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生奪剣 終

【前回】

「……であるならばだ、浪人よ」

 馬を降り、血と脂がまき散らされた地面に、佐陀光久が足をつける。
「私が貴様の技量を上回れば、その刀の力は……我がものとなるのだな?」
「……。然り」
 佐陀の言葉に、無縁はゆっくりと頷いた。
 もはや、佐陀の部下の中に、無縁と剣を交えようと考える者はいない。
 血と泥の入り混じった戦場で、多くの武士と馬が、無縁と佐陀を遠巻きに見つめる。
「死なずの剣。風の噂に聞いたことはあるが、まさか実在したとはな」
 佐陀の顔には、怖れと歓喜の入り混じった曖昧な笑みが浮かんでいた。
 超常の力への畏怖と、それを求めんとする欲。
 たった今目の前で起こった惨劇を顧みぬ言葉に、けれど無縁は動じなかった。
 ただ、「またか」と内心溜め息を吐くのみである。
 無尽を手にしてからというもの、無縁は数え切れぬ程こういった手合いと戦ってきた。
 今更、その種の欲望に思う所はない。……ただ。
「止めておいた方がいいぞ」
 それでも、警告はした。
 無縁は今でも、佐陀を殺したいとは思っていなかったからである。
 飛丸と重郎さえ取り返せれば、それで良い。

 佐陀の返答は、斬撃であった。

(……鋭い!)
 踏み込みからの、胸元を目掛けた刺突。
 明確な殺意を持ってのみ放たれる、研ぎ澄まされた一撃。
 けれど無縁はこれを、剣の腹で受け、流す。
 同時に、肘での打撃を佐陀の背に喰らわせ、距離を取る。
 佐陀が振り返った所で、ひゅんっ! 風を切り、無尽を真一文字に振るう……が。
 ギンッ! 甲高い音と共に、無尽の刃は止められる。佐陀は無縁の手を読んでいた。
(なるほど、これは……)
 強い。無縁は理解する。単なる卑怯者の武将かと思いきや、その太刀筋と読みは、一流の剣豪のそれと言っても差し支えのないものであった。
 剣を受けた佐陀は、己が刀で無縁の刀を抑えつつ、無縁の顔へと頭突きを喰らわす。
「ぐっ……!?」
 よろけた無縁に、佐陀は肩で体当たりすると共に、その腿を深く斬り付ける。
 無駄のない一連の動きは、恐らくは無縁の返しを想定し、最初の一撃から計画されたもの。無縁の剣速を以てしても、佐陀の脳裏に組み上げられた未来は斬れなかった。
 だがそれは、あくまでこの一太刀の事。
 次の瞬間には、無縁の刃が佐陀の刀の背を叩き、弾く。
 腿を斬り裂いた剣の軌道に、更に後ろから力を加えたのである。抑えの効かなくなった刀に釣られ、佐陀の脇が大きく空く。
(好機!)
 その一瞬が、無縁に相対しては致命傷となる。
 無縁の刃が、空いた脇腹へと食い込んだ。佐陀の着こんだ帷子などは、無尽に対すれば木綿と変わりない。このまま両断すべし、と無縁は力を籠めるが……
「そこ!」
 がしり。無縁の刀を握る手を、佐陀が掴む。
 同時に、斬! 無縁の手首へ向けて、佐陀の刀の刃が突き立てられた。
「刀、貰うぞ!」
「くっ……!」
 こうなっては両断するどころではない。無縁はパッと刀から手を離し、逆の手でそれを受け取ると、己が手を掴む佐陀の腕を切り上げる。
 咄嗟に佐陀は手を引いたが、それでも遅く、指の数本がパンと音を立てて宙に舞った。
「ぐぉぁっ……!!」
 苦悶の呻きを上げよろめく佐陀。だが無縁も、腿と手首を斬られ、即座の追撃が叶わない。無論、それも数秒の間のことであるが。
「ふぅ……まだ、やるか?」
 息を吐く。無縁の傷は、既に回復を始めていた。
 それに足る程度の生命は、既に奪いつくしているのである。中には、たった今佐陀から切り離した指の分もあるだろう。
 剣技と剣技の戦いであれば、佐陀にも勝ち目がないではなかった。
 だが無縁には、剣技に加え無尽から得る生命の力がある。たとえ瞬間の勝負に勝ったとして、傷を癒されてしまえば意味は無いのだ。
 長引けば長引くほど、この戦いは佐陀の不利となる。
「……まだだ!」
 ちらりと佐陀は周囲の部下を見て、すぐに無縁へ視線を戻した。
 数に頼るのは、この場合あまり賢明な策ではない。仮に無縁に深手を負わせたとして、喰える命がいくらでもあるからである。
 足止めであればそれも良かろうが、刀を奪い取らんと欲するならば、数に頼るは愚策。佐陀もそう理解し、大きく息を吸う。
 指を斬られた手と反対の手で、刀を握る佐陀。
「傷など、その刀があれば治るのだろう……貴様のように」
 脂汗を流しながら、鬼気迫る表情で息を吐くその姿に、無縁もまた覚悟を決める。
「まぁ……な」
「ならばそれをこちらへ渡せ! ……もはや飛丸などどうでも良い。その刀さえ渡せば、貴様らなど何処へ行こうと構いはせん!」
「……ふむ。そうしたいと、私も思いはするのだがな」
 そこでふっと思い立ち、無縁は刀を宙へ放り投げる。
「っ!?」
 呆気に取られつつ、周囲の者どもは、円を描き舞う刀を見上げる。
 無縁はただじっと佐陀へ注意を注ぎながら、一歩、二歩と後ろへ下がった。
「貴様、一体なんの……」
「ほら、見ろ」
 かつん。落下した無尽は地面の石にぶつかって跳ね上がり、ぶぉんぶぉんと音を立て回転しながらも……すとんと、無縁の腰の鞘へ戻っていった。
「捨てようとしても、無尽は必ず私の手元に帰るのだ。呪われているのだな、私は」
「ならば……やはり、貴様の手から直に奪い取る! そうすればその刀も、私を新たな主と認めるだろう!」
「恐らくは。だがそうなれば……私が殺した生命は、どうなる?」
 刀の柄に手をかけながら、無縁は佐陀にそう問うた。
 恐らくは、次の交差で勝負は決する。それを理解しつつ、佐陀は笑って答えた。
「愚かな問いだ! 剣に蓄えられた命ならば、私が天下を統べるために上手く使ってやるとも……!」
「天下か。久しぶりだな、そんな大言壮語を耳にするのは」
「大言壮語なものか! 貴様の刀があればそれも十二分に叶えられるというもの! だから……その刀は、私が貰う!」
 叫び、佐陀が飛び出した。
「むっ……」
 腰を落としながら、無縁はその突撃に違和感を覚える。
 直線的過ぎる。鋭さに欠ける。指を斬られた影響か? けれど、あれほどの剣技を見せた男が、たかだかそれだけの事で……
 思考はけれど、すぐに寸断された。
「斬っても死なぬというのならば!」
 べちゃり。温かくぬめる何かの液体が、無縁の視界を塞いだからである。
(手の血か……!)
 無縁が切断した傷口から流れ出る血を、佐陀は目潰しに用いたのだ。
 大概の傷はすぐに癒える無縁であるが、こういった攻撃には耐性が無かった。
(マズいっ……!)
 相手の剣が読めない。ひとまず後ろ跳びで距離を置きながら、無縁は久方ぶりの焦りを覚える。このまま腕を斬られ、刀を奪われれば、無縁とて一環の終わりである。

「無縁、右だ!」

 しかしその時、無縁の耳に飛丸の声が届いた。
 刹那、それに従い剣で身を護ると、ギィンと音を立て佐陀の刃が無縁の刀に命中した。
 同時に、赤い暗闇の中で無縁は佐陀の息遣いと足音に耳を澄ませ、その位置を知る。
「そこッ!」
 斬ッ! 無縁の刃が、肉を断ち骨を裂いた。
 無縁はその感覚のみを手の平で感じ、一歩引きつつ顔の血を拭う。
「ぐぉぉぉぉぉっっ……!!」
 佐陀の片腕が、肩から切断されていた。
 それも、刀を握っていた……指の残っていた方の腕である。
 これで佐陀は両手を失い、刀を握ることはもちろん、息の根さえ数十秒の後に止まるであろう。無縁は決着を理解し、警戒を解いて飛丸の元へ戻ろうとする。
「ま、てぇぇっ!」
 が。その背に、佐陀が取り付いた。
「むぅっ……!?」
「刀……刀をぉぉぉっっ!」
 全身の力を用いて、佐陀が無縁の身体を押さえつける。その膂力は尋常ならざるものがあり、無縁は振り払うことが出来ない。
 そして、指を無くした佐陀の手が、無尽の柄へと届いた。
「死なずの剣よ! どうか……どうか、この私を認め、その力を……! 約束しよう、私ならば、いくらでも……こんな、浪人などよりも多くの、命をっ……!!」
(……。どうするのだ、無尽)
 目を閉じ、無縁は心の内で刀にそう語り掛けた。
 多くの生命を奪い、永遠の刀としてその名を轟かせんというのならば……死を願い殺しを厭う無縁よりも、佐陀光久の方が無尽の主に相応しい。
 もしそうなれば、恐ろしき魔王の誕生となるのは間違いなかったが……こうなっては、決めるのは無尽である。
「どうか……どう、か……」
 けれど、いくら乞おうとも、佐陀の体が癒されることはない。
 やがて佐陀の身体は冷たくなっていき、無縁を掴む力が少しずつ、抜けていく。
「なぜ……だ……どうして……」

『……足りねぇからだよ』

「……? なにか……声、が……」
 どさり。音を立て、血でぬかるんだ地面に佐陀が倒れる。
 脳裏に響いた声が何者のものであるのか、判断するだけの力は、佐陀に残っていない。
「…………おや、かた……さま……」
 死の間際。最後に呟いた言葉は、恐らく無縁の耳にしか届いておらず。
「……むぅ」
 無縁はそれを……心の内に、しまう事とした。

 *

 飛丸と重郎が逃げ出すのを、止められる者はいなかった。
 自分達の主君を斬り殺した化け物が、虚ろな瞳で彼らを見守っていたからである。

「ありがとう、世話になった」

 ゆっくりと街道を歩きながら、飛丸は無理に笑みを浮かべ、無縁に礼を言う。
「礼を言われる筋合いは……ありませんよ。言ったでしょう?」
 無縁は目を逸らした。先刻口にした通り、無縁が飛丸を助けたのは、元来彼自身の打算的な考えあっての事である。
「私は、決して正しい事をするために飛丸殿を助けたのではありません。そういう意味では……私は、佐陀とそう変わりはないでしょう」
「それは……!」
 否定しようとする飛丸を、無縁は目で制した。
 助けられた飛丸とすれば、無縁を褒め称えたくもなるのだろう。
 けれど無縁にとってみれば、その言葉は己へ罪悪感を抱かせるだけのものである。

「私は、人斬りです。奪う者です。何かを与えられるものではない」

 武路という国を奪い、己の野望を叶えんとした佐陀光久と。
 他者の命を奪う事でしか生きる事の出来ない、人斬りの無縁と。
 むしろ、人という尺度でみるのならば、己が夢を全うし死んだ佐陀の方が幾分か上等であるようにさえ、無縁には思えてならなかった。
「私には何もない。奪った命から責められるのを恐れ、死に場所を求める亡霊です」
「……。今も、死にたいと思っているのか」
 飛丸に問われ、無縁は頷いた。
「それは……困る」
 すると飛丸は、悲し気にそう呟いた。
 死ぬなとも、生きろとも言わず、ただ、悲し気に。
「無縁が死んでしまえば、俺を助けようとしたものは、皆いなくなってしまうではないか」
「……重郎翁がいるではありませんか」
 無縁は首を振り、少し前を歩く重郎に目を向けた。
 重郎は、二人の会話に口を挟まず、ただ静かに歩き続ける。
「確かにな。だが、それでも……俺、は……」
 飛丸が、言葉を詰まらせる。
 堪えているのだ。涙を流す事を。
 そこで初めて、無縁は己の失言に気が付いた。
(……大切な者を失った者の前で)
 死にたい、などと。死ねぬ身で口にしたのだ。
 どんな罵倒を受けたとして、甘んじて受け入れねばならぬ失態だ。
 だがどれだけ待っても、飛丸は無縁を罵りはしなかった。
 代わりに飛丸が口にしたのは……無縁への、誘いだった。
「無縁。俺と一緒に来てくれ。俺は……不安なのだ」
 飛丸に流れる、武路の血。それは遠からず戦を産み、多くのものを殺す。
 その時、今度こそ自分は独りになってしまうのではないか。飛丸の胸に湧いたのは、そんな恐怖心に似た不安だった。
 死なずの無縁が傍に居れば、飛丸が一人になることは、無い。
「……飛丸殿」
 無縁には、そんな飛丸の気持ちが、痛いほどに分かった。
 大切な者の死を見送って、それでも一人で生きていかねばならない。暗闇の中をただ一人で歩くような時間が、長く長く続く。そんな行く先を思えば……
「俺も……父上と共に、死んでいれば良かったのかもしれない」
 そのように、思ってしまうのもまた、仕方のない事であった。
「それ、は……」
 無縁は、再び重郎へ目を向けた。助けを求めての事である。だが重郎は、無縁の瞳を見つめ返すと、ゆっくり首を振った。自分に出来る事はない。飛丸に答えを返すのは、無縁の役目である……と。
 無縁は、迷った。
 多くの命を奪い、なお生きる。
 今の飛丸の状況は、無縁のそれと似たようなものだ。であるなら、彼の死にたいという言葉を、どうして無縁が否定できようか。
 といって、無縁は飛丸についていく気にはなれなかった。飛丸の元で働けば、それこそ無尽を巡っての争いに彼を巻き込んでしまいかねないからである。
 ならば、どうすればいい? この男児の孤独に、私は何をしてやれる?
 立ち尽くし、考え抜いた無縁は、やがて一つの返答を口にする。
「……会いに行きましょう。年に一度、飛丸殿に」
「俺に、会いに……?」
「共には行けません。代わりに、時折顔を見せに参ります。それでは、いけませんか?」
 それが、今の無縁に出来る精一杯の事であった。
 飛丸を一人にせず、無尽を狙っての戦いにも巻き込まない、精一杯の。
「……。であるなら、無縁……俺の知らぬ所で、命を使い切ってはならんぞ?」
「それは……えぇ、出来得る限り」
 戸惑って、頷いた。それから無縁は、ふっと気が付く。
 それでは、飛丸が生を全うするまで、私は死ねないではないか。
 気が付くと、飛丸の顔には僅かながら笑みが浮かんでいた。
 よもや、飛丸殿はこうなることが分かっていたのではあるまいか。
 そんな風な疑念を抱きつつ、けれど無縁は……ほんの少し、温かな気持ちになっていた。

(……生きる理由が、出来てしまった)

 とはいえ、やはり、本当ならば死にたいのも事実であり。

「では飛丸殿。私が訪れたら、あの粥をまた馳走してください」

 そのくらいの報酬を要求してもいいだろうと、無縁は苦笑いして言うのであった。


【終】

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