い。無縁は感心しつつ、さてどうしたものかと考え込む。
「そいつを置いて逃げるなら、バカにはするが命は取らねぇ。断るんならカラスの餌だ」
ニタニタと汚い顔に笑みを浮かべる山賊頭。無縁はけれど、あっけからんとした様子で答えた。
「渡したいのは山々だが、無理だ。諦めてくれ」
「無理だと? そいつはアレか。テメェが尻尾巻いて逃げ出す様を見られねぇってことだな?」
きっぱりとした無縁の返事に、山賊頭は苛立ちを露わにする。
彼にしてみれば、慈悲を見せたつもりなのだろう。枯れ木のような貧乏男一人、わざわざ殺す価値も無い……と。
「バカだぜ、テメェは。命と刀、どっちが大事かなんざ分かり切ってるだろうによ」
「どちらも私には不要だとも。けれど、私の一存では手放せない」
「……イカれてんのか? まさかオレたちを返り討ちに出来るとか思ってんじゃねぇだろうな」
山賊たちが含み笑いしながら、じりじりと無縁との距離を詰める。
無縁の体には、肉らしい肉はほとんど付いていない。食い扶持にも困る有様で、五人の荒くれを相手に戦えようハズもないだろう。山賊たちはそう判断していた。
「やれぇ!」
頭の一喝と同時に、四人の手下は刀を無縁へ突き立てる。
……否。突き立てた、はずだった。
「足らぬ。そんなものだろうと思ってはいたが」
山賊共の刀は、四本中四本がただ宙を刺しただけである。
無縁の体には、傷一つ付いていない。
「っ……何をした!」
「なにとは。単に刀の向きを変えただけだが」
無縁は、腰に提げたままの刀の鞘で、山賊共の刀の切っ先を軽く小突いただけだった。
荒くれ共の刺殺は、ただそれだけで失敗に終わった。
「こいつ……!」
頭領にとって、無縁の実力は意外なものであった。
腐っても、いや枯れてもサムライという事だろうか。
けれども、ただ一撃仕損じただけに過ぎない。頭領はふんと鼻を鳴らし、刀を握る手に力を籠める。
「……やめないか。お前たちに私は殺せない。私はお前たちを殺したくはない」
「馬鹿にしやがって! テメェみてぇな枯れ木一本折れねぇオレたちだと思うのか!」
「本当に、困るんだが……」
無縁の生死を聞かず、山賊の頭領は力に任せて刀を振り下ろす。
小突いて切っ先を変える事は、力の差から難しい。ならば避けるか。ふわりと思考を巡らせる無縁だが、逃げ道は既に四人の手下の刀が塞いでいた。
(慣れている)
数の優位を心得ている。目利きの良さといい、ただの山賊と言えど、そう侮ったものではないのかもしれないと、無縁は光の無い目で彼らを見る。
(それでも、命を遣るには弱過ぎる)
無縁は一瞬、目を瞑って考えた。どうすべきか、と。
答えは考える前から明白であった。抜く他ない。
「……不運だな、お互いに」
ため息と共に口にして、無縁は刀の柄に手を掛けると……
すぱん。水を叩くような音がして、数拍の沈黙。
「あ……?」
血が噴き出したのは、山賊頭が呟いた直後の事だった。
五人の山賊の、刀を握る腕が計十本。
その悉くは、無縁の刀の一振りによって、紙を裂くより簡単に斬り払われていた。
「これでまた、幾分か長引いたな」
無縁は抜いた刀を一瞥もせず、そのまま鞘に納める。
鮮血が滝のように溢れ出る中、無縁はその飛沫を顔に浴び、浮かない顔で歩みを再開する。
頬に跳ねた血を拭うと、無縁の顔には、先刻は無かった血の気がほんの少し戻ってきていた。
「まぁ……仕方がない。今の内に、私も喰えるものを探しに行こう」
ちらりと、納めた刀を尻目に、無縁はわざとらしく口にする。
「お前の寄越す命より、飯の方が私には大事だからな」
続ける言葉に、返答するものはいない。
*
「……なぁ、これは……生きていると思うか?」
「行き倒れでしょう。骨と皮ばかりです。放っておいていきましょう」
「いや待て、動いたぞ。指の先が動いた!」
男児が叫ぶと、老人は観念して足を止めた。
彼が見ていたのは、赤い日で照らされた、青白い肌の痩せこけた男。
道端に倒れ微動だにしないそれは、老人の目にそれはただの死体にしか見えなかったが、男児には命の火が見えたのかもしれない。
常ならば、その観察眼を褒めてやりたいと思うところだが……老人の顔は、浮かない。
「それで、どうするのですか、若」
「無論助ける。川が近くにあったな? ひとまずそこに連れてくぞ」
「……そんな時間は……」
「人道に悖る真似は出来ん。それが父上の教えだ」
諭そうとした老人だったが、きっぱりとした男児の言い様に言葉を失い、やれやれと頷く。
男児のそれは、普段であれば賞賛すべき行いだった。
生まれに驕らず、命を貴ぶ態度を、老人は誇らしくさえ思う。
それでも老人が喜べないのには、理由があった。重大な理由が。
とはいえ、老人は彼の強情さもよく心得ていた。
反駁しても仕様がなく、であるなら、素直に従い気が済むのを待つべきであろう。
そう思いながら、老人はやけに軽い男の体を持ち上げた。
背は低くない。だが着物は元の色が分からぬほどに褪せていて、草履も腐り落ちている。
大方、路銀の尽きた浪人であろう。腰に刀を提げてはいるが、サムライであるかどうかも怪しい。
(せめてこれが、筋骨隆々の偉丈夫であれば……)
考えても詮無いことといえ、老人の頭には虚無感が募る。
こんな身元も分からぬ男を助けたとて、何になろうか。
ともすれば、この足止めのために、自分達の命さえ危うくなるというのに。
【続く】